2010年11月25日

公的保険と民間保険が共存すると…

馬場恒春
ノイゲバウア-馬場内科クリニック(デュッセルドルフ)

 渡独して8年。デュッセルドルフの街角に小さな内科クリニックを構え、欧州在住歴云十年の先輩方(私より年下の先輩もいらっしゃいますが)の激励を頂戴しながら医業を行っています。

 明治の初期にドイツの医学と医療制度を取り入れ、国民皆保険と経済成長の歯車が上手く合ったこともあり、日本は今や世界最高の長寿国になりました。しかし最近は、その医療制度も課題が目立つようになっています。日本の多くの医療者の目がアメリカに向けられる昨今、本家本元のドイツの医療制度が、今日に至るまでどのように発展・進化してきたか、数回に分けて紹介したいと思います。初回と第2回はドイツ医療の根幹、医療保険制度についてですbaba1010.jpg

【2011年1月から当クリニックで始まる人間ドックに参加する放射線科チームと。左端の一番メタボなのが筆者、その横が家内。】


初診で最初の質問、「あなたのクランケンカッセは?」

 「あなたのクランケンカッセ(保険)は何ですか?」
 「DAKです」
 「それではこちらへ…」
 50歳を過ぎてから、しかも旅先のリューベックで、不覚にもレントゲン台の上にいる私。「ついに日ごろの鯨飲馬食が災いしたか…」。ふとそんな思いが頭をよぎる。
 「虫垂炎のようですね」

 渡独3年目にして初めて医療保険カードのお世話になった日のことでした。クランケンカッセ(Krankenkasse)は、直訳すると「疾病金庫」となり、日本の健康保険組合のようなものです。DAKは、後述する公的保険の一つです。

 ドイツの医療保険は、国民の9割近く(約7000万人)が加入している公的な医療保険(Gesetzliche Krankenversicherung:ゲゼッツリッヒェ・クランケンフェアズッヒャルング、 直訳すると「法的“疾病”保険」)と、公務員、自営業者、高額所得者が選択できる民間の医療保険(Private Krankenversicherung:プリヴァーテ・クランケンフェアズッヒアルング、 通称「プライベート」)より成り立っています。国の国民皆保険の制度のど真ん中に民間保険が組み込まれているのが、ドイツの医療保険制度の最大の特徴です。

 公的保険の財源はすべて保険料のみで賄われています。保険料は年齢や性別とは関係なく所得額で決まります。 給与所得者の場合には、収入の14.9%(来年より15.5%)を雇用者と被雇用者で折半します。 収入が一定以上になると、公的保険への加入義務がなくなり、プライベート保険に移行できます(2010年度の基準額は、過去3年間の収入が連続して年4万 9950ユーロ以上)。したがって、「プライベートの患者」は富裕層という意味も持ちます。

 プライベート保険の保険料は通常月額250〜480ユーロの範囲で、 年齢、性別、持病の有無などのリスク因子を考慮して決まります。公的保険への加入義務がない人は、両者の保険料とサービス内容を比べ、自分に有利な方を選びます。いったんプライベート保険に移行すると、公的保険への逆戻りは容易ではなく、55歳以上では事実上不可能になることも考慮します。公的保険の加入義務はないのに公的保険にとどまることを、強制の公的保険に対して「フライヴィリッヒ」(任意)の公的保険と呼んでいます。

 フライヴィリッヒの意味を十分に理解しなかった私は、より安いはずだと信じていた公的保険に長くとどまり、実際にはプライベートより高い保険料を払っていました。ちなみに現在の保険料は、加入時の年齢(要するにリスク)が大いに影響し、月600ユーロ近くです。

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【ドイツの各種医療保険カード。受診の際には必ず必要となる。ほとんどがEU内で有効。】

プライベート保険は医療保険のグリーン車

 公的保険と民間保険のサービスの違いは、新幹線の普通車自由席とグリーン車指定席の違いに似ています。治療という目的地は同じでも、快適さに違いがあります。例えば、プライベート患者が入院すると、1人または2人用の個室があてがわれ、部長・教授クラスの医師の診察を受けられます。保険適用となる検査項目の幅も違います。例えば、公的保険で行う健康診断では、大腸癌のスクリーニング検査として化学的便潜血反応が用いられますが、プライベート保険の患者では最初からヒトヘモグロビン抗体法といった具合です(前者は後者に比べて安価である代わり、特異性に劣る)。


自分の好きな疾病金庫を選べる

 さらにユニークなのは、 数ある公的保険の疾病金庫の中から、自分で加入先を選べることです。同じ公的保険でも、疾病金庫によって保険料やサービス内容が少しずつ違います。かつては1200以上あった疾病金庫ですが、加入者による自由選択制が導入された1993年以降は競争が促され、現在は200前後まで減少しています。

 一方、ドイツにはプライベート保険を扱う民間保険会社が約40社あります。サービス内容は会社ごとに違い、同じ会社の保険でも契約内容によって大きく異なっています。


基本的な医療費は保険がカバー

 公的保険の場合、四半期ごとの最初の受診の際に窓口で必要となる一律10ユーロと薬剤費の一部負担(50ユーロ以下の薬は1品当たり5ユーロ、50ユーロ以上の薬は10ユーロ。したがって、長期処方の方が患者に有利。ただし、特に安価な薬では免除される)を除くと、基本的な医療費はすべて保険で賄われます。何割(自己)負担ということはありません。入院費を一度立て替えて支払う必要もありません。歯科の検診や歯石除去も保険で賄われます。

 虫垂炎で入院した私は、愚かにも当時、そのことを知りませんでした。家内が財布をデュッセルドルフに持ち帰ったと聞き、退院を前に“無銭入院”の非を問われる不安を隠せないでいたのですが、結局5日間の入院費は総額15ユーロ。なぜかもうけたような気分で退院したことを覚えています。

 一方、プライベート保険の患者では、診療費の請求書が自宅に送られてきます。その額をいったん銀行振込で支払い、請求書に支払い領収書を添えて保険会社に送ると、医療費の全額もしくは一部が償還されることになります。


眼鏡の新調、温泉旅行への給付はさすがに制限

 かつては眼鏡のフレーム新調も年に1回、公的医療保険が一部適用されていました。しかし現在では、眼鏡に対する保険適用はかなり限られたものになりました。

 また、クアハウスという温泉施設での療養が保険で賄われていた時代もありました。しかし、温泉治療に名を借りた“クア・ラウプ”休暇(ドイツでは長い休暇をウアラウプと呼びます)が激増したこともあり、1982年以降は審査が厳格化され、現在では循環器科、整形外科、精神科などの専門医が慢性疾患のリハビリ上必要と認めた場合に限られています。

 医療費の増大はもとより、東西ドイツの統合による旧東ドイツへの巨額の財政投下による国の負担が背景となり、保険適用の範囲の見直しが進んでいるのです。

 次回は、診療サイドから見たドイツ医療保険制度の特徴について述べたいと思います。
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