2009年10月08日

医師の労働時間を考える Vol.1

“80-hour rule”―研修医の労働時間は週80時間以内

永松聡一郎
(ミネソタ大学呼吸器内科/
集中治療内科クリニカルフェロー)



 私は2004年に渡米し、ミネソタ大学で内科のレジデンシーを修了、現在は同大学呼吸器内科・集中治療内科のクリニカルフェローをしています。大学では、医療全般、とりわけ集中治療における医療の質を向上させる(quality improvement)プロジェクトに携わっています。 この5年間で、日米の違いもさることながら、米国の医療システム自体がダイナミックに変化していく様子を目にしてきて、米国の医療制度に興味を持つようになりました。このブログでは、米国で臨床に従事する者の視点から、現代の米国医療に影響を与えた歴史的なイベントや、医療制度論について解説していきます。最初のテーマは「医師の労働時間」です。

 昨今、日本でも医師の労働時間や過重労働について議論され始めていますが、米国ではレジデントと呼ばれる研修中の医師の労働時間が、最大週80時間と制限されていることはご存じでしょうか。この労働時間制限の規則は、20年以上も昔に、ニューヨーク州を皮切りに、2003年には米国全土で実施されるようになりました。

 この労働時間制限について、以下のように5回に分けて解説したいと思います。

1) 2003年に実施された労働時間制限の解説とその運用状況
2) 労働時間制限を全米で実施させるに至った重大なイベント
3) 労働時間制限をきっかけとして、医師のキャリアプランや、医療の供給体制に起きた変化
4) 労働時間が制限されることによって、レジデントの教育に変化があったのか、患者により安全な医療が供給されるようになったのかという再評価
5) 2008年度に出された、米国医学研究所による労働時間制限の勧告と見直し

 まずは、2003年に施行された労働時間制限とその運用状況について解説します。

ACGMEによる労働時間を制限する規則 (duty hours regulation)
 レジデンシー・フェローシップと呼ばれる、医師の卒後教育プログラムを許認可しているのは、ACGME (Accreditation Council for Graduate Medical Education:卒後医学教育認定評議会)という団体です[1]。その管轄範囲は米国の27診療科、8490プログラム、約10.8万人のレジデントに及んでいます。

 このACGMEは、2003年にduty hours regulation、通称“80-hour rule”と呼ばれる、労働時間を1週間当たり80時間以内に制限する規則を作りました。最初に、この規則の内容を紹介します。


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医師の労働時間に関する規則 ― 2003年7月実施[2、3]
a. 労働時間は週80時間以内でなければならない *
b. 勤務と次の勤務までの間隔は、10時間以上空けなければならない **
c. 連続勤務は24時間以上行ってはならない。ただし、最大6時間まで、教育活動や既に受け持っている患者の継続的な診療を行ってもよい(すなわち最大30時間まで連続して働くことができる)
d. 7日のうち1日は、臨床業務や教育活動から解放されなければならない *
e. 病院内での当直は、3日に1日より多い頻度では行ってはならない ***
《補則》
f. 24時間連続勤務した後は、新規の患者を受け持ってはならない
g. レジデントの教育に役立つという合理性があるのならば、例外として10%の追加勤務を認める場合がある (週88時間)
h. 救急医学(emergency medicine)では、1シフト当たり最大12時間までの勤務とする。シフト間は、シフトと同じ時間以上の休憩を取らなければならない。最大週60時間勤務と、12時間の教育時間を費やしてよい
*:ただし、4週間の平均をもって計算することができる
**:2003年時点では努力義務であったが、2008年より義務となった
***:ただし、自宅での待機はこの制限を受けない

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 これらの規則に従って、病棟勤務を行う勤務体系の一例を示すと、以下のようになります。

1) 平日の勤務時間は、7時から17時までの1日10時間
2) 4日に1回の割合で、夜間の連続勤務を行う。翌日は6時間追加勤務し、13時までには勤務を終える
3) 土日のうち1日は完全な休暇を取る。もし土日がon call(当直)の場合は、代わりに平日に休暇を取る

 これで週78時間の勤務となります。

 ACGMEの2007年の年度報告によりますと、1年目研修医(インターン)の勤務時間は、内科で週平均65時間、外科で週平均76時間と報告されています。この数字を見ると、上記の勤務体系のモデルより勤務時間が短いように思われるかもしれません。そこで、もう少し具体的に、教育病院での勤務体系の実態が分かるように、中規模の急性期病院の例を挙げてみます。

 米国では、入院の決まった患者には、general medicine (一般内科)、family medicine (家庭医学)、hospitalist service (ホスピタリスト:詳細は第3回目で解説予定)などと呼ばれる、ジェネラリストが主治医となります。その主治医、もしくは、主治医グループをプライマリーと呼びます。肺炎、狭心症、糖尿病など内科系の疾患の場合は疾患にかかわらず、また外科疾患の一部も、いったんはジェネラリストを主治医として入院することになります。

 プライマリーは、必要に応じて、呼吸器内科医、循環器内科医、内分泌内科医や外科医など、サブスペシャリストにコンサルトを依頼します。ここでのポイントは、概して、サブスペシャリストは、自分自身で病棟の主治医にはならないのです。ただし、大規模病院や大学病院では、運営の仕方によって、各専門分野の医師が主治医となることも見受けられます。

 また、入院患者を受け持っている期間(inpatient month)は、交代で当直するので、別名call monthと呼ばれます。一方、サブスペシャリストであるコンサルタントの下で働く場合や、外来クリニック専属の期間は、当直がないので、non-call monthと呼ばれています。

 前述の内科インターンの平均勤務時間が週65時間というのは、このcall month とnon-call monthを組み合わせた平均勤務時間です。ですから、入院患者を受け持っているinpatient month (call month)には、前述の例に挙げたように、月に6〜7回の泊まり込みの当直を行い、週80時間近く勤務しています。

 実際にレジデンシーを経た私の感想としては、この週80時間というのは、慢性的に疲労がたまってきて、睡眠不足に起因する判断力の低下が起きるか否かという限界に近い状態だと思います。インターンは1年で終わる、レジデンシーは3年で終わる、と自分に言い聞かせていました。「終わりが見える」から乗り切れたのではないかと思います。

 それでは、どのような根拠に基づいて、80時間の ”80”という数字が導き出されたのでしょうか。

 確かに週80時間という勤務時間は、諸外国のレジデントや、米国での他の職種より長く設定されています[表1][表2]。ACGMEの労働時間検討委員会の副委員長は、02年に「80時間とは一般的に受け入れられている時間であるが、科学的な裏付けはない」と言っています。その後、03年に80時間の労働時間制限が行われるようになってから、勤務時間と睡眠・過労・患者安全・教育効果との関係など様々な研究が発表されているので、それらについては、後ほど改めて解説します。

表1 研修医の労働時間規制の国際比較[3]
研修医:doctor in training、house staff、resident or intern

90820khf01.gif



表2 米国における労働時間制限の業種間の比較
(Institute of Medicine :Resident Duty Hours: Enhancing Sleep, Supervision, and Safety,2008. p66-67.より一部引用)



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労働時間のコンプライアンスと労働時間制限の運用状況


 80時間規制が実施されてから5年経った米国ですが、各レジデンシープログラムにおいて、この規則はどの程度遵守されているのでしょうか。

 2007-08年の調査では、208プログラム(約2.5%)が、労働時間の問題をACGMEに指摘されています[4]。違反が多い診療科は、内科、家庭医学、外科、小児科、産婦人科の順で、いわゆる“メジャー科”が忙しい様子は日本と変わりがないようです。

 では、この規則に違反すると、どのような影響が及ぶのでしょうか。ACGMEが定期的に行うレジデンシープログラムの審査項目の中に、労働時間のコンプライアンスが含まれており、これが守られない場合には、レジデンシープログラムの認可取り消し・閉鎖という事態があり得ます。仮に、ACGMEからレジデンシープログラムの認可が取り消されると、プログラムの母体となる大学や病院までも大きな影響が及びます。

 なぜなら、Medicare(メディケア、65歳以上への公的保険)から教育病院に対して支払われる、Indirect Medical Education Paymentと呼ばれる、卒後医学教育への補助費用の支払いが打ち切られてしまうからです[5]。このような資金面での圧力もあるため、各レジデンシープログラムの実施者は、80時間ルールを厳守しようとするわけです。

 この労働時間問題に対して、ACGMEがいかに力を入れているか、その一例を紹介しましょう。このガイドラインが実施されたのは2003年7月ですが、その翌月には、ACGMEが全米屈指の有名大学であるジョンズホプキンス大学の内科プログラムに対して、「労働時間の問題が解消されない限り、翌年をもってレジデンシープログラムの認可を取り消す」と通告したのです。このことは、米国の医療界に大きな衝撃を与えました[6、7]。ジョンズホプキンス大学の労働環境の改善努力により、結果的に認可取り消しは免れましたが、そのACMGEの強固な態度が、他のプログラムにも影響を与えたことは言うまでもありません。


労働時間を厳守する理念

 さて、米国でも古くは、当たり前のように週100時間以上働いていました。例えば、1998〜99年の内科インターンの平均労働時間は週83.7時間、外科では週102.0時間で、外科では89%のインターンが週80時間以上働いていました。雇用者から見れば、安い賃金でかつ残業代なしで働くレジデントほどありがたい存在はなかったはずです。

ではACGMEは、どのような意図で労働時間を厳守させようとしたのでしょうか。その理念を見てみましょう。

フェローと呼ばれる上級医や、アテンディングと呼ばれる指導医は、レジデントを時間通りに帰宅させ、彼らが疲れているときには自ら進んでバックアップします。レジデント向けの講義がある時は、臨床業務を引き受け、彼らを積極的に出席させています。また、レジデントが超過勤務をしている場合は、レジデント本人が指導医に報告し、早く帰る許可を求めることが期待されています。「適切な労働時間を守ることは、レジデントの教育の質を高めるだけではなく、患者への安全な医療の提供につながる」という理念は、全米で既に受け入れられているといえます。

 ところで、この80時間の労働規制は2003年に突如として現れたものではありません。この規制が全米に浸透するまでには、きっかけとなる重要なイベントと、20年間にわたる大きな議論、そして多くの貢献された方々がおられました。次回はそれらについて解説したいと思います。


《まとめ》

1) 米国では、レジデントの労働時間を週80時間に制限する規則が2003年に実施された
2) レジデンシープログラムは、この規則を守らないと、プログラム認可が取り消され、教育病院への補助金も打ち切られる
3) 適切な労働時間を守ることは、レジデントの教育の質を高めるだけではなく、患者への安全な医療の提供につながる


【References】

[1] Accreditation Council for Graduate Medical Education. http://acgme.org/
[2] Common Program Requirements, Resident Duty Hours in the Learning and Working Environment http://www.acgme.org/acWebsite/dutyHours/dh_ComProgrRequirmentsDutyHours0707.pdf
[3] Resident Duty Hours: Enhancing Sleep, Supervision, and Safety. Institute of Medicine, 2008.
[4] http://www.acgme.org/acWebsite/dutyHours/dh_achievesum0708.pdf
[5] http://www.aamc.org/advocacy/library/gme/gme0002.htm
[6] http://www.ama-assn.org/amednews/2003/09/15/prsc0915.htm
[7] http://www.hopkinsmedicine.org/hmn/W04/top.cfm
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