2010年05月05日

躍動するトロント小児病院――その力の源泉は?

堀越裕歩
(トロント小児病院 小児科感染症部門・クリニカルフェロー)



 私の働いているトロント小児病院は、世界的に有名な小児病院の一つです。北米にある他の小児病院と比べても、国際性が際立っていることが大きな特色で、臨床フェローの約半分を外国人が占めています。言葉の壁や外国人医師受け入れ体制の違いなどがあるとはいえ、日本では考えられないことです。
競争と選抜から生まれる多様性

 外国の医学部を卒業したフェローの場合、卒後5〜10年目くらいの医師がほとんどです。

 もちろん誰かれ構わず採用されるわけではなく、まずは科の選考があり、その後に病院全体としての選考が待っています(2段階選抜)。科によっては、毎週のように応募者から履歴書が送られてきます。私の所属する小児感染症科でも、採用の時期になると多くの志望者が世界中から面接に訪れますが、残念ながら、採用されるのはその中の1〜2人だけです。そして、各科がフェローの採用希望を病院に提出し、科の間で採用枠の配分が行なわれるのです。各科のプログラムディレクターは、自分の科で採用をしたいフェローを病院に推薦して、有給枠を勝ち取ろうとします。

 こうした応募者間の競争とシビアな選抜が、病院の国際性と人材の質を担保しているのだと言えるでしょう。実際、ここ数年の間に私の同僚となった感染症科フェローの出身国を見ても、イギリス、アイルランド、スイス、ペルー、サウジアラビア、オマーン、マレーシア、シンガポール、タイ、パキスタンなど、とても国際色豊かです。そのため職場では、いろいろなアクセントの英語が飛び交っています。

 とはいえ、昨今の経済事情により、大口の寄付金が減って(後述するように、カナダの病院にとって、寄付金は大きな収入源なのです)、人件費が削減対象になっているため、特に有給の外国人枠は減らされています。医師の世界にも、不景気の波が押し寄せているのです。

 私もトロントに来る前は、「カナダは共用語が英語とフランス語だけど、フランス語しかできない患者がいたら大変だなあ」と心配していたものでしたが、実際にはウルドゥー語(インド北部)や広東語しか会話できない患者の方が圧倒的に多いのには驚きました。こうした患者とは、通訳や家族を通してコミュニケーションを取ります。後で分かったことですが、トロントはカナダの中で英語圏に属するので、アフリカなどのフランス語圏から移民して来たばかりの一部の患者を除けば、臨床でフランス語が必要になることはほとんどありません。

 トロントは国際都市を標榜していて、多様な人種の共存をとても重要視しています。実際、移民を多く受け入れており、市の人口の半分くらいが移民です。ですから、トロント小児病院も、街の国際性がそのまま反映されています。


古さと新しさを併せ持つトロント小児病院

 トロント小児病院の歴史は古く、1875年、看護師のエリザベス・マックマスターが子どもの治療のために11部屋を借りたのが始まりだとされています。

 トロント小児病院が現在の住所に移動したのは1951年で、1993年には旧病院に隣接して新病院が建てられました。病棟は新病院に移され、旧病院の建物は医局や外来として使われています。感染症科の医局も旧病院にありますが、間取りは昔の病室の大部屋を思わせるもので、医局のそばのトイレにシャワーが残されているなど、随所に旧病院の病室の名残りがあります。

 旧病院の建物の正面玄関を入ると8階の高さまでの吹き抜けがあり、暗い雰囲気になりがちな病院に明るい解放感を持たせています。この吹き抜けの中に、ガラス張りのエレベーターがあり、私は毎朝、医局に行く際にこれを使っていますが、病気の子どもがエレベーターに乗ってワクワクしながら吹き抜けを見回しているのをよく目にします。

 この吹き抜けで昨年、ちょっとした事件がありました。吹き抜けの空間にワイヤーが張られ、そこを大人の大きさくらいあるブタのマスコットが行ったり来たりしていて、「空飛ぶブタ」として親しまれていたのですが、壊れて落下してしまったのです。幸い、けが人は出なかったようですが、今も撤去されたままです。何年もの間、オフィスの窓から「ブタの空中散歩」を見てきた某准教授は、「忙しいときには、のんきな様子のブタがねたましかったけれど、いなくなると寂しいね」と言っていました。

 吹き抜けのブタのマスコット以外にも、できるだけ病院らしくない明るい雰囲気にしようという工夫が随所に凝らされています。方々の壁に描かれた絵も、明るい雰囲気を醸し出して子どもたちを励ましています。

【在りし日の「空飛ぶブタ」(flying piggie)。】
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充実した医療スタッフ

 トロント小児病院の病床数は265床で、そのうち循環器を含めた集中治療室が約50床、NICUが約40床で、病床の3分の1が集中治療に当てられていることになり、市中病院では診ることのできない重症の小児の診療に力点が置かれています。医師は約620人、その他の医療スタッフは約5200人おり、年間の外来患者は約30万人、入院患者は約1万2000人、手術件数は1万1000件です。

 トロント小児病院の病室は、いくつかの観察部屋を除いては個室中心です。看護師1人当たりの受け持ち患者は3〜4人程度までで、病棟に重症の小児が入れば1対1で対応することもあります。この看護体制は、24時間を通して維持されます。

 看護師は、採血、点滴確保から、薬の経口または経静脈の投与まで、たいがいの手技をこなしてくれます。特に小児科での点滴確保は、日本では「小児科医の腕の見せどころ」といわれるほど難しいことが多いのですが、それを看護師に行ってもらえるので、医師はとても助かると思います。

 医師や看護師以外の医療スタッフも充実していて、例えば呼吸の問題があれば呼吸療法士が来てくれるので、呼吸器の細かい設定などについて医師が指示を出す必要はほとんどありません。医師は治療方針の決定や指示に専念できるのです。

 そのほか経済的・社会的な問題があれば、数多くいる医療ソーシャルワーカー(MSW)を呼ぶことができます。感染症科にも専属のMSWがいますが、大学院レベルのMSW修士号を取っていて、とても優秀です。退院に際して在宅ケアを要する慢性疾患患者がいれば、退院準備の担当スタッフが在宅訪問看護などとの連携を取ってくれます。事務仕事は病棟ごとにいる医療事務にお任せです。

 そのほか、日本ではあまり普及していないチャイルドライフスペシャリストは、いろいろな処置が必要な子どもたちが快適に過ごせるようにしてくれますし、病院専属のピエロ(クリニカルクラウン)までいます。

 私が以前勤務していた国立成育医療センター(現・国立成育医療研究センター)は、日本の小児周産期医療のナショナルセンターとして、病床数としてはトロント小児病院の約2倍弱の460床を有しています。外来や入院の患者数はそれほど変わらないか、やや少ないくらいだと思います。ところが医師の数は、研修医を含めてトロント小児病院の半分以下、その他の医療スタッフに関してはさらに少ないでしょう。いかに人的資源が日本と違うか、いつも考えさせられます。

 またトロント小児病院の予算規模は年間約565億円で、そのうち約6割が保険収入、約2割が寄付によるものです。加えて、病院に併設する研究施設の予算は年間約140億円、約2000人のスタッフを抱え、年間1500本くらいの査読雑誌掲載論文を発表しています。

 このように、予算とスタッフの数では、日本の小児関連医療施設は勝負になりません。


経営者的才覚が求められる病院長

 カナダでは日本とは違って、医師でない病院長が少なくありません。こちらの病院長は、どちらかと言うと経営者的才覚が求められます。トロント小児病院の病院長は元NICUの看護師ですが、2007年と2008年にカナダで最も影響力のある女性の一人に選ばれた“すご腕”で、トロントの優秀な社長に贈られるビジネス賞も受賞しています。

 あるとき病院長が全職員に宛ててEメールを送り、「経済不況で病院経営は厳しいが、当院では医療の質は絶対に落とさない」と宣言した上、州の予算が軒並みカットされる中で、州の保健省からしっかりと予算増額を勝ち取ってきたのには感心しました。

 これだけの寄付が集まる理由の一つは、寄付金の税制優遇にあります。特に大口の寄付者にとって、税金の代わりに、自分が支援したい事柄に寄付できるメリットがあるのです。

 病院の側も、あの手この手で寄付を募ります。有機野菜のマーケット、宝くじ、絵画のオークション、ATMの手数料…。こうして並べてみると何のことか分からないでしょうが、これらはすべてトロント小児病院内で行なわれている寄付金集めの手段です。日本人の私は、正直なところ「そこまでしなくても」と感じましたが、医療の質や研究のために予算を確保しようとする必死さには驚かされました。

 予算があっても、時間がなければ十分な研究をすることはできません。トロント小児病院では、日本のように診療が終わった後の夕方から研究に取り組むのではなく、「臨床業務をする時間」「研究をする時間」「教育に当てる時間」などが明確に分けられていて、各スタッフが契約に従ってそれぞれに従事しています。感染症科の場合、2〜4週単位で臨床業務の割り当てがあり、それ以外の期間は、HIV、先天性感染症などを対象とする特殊外来を除いて、臨床から解放されます。

 研究のためのスタッフ数もしっかりと確保されています。例えば、小児科の各専門科(小児循環器科、小児神経科、小児感染症科など)には、教授を筆頭として(前教授が在職なら名誉教授もいます)、科にもよりますが准教授が2〜3人、助教授(日本でいうところの講師に近いかもしれません)が4〜5人、その下にフェローがいます。フェローの数も科によって異なり、小児感染症科では13人ですが、腫瘍科などの大所帯では50人近くいます。さらに秘書やアシスタント、リサーチフェロー、大学院生、医学生などが研究を支えます。必要があれば、臨床研究センターやトロント大学の医学統計部門など、外部の組織からも様々な研究サポートを受けることができます。

 トロント小児病院に来て以来、「日本の小児病院との違いは何ですか?」とよく聞かれるのですが、真っ先に思い付くのが「医療スタッフの豊富さ」でしょう。スタッフが多い、つまり人にかける予算が潤沢なのです。また、研究・教育にも多くの予算を割いています。一方、建物やCTなどの検査機器、つまりハードウェアに関しては、日本の病院とそれほど変わりません。日本でも、アカデミックな仕事をする医療者たちが少しでも働きやすいように、人や研究・教育に多くの予算を配分してほしいと思っています。
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