2013年11月13日

多くの医師はベンツやポルシェに乗れない?

ドイツの医師の報酬とワークライフバランス(2)

馬場恒春
ノイゲバウア-馬場内科クリニック(デュッセルドルフ)

 前回に引き続き、様々な観点からドイツの医師の報酬とワークライフバランスについてご紹介していきます。

「医師の収入は十分高い」と保険組合は言うが…
 「長い教育・研修過程、高い専門的知識と技術、責任の重さを考慮すると、医師の収入は低すぎる。さらに開業医では、スタッフの人件費や設備のためのコスト、実質的な労働時間を考慮すると、収入の低さは異常と言える」。勤務医や開業医の労働組合はこう主張して、改善をたびたび要求してきました。実際、かつて大学病院でストライキが打たれたときは、ある程度は世論の支持も得て、一定の待遇改善が実現しました(後述)。

 しかし、時には異なる主張も見られます。例えば、ヴェルト新聞は2012年7月の紙面で「医師(開業医)は月にネット5500ユーロも稼いでいる」(記事の中では5442ユーロ)と題し、ドイツの一般労働者の平均収入(ネット2400ユーロ/月)に比べて医師は恵まれていると指摘しています(※)[1]。また、教育年数が医学生と同じ6年間である修士課程を終えた他学部出身者との間で、大きな収入差があることを指摘するメディアもありました[2]。

※ 以下、「グロス収入」=「経費や税金を支払う前の表面的な収入」、「ネット収入」=「経費や税金を支払った後の正味の収入」として話を進めていく。

 公的医療保険組合(クランケンカッセ:Krankenkasse)大手の一つであるAOKも、2009年に「医師になることは割に合うか?」という小冊子を発行(写真)。さらに同保険組合ウェブサイトのQ&A欄でも「医師になることは割が合わないのではないか?」という世間の見方に反論しています。

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【AOKが2009年に発行した小冊子、「医師になることは割に合うか?」。 】

 その内容は「診療報酬が安い!」との医療側からの批判に対する公的医療保険組合の言い分をまとめたもので、要旨は(1)クリニック(プラクシス:Praxis)の収入は民間医療保険からの総診療報酬も含めると毎年少しずつ伸びている、(2)クリニックの必要経費を差し引いても年間平均12万ユーロも残る(税金や年金のことには触れず)、(3)病院や開業医院(プラクシス)に雇われている勤務医の収入は、調べた170種の職業の中で5番目に多い―というものです。

 しかし、私の家内などを見ていると、開業に至るまで長い教育・研修期間と準備が必要で、開業してからの仕事上の責任は重く、自宅に戻っても連日夜遅くまで仕事をしています。「現状で十分なはずだ」とする議論では「悲鳴をあげるドイツの医師たち」を救うことはできないという気がします。

 それでは、他職種との比較の上ではどうでしょうか? ニュース雑誌「フォークス」に2011年11月に掲載された業種別収入報告[3]によれば、薬剤師の収入はグロス4214ユーロ/月(後記の「シュテルン」誌では7080ユーロ/月)、看護師はグロス2490ユーロ/月だそうです。グロスの額面だけを見ると、開業家庭医(ハウスアルツト:Hausarzt/-ärztin)のグロス6441ユーロ/月はかなり高く見えます(図1)。しかし、クリニックの運営経費を差し引けば、ネット収入における差はかなり小さくなります。実際、「薬剤師は平均すると医師より稼いでいる」という内容のインタビュー記事がドイツ薬剤師新聞(DAZ)に載ったことがあります[4]。

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【図1 ドイツの業種別平均グロス収入(ユーロ/月) Reference(3)を基に筆者作成。 】

 雑誌「シュテルン」が2008年3月にドイツの自営業100種の収入を特集したところによると、高収入グループとされたのは、財務コンサルタント、弁護士、会計監査人、特許関連の弁理士など経済関連の職種で、珍しいところでは船長や船頭も比較的高収入でした。なお、ドイツらしい職種として、靴職人(グロス5335ユーロ/月、41歳)、暖炉の煙突掃除人(グロス3374ユーロ/月、44歳)、ドイツでは合法であるプロスティテュート(売春業:グロス3000ユーロ/月、36歳)も紹介されています[5]。

「トホホ…」と思った時給が実は当たり前の額
 やや硬い話が続いたので、私自身の経験を少しお話ししたいと思います。お世話になった福島県立医科大学を2003年に離れて渡独し、しばらくの間は毎日好きな本を読んで惰眠を貪るという夢に見たような生活を送っていましたが、たまたま目にした「日本語で医療通訳のできる方」という募集広告に釣られ、薬剤の臨床開発の研究所でアルバイトをすることになりました。実はこの仕事こそが、後日、文字通り世界中を飛び回る超多忙生活のきっかけとなるのですが、その話はまた別の機会に。

 さて、そのアルバイトの採用面接で報酬の交渉になったとき、当時(今もですが)ドイツ語にかなりの難があった私には「ドライ(3)・ツヴァンツッヒ(20)でどうか?」と聞こえ、勝手に英語の「スリー・トゥウェンティ(320ユーロ)」と解釈。1日当たりとしては良い報酬額だと狂喜して、即OKを出しました。ところが、後日、契約書の下書きを目にして「アッ、アーッ!」。あろうことか、「1時間当たりグロス23ユーロ(約3100円:1ユーロを約135円としての換算)」となっていました。

 実は、先方は「ドライ(3)・ン(ウント)・ツヴァンツッヒ(20)でどうか?」と言っており、これはドイツ語特有の勘定の仕方で「3と20」、すなわち23ユーロのことだったのです。ここから税金が引かれ、往復の電車賃を引くと1日2〜3時間のアルバイト代は残りわずかです。しかし、しばらくして、これが当時のドイツの医師(勤務医)の標準的な報酬であることを理解することになったのでした。

 ドイツの勤務医の収入に話を戻しましょう。ドイツ連邦統計局の資料(2006年)によると、後述する大学病院の医師によるストライキ(2006年)以前は、グロスでも29.29ユーロ/時(ベルリン)、35.73ユーロ/時(ノルトライン=ヴェストファーレン州)、例外的に最も高いもので40.37ユーロ/時(ラインプファルツ州)となっていました[6]。

 ドイツ経済研究所が「医学部を卒業すると、将来は平均いくらの収入を期待できるか」を調査したところ(2005〜2008年のデータをもとにしたもの)、男性ではネット17.77ユーロ/時、女性ではネット13.36ユーロ/時と算出されています(表1)[7、8]。

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【表1 大学の学科別に見た平均ネット収入(ユーロ/時)の将来予想 Reference(7)より引用。】

 開業医の平均労働時間は週52時間で、そのうち患者の診察が週38時間、診療に関する事務的な仕事が週11時間、さらに病院経営に関する雑務が週3時間となっています[9]。開業医の時給は、2008年の毎月の平均収入額であるネット5086ユーロ/月から計算すると、診療にかかわる仕事がネット26ユーロ/時(約3500円) [9、10]、病院経営の雑務に費やす時間も入れると23ユーロ/時(約3100円)ということになります。ちなみに、ドイツには法定労働時間の原則があり、一部の例外や管理職などの適用除外を除く一般職では、労働時間法(ArZG)において原則的に1日8時間、週40時間労働が上限とされています。

「国外で医師になる」が当たり前の選択肢に
 ドイツ国内の勤務医3295人を対象としたアンケート調査(回答数1917人、回答率58%)によると、常勤医師の半数以上(52.3%)は1日10時間以上の仕事をしており、約3分の1(35%)は月に6回以上の自宅待機が回ってくると答えています[11]。この傾向は、特に外科の場合で顕著です。

 さらに、年齢と性別をマッチさせたノルウェーの勤務医と比較した最近の調査論文でも、1日の労働時間が9時間を超える割合はドイツの勤務医(対象1260人)が58.8%、ノルウェーの勤務医(対象562人)が26.7%と、倍以上の開きがあります。毎月の自宅待機時間が60時間を超えるのはドイツの63.4%に対して、ノルウェーではわずか18.3%。大きな差が見られます。その結果、ドイツの勤務医の約3分の1(36.7%)が「自分の健康状態が良いとは考えていない」ことが明らかになりました[12]。

 こうしたドイツの医師を取り巻く厳しい事情に加え、新規開業をするときは平均18万ユーロ(約2400万円)の銀行資金が必要です。開業してからも毎月の少ない収入の中から返済していくことを考えると、なかなか容易にできる決断ではありません。自動車大国のドイツに暮らしながら、オペル(アメリカのゼネラルモーターズの子会社)やフォードといった「外車」に乗っている開業医は少なくないような気もします。ベンツ、BMW、ポルシェやフォルクスワーゲンの上級車といったドイツメーカーの高級車は、こちらでも高価なのです。

 最近は、医学部を無事に卒業して医師免許を取得したとしても、製薬企業など診療外の分野での活路を見つけたり(私もお世話になった前述の臨床開発の研究所には、5人のドイツ人医師が勤めていました)、ドイツ国外で診療することを選んだりする医師も増えてきています。イギリスの「The Times」のオンライン版(2006年1月)によると、ロンドンでは既に4127人のドイツ人医師が登録され、さらに増えるだろうと予測されています[13]。事実の確認はできませんが、この記事によると、ドイツの医師の約3分の1は税金分を差し引いた後の収入が2000ユーロ/月以下であり、これとほぼ同じ額はイギリスで毎週木曜の夜から週末にかけて働くだけで稼げるそうです。

 ボーフムのルール大学が国内の医学生4000人を対象に行ったオンラインによるアンケート調査(2008年)では、回答者の72.2%が「将来、ドイツ国外での医療従事も選択肢の一つとして念頭に置いている」と答えており、ドイツの医療システムの根幹を支える家庭医(ハウスアルツト)を志す医学生はわずか17%だったということです。具体的な国名としては、スカンジナビア諸国、イギリス、アメリカ、オーストラリア、そしてドイツ語が通じるスイスやオーストリアが挙がっています。これから医師になろうとする若き医学生にまで、将来への不安が広がっていることをうかがわせます[14]。

勤務医たちの怒りが爆発し、大学病院で30年ぶりのストライキ
 日本と同様、ドイツでも高齢化が進み、高度な医療技術の普及もあって、1970年代以降は国家の医療費が年々膨らんできました。2009年にはGDP(国内総生産)の11.6%を占めるに至っており、OECD(経済協力開発機構)加盟国中4番目に高い値となっています[15]。さらにダメ押しとなったのは、1990年の東西ドイツ統一。東西の経済格差の改善のために莫大な国家予算が投入され、そのしわ寄せが医療面の予算にも影響したことです。

 このため、公的医療保険制度の改革、医師への診療報酬の抑制、ジェネリック医薬品の普及といった厳しい医療費抑制策が試みられてきました。しばらく前までは、年に一度の眼鏡の新調も温泉施設でのクア療法も医療保険がカバーしていましたが、現在ではかなりの制限が加えられています。

 ドイツで尊敬を集める職業の第1位は医師、第2位は看護師だそうです。しかし、奉仕の気持ちを持って診療に従事する医師たちにとっても、抑制された診療報酬の現状は厳しすぎる面があります。

 ドイツのアルツテカマー(Ärztekammer:日本では「医師会」と訳される)は、州政府から医療行政の業務を請け負うとともに、医師自らが自分たちを管理している組織で、診療報酬の改善を求める政治運動に関与するものではありません(「人口1000万人の地域で開業保険医の空席は8人!」参照)。そのため、医師の待遇改善を求める運動は、医師の労働組合が行っています。代表的なものが、病院や大学病院(ウニクリニーク:Uni-Klinik)の勤務医のためのマールブルガー・ブント(MarburgBund)、開業医をサポートしているNAV-ウィルヒョー・ブント(NAV-VirchowBund)、ドイツの医師・歯科医・医学生のためのハルトマン・ブント(Hartmannbund)などです。

 マールブルガー・ブントは、以前はヴェルディ(Verdi)というドイツの全勤労者を代表するような大きな労働組合に属していましたが、「勤務医の立場を十分に代弁していない」との理由で2005年10月に決別しています。このマールブルガー・ブントが主導して、ついにドイツ国内の大学病院や公立病院でストライキが打たれました。

 「大学病院の医師がストライキ」と聞けば、「えっ!」と思われる方も多いでしょう。しかし、実際に、ベルリン(フンボルト)大学の付属病院である名門のシャリテ病院で2005年11月に起こったストライキを皮切りに、翌2006年の3月から6月中旬まで、ドイツ全国41カ所の大学病院や関連の教育病院で1万3800人を超える勤務医が参加しての長期ストライキが打たれ、緊急手術を除く大学病院での手術が制限されるなど診療に大きな影響を与えました。

 当時、実質的な時給が数ユーロ程度だったり、時間外手当が支払われなかったりと、大学病院の医師の待遇には厳しいものがありました。そこで、ドイツの大学病院で働く医師たちが給与改善と超過勤務への支払いを求めて立ち上がったのです。当時の世論の一定の支持も得られ、最終的には2006年6月16日に全国の大学病院との間でタリフ・フェアトラーク(Tarifvertrag:賃金協約)がまとまり、多少の変更が加えられながら現在に至っています。

 さらに、この年の6月20日には全国約700の公的病院との間で賃金協約が結ばれ、その後同様に私立病院でも賃金協約がまとまることになります。ドイツの大学病院のストライキが、大学病院のみならずドイツ全体の病院勤務医の待遇の改善と安定化に役立ったことが分かります。

 大学病院での医師によるストライキは30年ぶりで、大学の常勤医師までが参加したものとしては初となりました。2006年5月、私が不覚にも旅先のリューベックで虫垂炎手術を受けることになったときは、臨床実習の場を求めて医学生の研修グループが私の入院していた民間病院にも回って来ていたのを覚えています(「公的保険と民間保険が共存すると…」参照)。

 なお、その後の2010年にも、全国700ある公立病院のうち200の病院で待遇改善を求めるストライキが打たれています。

【References】
1)Ärtze verdienen 5500 Eruo netto.DIE WELT―Wirtschaft,2012年7月7日号.
2)Reiche Ärtze, arme Germanisten.Süddeutsche Zeitung(南ドイツ新聞),2012年7月9日号.
3)Deutschlands größter Gehalts-Report.150 Berufe im großen Gehaltsranking.FOCUS Magazin,Nr.45,p168-183,2011年11月7日号.
4)SZ-Interview“Schimidt:Apotheker verdienen im Schnitt mehr als Ärzte”.DAZ Online,2012年12月14日号.
5)Der großte stern-Report.Was verdienen Selbständige in Deutschland? 100 Berufe im Vergleich.Stern,Nr.12,p46-64,2008年3月13日号.
6)Bruttoverdienste vollzeitbeschäftigter Arbeitnehmerinnen und Arbeitnehmer nach ausgewählten Berufen und Bundesländern im Oktober 2006,in Verdienste und Arbeitskosten,p18,2006,Statistisches Bundesamt(DESTATIS).
7)Glocker D,Storck J:Uni,Fachhochschule oder Ausbildung―welche Fächer bringen die höchsten Löhne?,in Wann sich Investitionnen in Bildung lohnen,DIW Wochenbericht 13,p3-8,2012.
8)Peichi M:Ärzte―Spitzenverdiener unter Akademikern.Ärtzte Zeitung(医師新聞),2012年4月2日号.
9)Zentralinstitute für die kassenärtzliche Versorgung in Deutschland.“ZI-Praxis Panel Jahresberich 2010:Wirtschftliche Situation und Rahmenbedingungen in der verstragsärztlichen Versogung der Jahre 2006 bis 2008”.ZI,2012年3月発行.
10)Thomas A:ZI-Praxis-Panel:Ärzte arbeiten für 26 Euro pro Stunde.Medical Tribune,2012年4月1日号.
11)Rosta J:Arbeitszeit der Krankenhausärzte in Deutschland,Deutsches Ärzteblatt 104(36):A2417-A2423(ドイツ医師会雑誌2007年9月7日号).
12)Rosta J,Aasland OG:Work hours and self rated health of hospital doctors in Norway and Germany.A comparative study on national samples.BMC Health Serv Res.2011 Feb 21;11:40.
13)Boyes R:German doctors leave Germany and go to Britain―because doctors in Britain get paid more.The Times,2006年1月19日号.
14)Nach dem Abschluss ab ins Ausland.ZEIT ONLINE(ツァイト紙),2008年11月18日号.
15)OECD(2011):Doctors’ and nurses’ salaries,in Government at a Galance 2011,OECD Publishing,2011年8月1日発行.
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