2010年11月05日

アメリカの医療保険の不思議 Vol.1

〜あなたの医療保険、自分で選べますか?〜


永松聡一郎
(ミネソタ大学呼吸器内科/集中治療内科クリニカルフェロー)

 アメリカの医療保険というと、皆様はどのようなことをご存知でしょうか? 5000万人、つまりアメリカ国民の6人に1人が医療保険を持っていないということや[1]、仮に医療保険を持っていたとしても、高額な医療費のために家財を丸ごと売って自己破産せざるを得ないこともあるという不幸話を、耳にされた方も多いかと思います。なぜそのような状況が放置され続けてきたのでしょうか?


 私がアメリカに赴任して最初に驚いたのは、雇用契約を結ぶ際に、医療保険を複数のプランの中から選ばなければならないことでした。アメリカでは、医療保険を購入するかしないか、またどのような内容の保険を購入するか、自らの責任で判断しないといけません。つまり、私たち医療消費者(患者)自らが、必要な保険を選択する「自由」を得る一方で、自らの健康に「責任」を持つことにもなるのです。

 先のオバマ大統領の当選までの経緯を見ても分かるように、医療保険の問題は根深く、医療政策の中にとどまらず、国を二分する争点にまで発展します。医療保険市場においては、なんと営利団体(for profit)の医療保険会社が存在し、非営利団体(NPO)の医療保険会社と競合しています。そして雇用主(企業)は、従業員を魅き付けようと、福利厚生としてより良い条件の医療保険を従業員に提供します。これらアメリカの医療保険制度の根本には、「租税」の問題が関係しているのです。

 このような視点で見ると、アメリカの複雑な医療事情の一面をとらえることができるのではないでしょうか。今回からのシリーズでは、アメリカの医療保険について考えていきたいと思います。


医療保険を選べることはありがたい?

 ところで皆様、医療保険にどれだけの保険料を払っているか、ご存知ですか? また、その医療保険によって、どのような内容が給付されるか、ご存知ですか? 日本では、年齢、居住地、職業、所得などによって自動的に保険料と給付内容が決まるので、普段は考える必要はないかもしれません。

 65歳以上が対象のメディケア(Medicare、全国民の14.3%が加入)、低所得者が対象のメディケイド(Medicaid、同14.1%)、退役軍人保険(Veterans Coverage、同3.8%)。これら公的医療保険に加入しているのはアメリカ国民の約3割です。残りの約7割の国民は、自分で医療保険を選択しなければなりません。そして、その大多数(全国民の59.8%)は、雇用主が準備した医療保険を購入しています[2]。そして、企業の運営する医療保険に加入するために、単身加入では年間平均5049ドル(自己負担899ドル)、世帯加入では年間平均13770ドル(自己負担3997ドル)の保険料を払っているのです[3]。

 ミネソタ大学では、職員に対して4社5種類の医療保険が用意されています。そして、各社のプランごとに保険料(掛け金)や保障内容が異なるのです。例えば、ある保険のプランは、パンフレットで次のように紹介されています。これは、どういった意味なのでしょうか?


"Coverage:Generally, 80% of the Allowed Amount after you pay the deductible, up to the out-of-pocket maximum, 100% thereafter. Deductible: $400 per person per calendar year. Out-of-pocket maximum: $2000 per person per calendar year."

和訳「保障範囲:概して、deductible(一部定額負担金)を超えた分は、out of pocket maximum(自己支払い最大額)に達するまで、80%が保障される。out of pocket maximumを超えた分は、100%を保険会社が保障する。Deductible:年額400ドル。Out-of-pocket maximum:年額2000ドル(1人当たり)」(図1参照)


【図1 アメリカの医療保険の保障範囲の例】
nagamatsu1101.gif


【表1 医療保険の保障内容に関する用語】
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 ここで「deductible」という言葉が出てきますが、これは自動車保険でいうところの免責に当たるものだと考えてください(表1)。例えば上記のプランでは、年間400ドルの医療サービスしか利用しなかったら、400ドルの全額を自己負担しないといけません。年間1000ドルの医療サービスを利用したら、400ドルを超えた分については保険会社がその80%を保証し、自己負担は400(deductible)+(1000−400)×(1−0.8)= 520ドル となります。

 そして、このプランでは20%であった自己負担率をcoinsuranceといいます。deductibleのような免責制度があると、これから自分の受ける医療サービスが低額だと予想する被保険者は受診を避けるかもしれませんので、不必要な受診の抑制につながるといわれています(モラルハザードの回避と呼ばれます)。

 「out-of-pocket maximum」とは、その名の通り自己負担分の最大額であり、日本の高額療養費制度に近いものがあります。仮に病気やけがが立て続いた場合でも、このプランにおける年間の最大支払額は2000ドルとなります。

 日本の高額療養費制度では、70歳未満の場合、月当たりの自己負担額は原則として一般所得者で約8万円、上位所得者で約15万円です(簡略化のために1%の応益負担の部分は省略)。これと比べると、out-of-pocket maximumの年間2000ドルという金額は、日本の水準と比べても極端にかけ離れてはいないことが分かっていただけると思います。


【保険の保障額を使い切ってしまったら?】

 もっとも、保険会社は被保険者に対して最大限支給する額 (lifetime maximum)を設定している場合があります。この額は、多くの場合で数百万ドル(数億円相当)に設定されており、多くの被保険者にとっては問題にはなりません。しかし、極めてまれに、集中治療室に長期間入院するなどして、数億円相当の医療費を消費してしまう場合があります。保険の契約上は、lifetime maximumで設定された医療費を消費した場合は、それを超える分は被保険者が全額負担しなければなりません。

 ただし実際は、保険会社、雇用主、医療機関が交渉した上で、雇用主が大切な従業員を守るために全額を肩代わりしたり、治験に参加することによって製薬会社・医療機器会社が全額を肩代わりしたりすることがあります。また、州が運営するstate risk poolsというハイリスクグループ集団を対象とした医療保険(制度)に加入する場合もあります。対応はケースバイケースです。

 このstate risk poolsは、high-risk insurance poolsとも呼ばれます。実はアメリカでは、疾患の既往歴があると保険に加入できない、あるいは保険が有効になるまで数カ月間待機しなければならないという場合が多々あり、大きな問題となっています。

 こうした健康上の理由で保険に加入できないmedically uninsurableと呼ばれる人たちを守るために、現在オバマ大統領の元で進んでいるhealthcare reformでもstate risk poolsを拡大しようという議論がなされています。しかし、この制度は2009年現在35州でしか運用されておらず、基本的にはハイリスクグループを集めた赤字の制度ですので、新規加入者の受け入れを停止したり(カリフォルニア州)、制度自体を廃止してしまう州(フロリダ州)もあるのが現状です[4]。

あなたはどちらの医療保険を選びますか?
 さて、突然ですが問題です。アメリカの医療保険を非常に簡略化して、2つのプランを提示してみました(表2)。皆様は、どちらのプランに加入しますか? あるいは「加入しない」という選択をしますか? アメリカではこういった判断を、毎年あるいは転職するたびに考えなければなりません。

 プランBは、プランAと比べて保険料(premium)が高い代わりに、保障が手厚い様子が分かります。そして、外来受診時の自己負担金はcopaymentという定額負担に設定されています。アメリカでは、日本のように職場や学校でまとまって健康診断をすることはなく、患者が個々に医療機関で予防のための健診を受けます。こうした予防健診については、歯科を含めて全額保障する保険が多くみられます。


【表2 アメリカの医療保険のプランの例 プランAとプランB、それとも無保険か? どれを選びますか】
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 さて、健康に自信があって保険料をとにかく安く抑えたい人は、どちらのプランを選ぶでしょうか? 保険料の自己負担額(*注)がプランAでは500ドル、プランBでは1000ドルとなりますので、プランAの方が有利となります。また、保険に加入しないという選択も考えられます。

 逆に、大きなけがや慢性的な病気などで高額な医療サービスを利用する可能性が低くないと予見できる場合はどうでしょう? 医療費が高額になった場合の患者の支払額は、プランAでは500(premium)+2000(out-of-pocket maximum)=2500ドル、プランBでは1000(premium)+1000(out-of-pocket maximum)=2000ドルとなり、給付が手厚いプランBの方が有利となります。

 では、仮に皆様が風邪を引いて、診療所に行くか行かないか迷っているとします。直ちに診療所に行ってもよいし、市販薬を飲んでもう1日我慢できるかもしれません。プランAとプランBのいずれに加入しているかで、そうした判断に違いは出るでしょうか?

 アメリカの診療所で診察を受け、検査や投薬を受けた場合、数百ドルかかることはよくあります。プランAの場合、deductibleの400ドルに達するまでは全額自己負担しないといけません。一方、プランBの場合は25ドルの負担で済みます。よって、プランAとプランBを持っている場合で、診療所を受診するか否かの判断に差が出るかもしれません。

 このように、deductible(一部定額負担金)、coinsurance(一部負担割合)、copayment(一部定額負担金)などのパラメーター(数値や割合)が変化することによって、患者の受診動向に影響が出ることが想像できるかと思います。しかし、患者の受診動向は、本当に自己負担額によって左右されるのでしょうか?

*注 保険料の自己負担という表現に違和感を覚えた方もいるかもしれません。日本では政府管掌健康保険と多くの全国健康保険協会管掌健康保険では、原則として労使50対50の割合で保険料を折半し合いますが、例外もあります(健保組合は負担割合を変更することができます)。アメリカの雇用主も保険料負担割合を自由に設定することができるので、労働者の負担がほとんどない場合も、逆に大きい場合もあります。この件については、税のシステムとも絡んでくるので、別の機会に解説します。

 驚くべきことに、1970年代のアメリカにおいて、医療費の自己負担率(coinsurance)を0%、25%、50%、95%の4群に無作為に割り付けることによって、実際の患者の受診動向が変わるかどうかを調べる研究が行われました。次回は、10年以上を費やして行われた、この全米最大規模の社会科学実験を紹介します。

<<まとめ>>
1) アメリカの医療保険は、保険会社によって多様なプランが設定され、どのプランに加入するかは個々で判断しなければならない。
2) 既往歴のために医療保険への加入を断られた人は、ハイリスクグループを対象とした公的な保険に入れる場合もある。


【References】

[1] Income, Poverty, and Health Insurance Coverage in the United States: 2009.
[2] DA Austin, TH Hungerford: The Market Structure of the Health Insurance Industry. Congressional Research Service 2009.
[3] Kaiser/HRET Employer Health Benefits Survey 2010.
[4] Health Insurance: Enrollment, Benefits, Funding, and Other Characteristics of State High-Risk Health Insurance Pools. U.S. Government Accountability Office. July 22, 2009.
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