2009年12月19日

医師の労働時間を考える Vol.2 

「すべてはリビーの死から始まった」

永松聡一郎
(ミネソタ大学呼吸器内科/
集中治療内科クリニカルフェロー)


 前回のブログでは、2003年から米国のレジデント(研修医)の労働時間が最長週80時間に制限されている様子をお伝えしました。今回は、労働時間をそのように制限するに至った歴史的経緯を解説したいと思います。
リビー・ジオン事件(1984年)

 1984年3月、18歳の女子大学生リビー・ジオンが、ニューヨーク病院の救急外来に運ばれました。彼女にはそれまでの1週間ほど、発熱と耳の痛みがあったようです。時間は夜半を過ぎて、リビーは興奮し、体が震えている様子でした。救急外来に着いたとき、彼女の体温は39.2℃でした。

 リビーは救急外来で診察を受けた後、経過観察目的で一晩入院し、しばらくの間、点滴を受けることになりました。その後、強い悪寒(ふるえ)を示したので、メペリジン(Meperidine)という、現在でもアメリカで使われている鎮痛薬が注射されました。その2時間後、彼女の体温は41.2℃まで上がり、心肺停止状態に陥って翌朝には帰らぬ人となりました。

 彼女の父親シドニー・ジオンは、当然のことながら突然娘を失ったことに怒りました。彼はエール大学法科大学院出身で、検察官、小説家を経て、「New York Times」の特派員としてジャーナリズム業界で働いていました。彼は、病院、レジデント、監督責任のある指導医を訴えました。しかし、やがて法廷で明らかになる事実に驚愕することになるのです。

 もう少し詳しく、この事件を追ってみましょう。当日の晩、父シドニーはリビーの調子が悪いという知らせを受け、ジオン家のかかりつけの内科医に電話をしました。その内科医は、リビーを救急外来に連れて行くよう父親に指示しました。そこでリビーは救急医による診察を受けましたが、診断を確定できなかった救急医は、経過観察と点滴目的に入院することを勧めました。

 さて、入院の決まった患者が救急外来から病棟に移動する際には、プライマリーと呼ばれる主治医(もしくは主治チーム)が指定されます(詳細は前回のブログを参照)。アメリカ独自の医療文化として興味深いことは、患者を入院させる権利(これをprivilegeと呼びます)は、病院と契約をしている一部のアテンディング(attending)と呼ばれる指導医が持っており、この指導医が患者の入院の許可(accept)を出します。つまり、指導医が入院の理由に納得しない場合や、自身の専門分野ではないと判断した場合、患者は他の指導医から入院を許可されるのを待たねばならないのです。その晩のリビーの場合は、ジオン家のかかりつけの内科医を主治医として入院することが許可されました。

 実際のリビーの治療を引き継いだのは、夜間に病院で当直をしているレジデントたちで、医師になって8カ月がたったばかりのインターンと、医師歴2年のレジデントが担当になりました。先の救急医と同様、彼らにもなぜリビーが発熱や悪寒を示しているのかが分からず、「ウイルス性感冒とヒステリー発作」という初期診断の下にメペリジンの注射を指示したのです。

 その後、リビーが興奮状態を呈したため、看護師はインターンに連絡を取りました。他に40人の患者を担当していたインターンは、忙しさのために直接リビーを診察しに行くことができず、抑制具の使用と鎮静目的でのハロペリドール(Haloperidol)投与を看護師に指示しました。その数時間後、体温は41.2℃まで上がり、結局リビーは指導医の診察を一度も受けることなく心肺停止状態に陥りました。

 リビーの遺体は解剖され、「肺炎とメペリジン投与後の急変」と診断されました。現在では、彼女の飲んでいたフェネルジン(Phenelzine)という抗うつ薬とメペリジンの相互作用のために起きたセロトニン症候群によるものであろうという意見が多数を占めています[1、2]。

 事実が明らかになっていく中で、当然のごとく疑問になったことがあります。レジデントの過労や睡眠不足がリビー事件の引き金になったのではないかというのです。1984年当時はレジデントが休憩なしに連続36時間勤務することが可能でした。リビーを診察した時点で、そのレジデントらの勤務時間が18時間を超えていたことが分かると、「病院で疲れ切ったレジデントが働いているのは危険である」と、新聞、雑誌、テレビなど主要なメディアが指摘するようになりました。


司法の場にて(1986年)

 シドニーの訴えを受けて、ニューヨーク州ニューヨーク郡の地方検事(district attorney)は、大陪審(grand jury:一般市民から選ばれた陪審員で構成される、犯罪を起訴するか否かを決定する機関)を招集し、当該のレジデントらを殺人罪で起訴することができるか検討するように命じました。ところが、大陪審の導いた結論は以下のようなものでした。

 『起訴事実は否定しようがない。だが、他のLevel1(最高次)の医療施設でも、レジデントが十分に監督されることなく医療行為を行なっている可能性があるのは、憂慮すべき事態である。緊急時に、重篤な患者が、卒後研修中の医師によって治療されること自体は許容されるだろう。しかし、年長の医師と相談されることなく、治療が開始されている。その結果、最も重篤な患者が、最も経験のない医師によって治療されている。(中略)さらに、インターンやレジデントが長時間労働にさらされることによって、医療の質に悪い影響を及ぼしている。この慣習は、病院の予算にとっては好ましいかもしれないが、その代償として医療の質が犠牲となっている。患者に適切なケアを提供し、かつ卒後研修中の医師が学習するためにも、医師は常に、頭の中が明瞭にさえていないといけない。よって大陪審は、インターンやレジデントが連続して働くことを規制する法案を作ることを提案する』(ニューヨーク州高位裁判所、1986)

 判決としては、レジデントおよび指導医の過失(negligence)を認定し、75万ドル(後に35万ドルに減額)の賠償責任を負わせますが、懲罰処分は下しませんでした。また、病院自体の監督責任も認めませんでした。

 シドニーはさらに、ニューヨーク州医師免許委員会(New York State Board of Professional Medical Conduct)にも懲罰を求めて訴えますが、同委員会は「彼らはもう十分に非難され叱責された」として、これを退けました。


ベル委員会の設立(1987年)とリビー条例の成立(1989年)

 大陪審の提案を受け、ニューヨーク州知事マリオ・クオモは、アルバート・アインシュタイン医科大学内科のバートランド・ベル医師を座長とする委員会を設けました(通称ベル委員会)。この委員会は、アメリカ内科学会(American College of Physicians)など、すべての関係団体との協議を18カ月間にわたって重ねた上、1987年にレポートを発表しました。

 このレポートは、先の大陪審の判断と同様、レジデントに対する監督不足を指摘しています。また、「労働時間は週平均80時間以内に抑えるべき」として、具体的に「80」という数字を提示したのもベル委員会が初めてでした。さらに、レジデントがアルバイトをする場合は、その時間を合算して労働時間とすること、州がこのシステム改革に対して十分な予算を支出することも求めました。

 このベル委員会の提言を受け、1989年にニューヨーク州において、レジデントの労働時間を週平均80時間以内とし、さらに連続24時間以上の労働を禁止する条例405号(通称リビー・ジオン条例、ベル条例)が施行されるに至ったのです[3]。リビー事件から5年後のことでした。


人は誰でも間違える(1999年)

 ところで、リビー事件が起こった1970、80年代は、どういった時代だったのでしょうか。医療界に限らず、この時代に起こった大事件や大事故として、皆さんは何を思い浮かべますか。この時代には、スリーマイル島原子力発電所事故(1979年)、日本航空123便墜落事故(1985年)、チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)など、業界を問わず大きな事故が立て続けに起こり、「ヒューマンエラー」という概念が認識され始めました。医療界においても、1984年のリビー事件以降、1980年代後半から「研修医の過労・睡眠不足」に関する医学論文が発表されるようになりました。

 こうした流れの中、1991年に発表されたハーバード大学のグループによる報告は、大きなインパクトをもたらしました。彼らは、ニューヨーク州の51の病院から、リビーが亡くなった1984年の入院記録のカルテ約3万を無作為に抽出し、レビューしました。その結果、有害事象は入院件数の3.7%で見られ、そのうちの27.6%は怠慢や過失(negligence)に起因するものだと推定しました。また、有害事象の件数のうち、2.6%の患者は永久に障害が残り、13.6%の患者は死に至ったと推定しました[4]。この研究結果は、様々な論議を巻き起こしました。

 ユタ州やコロラド州でも同様の追試が行なわれ、ほぼ同様の値が導き出されました[5]。これらの結果を考慮すると、1997年には医療過誤のために毎年4万4000人のアメリカ人が死亡し、死亡原因として自動車事故、乳癌、エイズよりも多いと報告されるに至ったのです[6]。

 ではこの時期、アメリカは国家としてどのようにこの問題に対応していたのでしょうか。アメリカ医学研究所(Institute of Medicine;IOM)は、アメリカ科学アカデミー(National Academy of Sciences)の一部として1970年に設立された研究機関です。IOMの設立目的は、医療や科学における問題を分析し、国および政府機関に対して勧告を出すことにあります。1988年には、IOMの中に、「医療の質委員会」(Quality of Health Care in America Committee)が設立されています。

 折しもこの時期には冷戦が終わり、1992年の大統領選挙では内政問題が争点となって、ジョージ・H・W・ブッシュからビル・クリントンへと政権が移りました。クリントン大統領は皆保険制度(universal health care)の導入を目指しますが、1980年代からの急激な医療訴訟の増加と、それを受けた医療費の高騰にも頭を悩ませることになります。

 そうした時代背景にあって、IOMはこれらの悪循環を断ち切るため、とりわけ患者安全につながる指針を示すべく、1999年に「To Err is Human」(人は誰でも間違える)というレポートを発表しました[7]。このレポートでは、人は誰でも間違えることを前提としてエラーから学ぶために、医療におけるエラーの報告システムを構築することなど、いくつかの提言が述べられています。このレポートには日本語訳があるので、興味のある方はぜひ読んでみてください[8]。

 このレポートによって人々は、医療の分野においてもエラーが起こると認識するようになりました。図1は、医学系論文で「medical error」という語がどの程度使われているかを検討したものですが、「To err is human」の発表以降、「medical error」の概念が飛躍的に広がっていったのが分かっていただけると思います[9]。
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 そして「To err is human」の発表から遅れること4年、2003年になってようやく、卒後医学教育認定評議会(Accreditation Council for Graduate Medical Education;ACGME)が80時間労働規制を施行するに至りました。1984年にリビー事件が起こってから、20年近くの年月がかかったのです。


連邦政府の動き(2001年〜)

 さて、「To err is human」の発表後、中央の連邦政府の動きに変化はあったのでしょうか。2001年、政権は民主党のビル・クリントンより共和党のジョージ・W・ブッシュへと移りました。このブッシュ政権下の2001、2003、2005年の3回にわたって、民主党のジョン・コニャーズ下院議員(ミシガン州)とジョン・コーザイン上院議員(ニュージャージー州)によって、「患者と医師の安全保護法案」(Patient and Physician Safety and Protection Act)が議員立法として提出されました。

 この法案は、1)アメリカ社会保障法を改定してレジデントの労働時間制限を設けること、2)保健福祉省長官に対して、医師卒後教育プログラムがレジデントを監督し、また患者に対する医療の質を保証するための条例を作ること、3)労働時間規制の違反を告発する者を保護すること、4)各病院に対して本法を遵守するための必要予算を配布すること、という内容でした。

 しかし、3度の法制化の試みはいずれも成立に至らず、そうしているうちにACMGEがより実行力のある80時間労働規制を施行するに至ったので(2003年)、今後も連邦政府に対して引き続きこの法案が提出されるかは定かではありません。


リビー事件の本質は何か?

 アメリカでもリビー事件というと労働時間問題の視点から語られることが多いのですが、それに対して懸念を抱いている人がいます。それは、ベル委員会の委員長であったベル医師まさにその人です[10]。ベル医師は、患者ケアの向上は、レジデントの労働時間制限からではなく、監督(supervision)によって生じると主張しています。

 事実、同様の監督不行届に起因する事件はまた繰り返されました。2003年、アメリカ最大級の肝臓移植プログラムをもつ、ニューヨーク州のマウントサイナイ病院で、生体肝臓移植のドナーが術後に死亡する事故が起こったのです。ニューヨーク州の立ち入り検査の結果として分かったことは、卒後1年目のインターンによって術後の患者管理が行なわれており、さらに彼女は他に36人の患者を受け持っていたのです。この事故は、他に看護師の不足などの要因も関係したのですが、マウントサイナイ病院の肝臓移植プログラムは閉鎖に追い込まれました。

 ベル委員会のレポートでは、急性期病院で患者ケアの責任を持つのは専門医資格のある指導医であること、また、病院内での指揮系統、とりわけレジデントが自立して行なうことのできる医療行為と、監督下で行なわなければならない医療行為の区切りを明確化することを求めています。しかしながら、ACGMEの労働時間規制でもIOMの「To err is human」のレポートでも、レジデントの医療行為に対する指導医の監督責任が明らかにされていないことをベル医師は批判しているのです[11]。

 今回のブログでは、1984年のリビー事件から始まり、1999年の「To err is human」を経て、2003年のACGMEによる80時間労働時間制限に至るまでの流れを解説してきました(ご参考までに、、「medical error」に関する重要イベントをまとめた年表を、表1にまとめました)。

 次回は、レジデントの労働時間を制限したことによって、医師のキャリアプランや医療の供給体制にどのような変化があったのかを解説したいと思います。


表1 米国医療界における「medical error」に関する重要イベント

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《まとめ》

1)1984年に起きたリビー事件をきっかけとして、レジデントが過労や睡眠不足下で働いている労働環境が注目されるようになった
2)患者に安全な医療を提供するためには、レジデントが指導医から十分な監督を受けることが必要である
3)1980年から1990年にかけて、医療の分野においてもヒューマンエラーに起因する事故が起こり得ることが認識され、「medical error」という概念が誕生した

 追記
 シドニー・ジオン氏は、2009年8月2日、ニューヨークの病院で亡くなりました。享年75歳。


【References】

[1]http://law.jrank.org/pages/3630/Zion-v-New-York-Hospital-1994-95.html
[2]http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/11/24/AR2006112400985.html
[3] New York State Law and Regulations,Section 405.4(b)(6)(ii)
[4] Brennan TA,Leape LL,Laird NM et al:Incidence of adverse events and negligence in hospitalized patients:results of the Harvard Medical Practice Study I,N Engl J Med.1991 Feb 7;324(6):370-6.
[5] Thomas EJ,Studdert DM,Burstin HR et al:Incidence and types of adverse events and negligent care in Utah and Colorado,Med Care.2000 Mar;38(3):261-71.
[6] To Err is Human,Executive Summary,pp1-2.
[7] To Err is Human:Building A Safer Health System,1999.Institute of Medicine.
[8] リンダ・T・コーン他編:人は誰でも間違える―より安全な医療システムを目指して,日本評論社,2000.
[9] Nagamatsu S,Kami M,Nakata Y:Healthcare safety committee in Japan:mandatory accountability reporting system and punishment,Curr Opin Anaesthesiol. 2009 Apr;22(2):199-206.
[10] Bell BM:Resident duty hour reform and mortality in hospitalized patients,JAMA.2007 Dec 26;298(24):2865-6.
[11] Bell BM:Reconsideration of the New York State Laws Rationalizing the Supervision and the Working Conditions of Residents. Einstein J. Biol. Med. 2003; 20:36-40.

※ウェブサイトは2009年12月3日にアクセス確認。
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