2010年11月25日

ハムスターの滑車

診療サイドから見たドイツ医療保険制度の特徴

馬場恒春
ノイゲバウア-馬場内科クリニック(デュッセルドルフ)

 前回は被保険者側から見たドイツの医療保険制度について紹介しました。私たち診療側の視点から見ても、ドイツの医療保険制度にはいくつかの特徴があります。
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【医療ビルの玄関に掲げた当クリニックの看板です。】


ノートラインの家庭医の請求上限は30ユーロ(患者1人1四半期当たり)


 第1の特徴は、1980〜90年代にかけて導入された治療費定額制です。疾患ごとに入院治療費が決まっているため、最も効果的で費用が安い治療法を選ばざるを得ません。ちなみに私が旅先で余儀なくされた(前回参照)虫垂炎の手術では、入院3日までの診療費は疾病金庫(Krankenkasse)から病院に支払われます。それよりも退院が延びた場合は、特別な理由がない限り、超過分は病院側が負担することになります。

 開業している家庭医では、受け持ちの公的医療保険患者数がおおよそで決められ、その全体に対して処方できる薬の上限額も四半期当たりの予算(バジェット)として決められています。例えば、受け持ち公的医療保険患者が600人程度と設定されている開業医は約5000ユーロと「推定」されます。この額は四半期ごとに若干変わり、前もって知ることはできません。バジェットを超えると診療側の負担となります。

 この制限は過剰処方の抑制やジェネリック薬の市場拡大を後押ししています。ジェネリック薬のメーカーを指定する大手疾病金庫もあります。ただし、高額な薬剤でも、2カ所の専門医(たいていは大学病院)に必要性を認められた場合には、例外的にバジェット外の扱いとなります(例えば、肺高血圧症に対するシルデナフィル)。

 さらに、私のクリニックがあるデュッセルドルフが属するノートライン地域の場合、診療科としての家庭医が公的医療保険患者1人当たりに請求できる診療報酬の上限は、診察回数にかかわらず四半期当たり30ユーロと、かなり低い額に制限されています。なお、ノートライン地域ではこの上限とは別に、3カ月に1度の呼吸機能検査(1ユーロ)、3カ月に1度の腹部超音波検査(3ユーロ)、年1回のインフルエンザ予防接種、10年ごとの破傷風予防接種については請求でき、糖尿病、慢性閉塞性肺疾患、虚血性心疾患についても1疾患当たり8ユーロを上乗せできます。

 次項に述べる診療報酬予算制の影響もあり、公的医療保険患者のみの診療では、たとえ患者が増えても苦しい経営を余儀なくされます。反面、民間医療保険(プライベート)の患者に対してはより自由な診療が可能です。


ユニークな公的医療保険の診療報酬予算制


 第2の特徴は、診療報酬の予算制です。公的医療保険である疾病金庫の連合会は、ドイツ全国に17ある公的医療保険医の団体(Kassenaerztliche Verreinigung)と毎年契約を結び、翌年の診療報酬の総額を決めます。保険医への診療報酬は、この公的医療保険医の団体を介して分配されます。

 診療点数が前年同期から規定のパーセント以上増加したり、全体の平均値より規定のパーセント以上超過していたりするときは査定の対象となり、そのような診療を行った医師に対しては、基準超過の部分が減額された形で診療報酬が支払われることになります。

 こうしたシステムが意味するところは、診療点数の増加が診療報酬の増加に必ずしも結び付かないということです。総枠が決まっているため、多くの保険医が診療点数を増やすと、点数当たりの報酬が減ることになります。

 経営状態を改善させようと一生懸命努力しても、収入はいっこうに増えない――。こんな状況は、「Hamsterradeffekt」(ハムスターが走って回す滑車)にたとえられることがあります。開業医の士気の低下にもつながりかねないことから、見直しも検討されています。


同じ診療でもプライベート保険では最大2.3倍の請求が可能


 第3の特徴は、同じ診療をしても公的医療保険とプライベート保険では請求額が違うことです。プライベート保険の患者に対しては、公的医療保険に比べて通常で最大2.3倍(診療上の個人的便宜 2.3倍、医療的手技 1.8倍、血液検査 1.15倍)までの請求をすることができます。当事者間で文書での合意が得られていれば、最大3.5倍(診療上の個人的便宜3.5倍、医療的手技2.5 倍、血液検査1.3倍)の請求も可能です。

 近年では公的医療保険から得られる診療報酬が年々減ってきているため、診療側もプライベート保険の患者の診療を好む傾向がみられます。実際に都市部では、プライベート保険の患者だけを診察する、プライベート保険の患者だけの診察日を設ける、プライベート保険の患者の待ち時間を短くするといったことで、プライベート保険の患者獲得に努力しているところも少なくありません。


プライベート保険なら“心付け”の心配も不要

 日本の大学病院に在籍していたころ、「どこそこの某教授に手術をしてもらいますが、お礼はいかほどにすればいいですか?」と聞かれて返答に困ることがありました。この点、ドイツでは非常にすっきりとしています。

 診療をした部長・教授は、プライベート保険の入院患者に対しては、プライベート保険の規定で個人の取り分として認められている上限内での請求書を送り、支払いを公に受けることができるシステムになっています。日本におけるいわゆる“心付け”を請求する権利は法律で認められており、多くの場合は病院が事務処理を代行してくれています。

 さて、前回の冒頭の話に戻ります。虫垂炎で旅先の病院にかかり、術後3日目の朝を迎えた私。早くも退院の話が持ち上がりました。「では、そろそろ退院を」

 私は驚きました。「えっ、この状態でどうやって自宅までの500kmを帰るの?」

 冷静になろうとして病院の庭を這うように徘徊していると、重力の影響なのか、あらぬところに水腫が…。入院は延長されることになり、しかも翌朝の回診では女性の医学生5〜6人が同行の上、その水腫を診せてもらいたいとのこと。

 「もっ、もう元気になりました」と機先を制した私は、家内に処置を頼むようにと渡された抜糸用のディスポのメスを拝受し、友人に支えられながら逃げるように帰途についたのでした。

 次回は、ドイツの専門医制度と家庭医について紹介したいと思います。
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