2009年11月30日

マネジドケアで医師の裁量は尊重されるか

河合達郎
(マサチューセッツ総合病院移植外科/
ハ―バード大学医学部外科准教授



 私が現在勤務するマサチューセッツ総合病院(MGH)は、1811年にボストンで創設された全米で3番目に古い病院です。世界で初めてエーテルを用いた全身麻酔によって手術が行なわれたことでも有名ですが、現在はハーバード大学医学部の代表的な関連病院として、ベッド数約900、年間入院患者数約4万7000人、年間外来患者数約150万人と、ニューイングランド地方では最も大きな病院です。『New England Journal of Medicine』でMGHの臨床病理カンファレンス(CPC)が毎週連載されているので、ご存知の方もいるかと思います
マネジドケアの国、アメリカ

 さて、私はアメリカに来る前から、マネジドケアというものについて漠然と聞いてはいましたが、それが実際にどんなものであるかは全く想像も付きませんでした。ですから、医師としてMGHで働き始めた当初に最も不安だったのが、日本の流儀がどこまで許されるかということでした。

 アメリカの公的保険は、65歳以上の人のためのメディケアと低所得者のためのメディケイドの2種類だけで、それ以外は民間保険会社によってまかなわれています。以前は日本のように出来高払い制でしたが、医療費が高騰して通常の保険料では民間保険会社の支払いが難しくなってしまいました。そこで、考え出されたのがマネジドケアというシステムです。

 マネジドケアの根幹は、家庭医制度の徹底による専門医へのアクセス制限、疾病分類に基づいた定額支払い制、過剰医療のモニターにあります。

 保険加入者はそれぞれの家庭医を決めることを要求され、その家庭医からの紹介がないと専門医にかかることができません。これによりコストの高い専門医による診療が抑制されるわけです。

 また、疾患名とその重症度に応じて支払い額があらかじめ決められています。例えば急性虫垂炎で虫垂切除術が行なわれた場合、入院が何泊になろうが、どんな検査をしようが、支払い額には一定の上限があります。こうした仕組みの下では、医師が過剰な診療をしたり、入院を長引かせたりすると、それは病院の損失となります。当然、病院経営側は、医師の診療を厳しくモニターして医療行為をコントロールするだろうと考えられます。


実際、診療報酬はいくら支払われる?

 それでは、アメリカにおけるマネジドケアの現実とはどんなものなのでしょうか?

 まずアメリカでは、家庭医制度については徹底されており、日本のように、単なる感冒でいきなり呼吸器内科の専門医にかかるというようなことはありません。一般的に、家庭医は簡単な婦人科検査も含めて全身的な診察ができます。こうした制度は、日本でも今後ぜひ取り入れて行くべきだと思われます。

 これに対して非常に分かりにくいのが、診療報酬です。既に述べたように、マネジドケアでは疾病分類に基づいた定額支払いですが、例えば急性虫垂炎で手術して1〜2泊入院したら、病院の平均的な請求額は3万ドル前後となります。これを額面通りに受け取れば、これこそがアメリカの世界一高い医療費の原因だと思われるかもしれません。

 ところが、実際に保険会社から支払われる金額は請求額の3分の1程度で、患者の自己負担分を含めても、病院の収入は請求額の半分にも満たないことが普通です。病院のスタッフ会議でも財務状況の報告を受けますが、保険会社から請求額の30%以上が支払われれば満足、という感じです。最初から半分以下しか支払われないと分かっているなら、請求額も最初からもっと現実的なものにすればよいように思われますが、様々な保険会社との複雑な交渉過程で、このようなかたちにならざるを得なかったようです(こうしたアメリカの医療費の実情をつかんでいただくには、患者側の視点で書かれた記事が参考になるかもしれません)。

 この点、全額自己負担の外国人の患者には病院の請求額全額を前金で要求できるので、病院経営側としては非常にありがたい“お客様”です。どこの有名病院でもインターナショナル部門に力を入れている理由がここにあります。

 また、アメリカでは医師の診療請求は病院の請求とは別になっていますが、これも疾病によって支払い額が決まっています。一般的な手術の場合、術後90日間は、何回患者を診ても、どんな治療をしても一定額しか支払われません。ところがやはり例外もあり、例えば移植外科手術後は管理が難しいということで、入院時に何時間、毎日病棟で何時間、退院時に何時間といったような細かい診療加算ができます。

 診療請求に関連して、われわれが病院から特に要求されるのは、手術記録のディクテーションを24時間以内にすることと、レジデントの書く退院サマリーを迅速に承認することです。どちらもスピーディーな診療請求のためですが、このタスク処理の手際は病院にモニターされており、ボーナスにも影響するようになっています。


医師の裁量はどこまで尊重される?

 さて、保険会社から見れば、病院がいかに過剰診療をしようが、支払う額は一定なので痛くもかゆくもないでしょうが、病院経営側からすれば、いかに無駄な検査・治療を減らすかは死活問題のはずです。ですから私も当初は、CT、MRI、シンチグラフィーなどの高コストの検査は、「誰かに何か言われるんじゃないか」と遠慮しながらオーダーしていました。しかし結局、誰も何も言わなかったので次第に大胆になり、今では日本にいたときと同じような感じでやっています。
 
 考えてみれば、毎日刻々と変わる患者の状態に応じた検査・治療に対して、病院事務がいちいち干渉するのは不可能です。実際、事務の責任者に確かめたこともありますが、検査・治療の内容はあくまでも医師の裁量で決めることで、病院として干渉するべきではないし、したこともないということでした。

 入院期間については、日本の場合と違って非常に短いのが特徴といえますが、これも病院経営側からあからさまに強制されて短くしているわけではありません。ただ、もし常識外の長期入院が多くなると、医療にかかるコストと保険会社からの支払い額の差が大きくなり、病院の経営を圧迫することになります。最終的には医師の給料にも影響してくるわけですから、医師側にも「不要な入院は避けよう」との意識が潜在的に働いているように思います。

 入院期間を短くするためには、発想の転換が必要です。私が外科医としてこちらで最初に驚いたのは、ドレーンがまだ入っている患者を退院させてしまうことでした(少し専門的になりますが、こちらではすべて閉鎖式ドレーンを使っているので、ドレーンを入れたまま退院可能です)。手術創は、術後3日目からはカバーもしません(日本では包帯交換当番というのがあって、抜糸まで毎日ガーゼ交換するのが普通でした)。まだ抗菌薬の静脈注射が必要でも、状態が落ち着いていれば、訪問看護をアレンジすることで退院できるのです。

 患者も早期退院には全く抵抗がなく、退院を切り出すと、とたんに嬉々とした表情になって、術後の痛みが多少残っていようが、ドレーンがまだ入っていようが、喜んで退院していきます。日本で早めに退院させようとすると、決まって患者やその家族から鬼のように言われるのとは対照的です。

 確かに、いたずらに入院期間が延びれば、保険の種類によっては自己支払い分が多くなるため、プレッシャーを感じる患者もいるでしょう。しかし、自己負担分が定額である患者も多くいます。ですから、患者が早期退院をことのほか喜ぶのは、金銭的な問題というよりは、入院を嫌うこの国のカルチャーだと思います。さらに私は、両国の住宅環境の違いが患者のこうした態度の違いに表れているのではないかとも思っています。悲しいことに日本の住宅環境は貧しいもので、ときには病院の方が家より居心地がよい場合があるからです。

 早期退院について病院からの強制はないと先に書きましたが、実は各病棟に配属されているケースマネージャーが病院からの差し金であったことを最近知りました。

 彼らは医師チームと一緒に回診もして、各患者の状態を把握していますが、あくまでも控えめで退院を促すような口出しは一切しません。ただチームが退院を考え出すと、彼らは転院先のベッド状況や患者の家庭の状況を速やかに調べ上げ、退院がスムーズに進むように、面倒臭いこと一切を引き受けてやってくれます。案外、事務的なちょっとしたわずらわしさが、医師チームにとって退院を2〜3日遅らせてしまう原因になるものです。ケースマネージャーは、医療チームにプレッシャーをかけないように配慮しながらもむだな入院を防ぐという病院経営側の深謀遠慮を体現した存在といえるでしょう。

 私がMGHで経験したマネジドケアとは、あくまでも医師の裁量を尊重しながらシステムとしてむだをなくし、コストを下げようとするものでした。ただし、ひょっとすると、より規模の小さい地方病院や営利的な病院で働く医師たちはもっと厳しい管理を受けているのかもしれず、MGHでの私の経験はアメリカ医療の実態を正しく反映していないのかもしれません。今後、アメリカの様々な医療ステージで働く日本人の方々からの情報提供を待ちたいと思います。


もしマネジドケアを日本に導入するなら

 今、オバマ大統領がアメリカに国民皆保険制度を導入しようとしていますが、マネジドケアの方向性は、強化されることはあっても後戻りすることはないように思います。もし将来、日本でマネジドケアが導入されるようなことになったとしても、表面的な形だけをまねすることは絶対に避けなければなりません。

 例えば、家庭の患者受け入れ能力が乏しく、転院先もなかなか見付からないような状況で、いきなり入院を短くすることは、日本の現実にはそぐわないかもしれません。また、家庭医制度を導入して大病院のアクセスを制限したら、病院経営が立ち行かなくなってしまう可能性もあります。もし日本にマネジドケアを導入するとなれば、診療報酬のあり方も含めて、広い視野に立った医療制度の抜本的な改革が必要になるのです。
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