2010年10月03日

プロポフォールが足りない!―アメリカの危うい医薬品供給体制


岡野龍介
インディアナ大学麻酔科
アシスタント・プロフェッサー


 インディアナ大学病院手術部には、薬剤師が常駐する薬剤部の出張所があります。手術部で使用する薬剤はすべて、ここから供給されます。ある朝、そこの窓口に次のような張り紙が貼られました。

 「全米でプロポフォールが不足。20 mLバイアルはもうありません。プロポフォールは薬剤部で20 mL注射器に小分けしてお渡しします」okano10-1.jpg


【クリーンベンチで清潔操作を行っている薬剤師。昇圧剤、インスリン、抗菌薬などの点滴用薬剤は、手術室内の薬局出張所で調製し、オーダーから数分で手渡してもらえる。】

 2009年の秋ごろから2010年の春にかけて、プロポフォール、チオペンタール、サクシニルコリン、シスアトラキュリウム、ベクロニウム、エフェドリンといった、麻酔に必要な基本的な医薬品が、全米で次々に供給不足に陥るという事態が発生しました。中でも、プロポフォールの供給不足は深刻なものでした。

 折も折、マイケル・ジャクソンがプロポフォールの過量投与で死亡するという事件があって間もないときですから、このプロポフォール供給不足に関しては様々な憶測が飛び交いました。アメリカほどの先進国で、麻酔や鎮静の75%に使用されている普遍的な医薬品が、なぜ突然、供給不足に陥ったのでしょうか?


プロポフォールの度重なるリコール

 プロポフォールの供給不足という事態は、そもそも2009年7月にTevaという製薬会社が生産を一時停止しなければならなくなったことに端を発します。このとき、アメリカのプロポフォールは、Teva、Hospira、APPの3社による供給体制でした。Teva社製のプロポフォールの投与を受けた患者が感冒様症状を呈し、原因としてバイアル内への高濃度のエンドトキシン混入が疑われたため、同社は生産を一時中止してリコールをかけました[1]。

 それから3カ月の2009年10月、今度はHospira社が、プロポフォールのバイアル内に金属片が混入したとして、製品のリコールおよび生産の一時中止を行いました。度重なるリコールのために、アメリカ国内のプロポフォールの流通在庫は25%以上減少し、不足が深刻になっていきました[1][2]。

 ASA(アメリカ麻酔学会)は、この事態を受けて、2009年11月に次のような声明を発表します[3]。

 「プロポフォール不足に対処するため、チオペンタール、メトヘキシタール、ケタミンやエトミデート等の代替薬の使用を勧告する。FDA(アメリカ食品医薬品局)は現在プロポフォールの緊急輸入を検討している。プロポフォールの大きなバイアルを小分けして使用するに当たっては、薬剤師による厳格な清潔操作を行うこと。待機手術は延期を考慮すること。薬局や卸業者はプロポフォールの買い占めを行わないこと」

 2009年末になってFDAは、欧州系の製薬会社であるAPP社に、欧州からのプロポフォールの緊急輸入を許可します[1][4]。これによって事態はいったん沈静化するかに見えましたが、2010年の3月にHospira社製のプロポフォールのバイアル内に再び金属片が混入し、同社はまたリコールと生産一時停止に追い込まれます[1]。

 さらに追い打ちをかけるように、Teva社は2010年4月中旬にプロポフォールの生産を完全に中止し、5月27日にはプロポフォール生産からの撤退を正式に表明します[5]。理由は「プロポフォールは製造が困難なうえ、利益がほとんど得られないため」というものでした。当時Teva社は、アメリカにおけるプロポフォールのマーケットシェアの40%を占めていました。Teva社の撤退によって、アメリカでのプロポフォールの供給元はHospiraとAPPの2社のみとなってしまいました。翌6月にHospira社が金属片混入問題で3度目のリコールを余儀なくされるに及んで、いよいよプロポフォール不足は長期化の様相を呈してきました[6]。


Teva社撤退の背景に「ネバダ肝炎訴訟」

 実は、Teva社の撤退発表のわずか20日前の2010年5月7日に、同社は「ネバダ肝炎訴訟」で敗訴し、販売元のBaxter社と共に、ネバダ州の懲罰的損害賠償請求で過去に類を見ない、総額5億ドル(Teva社に3億5600万ドル、Baxter社に1億4400万ドル)という高額な賠償金の支払いを命ぜられていました[7]。Teva社は、「リコール問題や今回の敗訴はプロポフォール製造からの撤退とは直接関係ない」としていますが、経営判断に少なからぬ影響を与えたと私は思っています。

 「ネバダ肝炎訴訟」とは、ネバダ州の62歳の男性が、「Desert Shadow 内視鏡センター」で2006年に受けた大腸内視鏡検査後にC型肝炎に感染したのは、プロポフォールの製造元のTeva社と販売元のBaxter社に責任がある、として連邦地裁に訴えていたものです。この内視鏡センターは、検査の際にTeva社製の50 mLバイアル入りプロポフォールを鎮静薬として使用していました。

 50 mL入りのプロポフォールのバイアルというのは、通常はICUでの鎮静や長時間にわたる手術時の静脈麻酔として、微量注入ポンプを用いて投与するもので、内視鏡センターの外来でたかだか10〜20分の軽い鎮静を行うには明らかに大き過ぎます。プロポフォールの使用上の注意に「1つのバイアルを複数の患者に使用してはならない」と明記してあるにもかかわらず、このセンターでは、汚染した注射針で1つのバイアルから複数患者に小分けして投与していました。

 その結果、ネバダ州でC型肝炎患者が大量に発生したため、ネバダ州の保険局は、当該のセンターで2004年から2008年にかけて内視鏡検査を受けた約5万人の患者に、肝炎・HIVその他の血液を介する感染症にかかっている可能性があるとして、検査を受けるよう勧告を出します。汚染された注射針によるプロポフォールの投与が感染原因であると確認できたC型肝炎患者は少なくとも85人、因果関係不明のC型肝炎患者は約300人にも上りました[8]。


50 mL入りバイアルを「大量感染兵器」と訴え

 原告はまず、内視鏡検査にかかわった医師や麻酔看護師を訴えましたが、2010年4月に医療過誤保険が下りて和解しました[9]。彼は次に、製薬会社へ矛先を向けます。

 「50 mLバイアルが、この内視鏡センターでの使用に適しておらず、複数患者に小分けして投与されていることを認識していながら、この施設に警告を与えることなく、Teva社は漫然と製造し、Baxter社は漫然と販売を続けた」「50 mLバイアルはまさに(大量殺戮兵器ならぬ)『大量感染兵器』(Weapon of Mass Infection)である」と原告は訴えました[7][9]。

 プロポフォールは成分として脂質を多く含むため、微生物繁殖の温床になりやすいことは医療従事者の間では常識です。ましてや、汚染した注射針を使って、1つのバイアルから複数の患者にプロポフォールを小分けして投与するなどという行為は、明らかに医療行為の常識を逸脱しています。薬剤を不適切な方法で投与した医師や麻酔看護師のみならず、製造元や販売元にも非があるとする原告の訴えは、麻酔科の私から見てどうも首をかしげざるを得ない論理ですが、これで莫大な賠償金を勝ち取ってしまうあたりは、さすがアメリカ、法廷戦術の勝利といったところでしょうか。

 当然のことながら、Teva社は「肝炎の感染は、内視鏡センターの医師たちが不適切なプロポフォールの取り扱いを行ったために発生したのであり、プロポフォールのバイアルには、複数の患者に投与してはならないと明記してある」として控訴する構えです[7]。しかし、このネバダの内視鏡センターが絡む肝炎の訴訟は、本件を皮切りに、既に250件以上も起こされており、予断を許しません。Baxter社は既に2007年にアメリカでのプロポフォールの販売から撤退し、Desert Shadow内視鏡センターは2008年に閉鎖されました。

 さて、供給不足が始まって1年余りがたった2010年9月現在、インディアナ大学病院の医薬品の供給体制はどうなったでしょうか? プロポフォールの不足はずいぶん解消され、20 mLバイアルも戻ってきました。春先に不足していた薬剤も戻ってきているようですが、今度は利尿薬フロセミドと抗菌薬クリンダマイシンが不足しているという掲示が薬局に貼ってありました。


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【手術室内の薬局出張所と常駐の薬剤師。窓口には"Drug Alert ― Shortages"の掲示。】

麻酔薬だけでも年に1度は供給不足

 FDAによると、この10年の間に医薬品の供給不足問題は次第に深刻化してきているそうです[4][10]。供給不足の主な理由としては、(1)製造上の問題(原材料の不足、ラインの故障、リコールなど)、(2)生産打ち切り(新薬の登場、利益が上がらない)、(3)生産能力の限界(複数の薬剤が同一のラインで製造されるため、ある薬剤を増産すると他の薬剤を減産せざるを得ない)、(4)製造元の減少(特に注射薬は他の剤形に比べて製造が難しいので、すぐには増産しにくい)、(5)流通在庫が少ない――といったことが挙げられています。

 FDAの医薬品評価研究センター(Center for Drug Evaluation and Research)では、1998年から医薬品需給監視プログラム(Drug Shortage Program;DSP)を立ち上げ、2001年の9.11テロ以降、さらに体制を強化してきました[10]。製薬会社は、供給不足が見込まれるとFDAに報告をすることができます。報告を受けたFDAは、これらの情報を公開して、供給を改善すべく業界に指導を行います。ところが驚くべきことに、この報告は義務ではありません。医療従事者、さらには患者からの通報で医薬品の不足が初めて発覚することもあります。

 主要な麻酔薬の供給不足は少なくとも年に1度は発生しており、そのたびに麻酔科は必ずしも最適とは言えない薬剤の選択を余儀なくされ、麻酔の安全性が大きく脅かされているのが現実です[11]。麻酔科に直接関係のない医薬品も含めれば、1年中、常に何かの薬が供給不足に陥っています。アメリカの医療は、意外に危うい医薬品供給体制の上に成り立っているということを知ったのでした。

 薬剤部の掲示を見上げていた私の同僚は、「まぁ、いざとなったらアフリカの難民キャンプからケタミンでも逆輸入させてもらうさ」と肩をすくめました。


【References】


[1] Teva Propofol Recall Leads to FDA Warning, Drug Shortage
http://www.aboutlawsuits.com/teva-propofol-warning-letter-9927/
[2] Valerie Jensen, R.Ph., and Bob A. Rappaport, M.D.: The Reality of Drug Shortages ― The Case of the Injectable Agent Propofol, NEJM, June 16, 2010.
http://healthpolicyandreform.nejm.org/?p=3562
[3] Update: Propofol and Thiopental supply information and Listen to recording of ASA/FDA call from 11/06
http://www.asahq.org/news/asanews110909.htm
[4] Questions and Answers on the Propofol Shortage
http://www.fda.gov/Drugs/DrugSafety/DrugShortages/ucm209227.htm#Q6
[5] Teva Exits Propofol Market - Move, which leaves two U.S. suppliers, seen exacerbating ongoing shortage: Anesthesiology News, May 28, 2010:
http://www.anesthesiologynews.com/index.asp?show=swatch§ion_id=175&issue_id=633&article_id=15211
[6] No Relief for Propofol Shortage
http://www.outpatientsurgery.net/news/2010/06/3
[7]Cara McCoy: Plaintiff: $500 million ‘exactly what was needed’ to make statement in hepatitis C case
http://www.lasvegassun.com/news/2010/may/07/jurors-reach-verdict-over-hepatitis-c-damages/
[8] Las Vegas Endoscopy Clinic Lawsuits
http://www.aboutlawsuits.com/las-vegas-endoscopy-clinics-132/
[9] BRIAN HAYNES: ENDOSCOPY CENTERS: Lawyer targets drug companies during closing arguments in hepatitis C trial - Lawyer calls drug vials 'weapons of mass infection'
http://www.lvrj.com/news/lawyer-targets-drug-companies-during-closing-arguments-in-hepatitis-c-trial-92564699.html
[10] Frequently Asked Questions About Drug Shortages
http://www.fda.gov/Drugs/DrugSafety/DrugShortages/ucm050796.htm
[11]Rhonda Rowland: Anesthesia drug shortage shrinks margin of safety
http://archives.cnn.com/2001/HEALTH/03/29/anesthesia/index.html
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