2010年11月25日

アメリカの医療保険の不思議 Vol.2

  医療費の自己負担の有無で健康状態は変わるか
  自己負担率を0〜95%に割り付けたRAND医療保険実験

  永松聡一郎
  (ミネソタ大学呼吸器内科/集中治療内科クリニカルフェロー)

 前回は、アメリカでは様々な医療保険が用意されており、プランごとに医療費の自己負担率(coinsurance)が異なることを説明いたしました。今回は、その自己負担率に注目します。

 一般に「患者は自己負担が大きくなると受診を控えるようになる」といわれています。臨床に携わる方でしたら、軽症にもかかわらず来院する患者がいる一方で、重症になるまで受診を差し控える患者もいるジレンマに、心を痛めたことがあるかと思います。患者のそうした受診行動と医療費の自己負担率には関係があるのでしょうか?

 驚くべきことに、医療保険の自己負担率を0%(医療費無料)から95%(ほぼ全額自己負担)まで無作為に割り付けることで、被保険者の受診動向を調べるという実験が、アメリカ政府の資金提供で行われました。


 わが国で起こっている「コンビニ受診」「救急車の無料利用」「小児の医療費無料化」「新・高齢者医療制度」といった、医療費の自己負担と患者の受診行動に関する問題を議論する際にも参考になると思うので、今回はこの全米最大規模の社会実験をご紹介します。


RAND医療保険実験の狙い

 アメリカのマネージドケアは、1973年、ニクソン政権下での健康維持機構法(Health Maintenance Organization Act)の成立を受けて浸透し始めました。1973年は、日本では第1次オイルショックや日航機ハイジャック事件が起こり、円とドルが変動相場制に移行した年でもあります。マネージドケアが導入された理由の一つは、医療費を抑制することにありました。

 当時の論点として、「仮に患者の自己負担額が無料だった場合、どれだけの医療が消費されるのか?」「逆に、 医療費の一部を患者が自己負担する(cost sharing)ことで、医療費をどれだけ抑制できるのか?」という疑問がありました。

 こうした疑問の解を探るべく、1971年、アメリカ保健社会福祉省(United States Department of Health and Human Services)がRAND研究所に資金提供し、RAND Health Insurance Experiment(RAND HIE)という保険会社を立ち上げ、冒頭で述べた社会実験を行うことになりました(RAND医療保険実験)。RAND研究所とは、軍事・国防研究で有名なアメリカの非営利シンクタンクです。

  RAND医療保険実験では、「医療が無料で提供された場合と自己負担が必要な場合とで、どのような違いが生じるか?」という疑問に答えるため、3つの問いが定められました。それは、(1)被保険者の医療サービスの利用の仕方に違いが出るか、(2)被保険者の受ける医療の内容や質に違いが出るか、(3)被保険者の健康に影響が及ぶか――です。特に3番目の問いは重要です。自己負担が増えて受診抑制が起こったために、患者の健康に悪い影響が及ぶことになったら医の倫理に反します。そこで、研究に参加する各家庭の被保険者には研究の前後で医師の診察を受けさせ、健康状態を確認しました。

  RAND医療保険実験では、1971年から1982年にかけて、都市部と地方のバランスが取れるように6市が選ばれ、その中から2750世帯、7700人の被保険者が選ばれました。各家庭には、無作為に選ばれた保険が割り付けられました(表1)。そして、3〜5年にわたって、それぞれの被保険者や家庭の健康状態、医療機関の受診頻度、医療費の変化が追跡されました。

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【表1 RAND医療保険実験において無作為に割り付けられた医療保険
( KN Lohr, et al: Use of Medical Care in the RAND Health Insurance Experiment. Diagnosis- and Service- specific Analyses in a Randomized Controlled Trial. The RAND Corporation. ―chapter 2/RH Brook, et al: The Effect of Coinsurance on the Health of Adults. The RAND Corporation.―chapter 3を元に筆者作成)】


医療費の自己負担が増えると受診抑制が起こる

 さて、医療費の自己負担と医療機関の受診の仕方には、どのような関係があったのでしょうか? 1人の患者が医療機関を訪れた回数は、自己負担がない場合は4.55回/年、自己負担率が25%、50%、95%のときは、それぞれ 3.33、3.03、2.73回/年でした(図1)。自己負担率が25%から95%へと高くなるにつれ、受診回数が約27〜40%抑制されたことが分かります。

 次に、患者の自己負担が増えるにつれて、医療費の総額はどのように変化するのでしょうか? 年間の総医療費、すなわち「受診1回当たりの医療費×受診回数」を図2に示しますが、図1とほとんど傾向が変わらないことが分かります。

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【図1 自己負担が増えると医療機関の受診が控えられる
(The Health Insurance Experiment. A Classic RAND Study Speaks to the Current Health Care Reform Debate. The RAND Corporation.―Figure 1より引用)】

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【図2 自己負担が増えると総医療費は減る
(The Health Insurance Experiment. A Classic RAND Study Speaks to the Current Health Care Reform Debate. The RAND Corporation.―Figure 3より引用)】

 実は、受診1回当たりの医療費は、各群でほとんど違いがありませんでした。つまり、患者の持っている医療保険の内容によって、過剰な治療が行われたり、逆に治療が差し控えられたりする傾向はなかったと言い換えることができるかもしれません。この結果から、患者の自己負担率が増えると医療費の総額を減少させることができ、それは患者の「受診回数」の減少によることが分かると思います。


医療費の無料化はモラルハザードを招く

 前掲のデータから、もう1つ重要なことが観察されました。図1の赤の補助線をご覧ください。自己負担率が増えるにつれて、患者の受診回数は減っていきます。この減少の割合(補助線の傾き)は、自己負担が0%から25%に増える場合、つまり無料から有料になる場合に傾きが一番急になっています。この現象を患者の立場から解釈すると、「医療サービスが無料(もしくは低額)で利用できるのなら、念のために病院に行こう」という誘因が働いていたのかもしれません(モラルハザード)。

 このことについて、研究者たちは次のように結論づけました。「個々の患者は、医療保険を持っていると、全額自費で支払う場合よりも、医療サービスの価値を本来の価格より低く見積もり、より多くの医療サービスを消費する。その結果、社会はより多くの代償を支払わなければならない」(welfare loss:厚生損失)。

 さらに、仮にアメリカ政府が無料の医療を提供した場合の厚生損失額が見積もられ、医療費の自己負担率が95%から0%へと変化した場合、厚生損失額は 370億〜600億ドルにも上ると試算されました。1984年における65歳以下の総医療費が2000億ドルだったことを考えれば、いかに大きな額であるか分かると思います。


患者が受診を控える疾患は?

 患者はどのような病気や状態のときに受診を控えるのでしょうか? RAND医療保険実験では、患者が医療機関を受診した理由を150に分類して、自己負担の程度によって違いが出るかどうか比較しました。

 また、世帯収入の多少によっても受診動向が異なると予想されたので、低所得者層(下位3分の1)と平均所得者層(上位3分の2)との比較もなされました。両者を区切るラインは「年収2万200ドル/4人世帯」に設定されました。その結果、自己負担が必要な場合、患者は表2に示されるような疾患や状態のとき、受診を控えるようになったことが分かりました。

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【表2 医療費自己負担に伴って受診が抑制された疾患・状態
(KN Lohr, et al: Use of Medical Care in the RAND Health Insurance Experiment. Diagnosis- and Service- specific Analyses in a Randomized Controlled Trial. The RAND Corporation.―table 4.3, table4.4を元に筆者作成)】

 さて、このように患者が受診を減らしたとき、受診しなくても差し障りのない、本来不必要であった受診を控えたのでしょうか? それとも、必要な受診まで控えてしまったのでしょうか?


受診抑制効果は医学的必要性にかかわらず表れる


 必要に迫られて医療機関を訪れる患者には申し訳ないですが、仮に、「受診する必要がある疾患・状態」と「受診する必要がない疾患・状態」を患者が区別できるとしましょう。「受診する必要がない疾患・状態」のときは受診を控え、「受診する必要がある疾患・状態」のときに受診することができれば、その判断は合理的だといえるでしょう。

 RAND医療保険実験では、受診の必要性の基準を「医療機関の受診で得られる治療効果」と定義し、疾患をその大小で区分しました。それぞれの疾患の例と、実際の受診抑制効果を表3に示します。

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【表3 医療費の自己負担がある群における受診抑制効果 自己負担なし群との比較。
(KN Lohr, et al: Use of Medical Care in the RAND Health Insurance Experiment. Diagnosis- and Service- specific Analyses in a Randomized Controlled Trial. The RAND Corporation.―table 5.2を元に筆者作成)】


 この結果から、患者は、医療者が意図する「受診すべきか否か」という判断基準によらず、受診効果が大きい疾患でも小さい疾患でも“一様に”受診を抑制している様子が分かると思います。日々の臨床で、「どうしてこんな重症になるまで受診しなかったのだろう?」と思わせる患者に出合ったことがありませんか? そういった場合には、医療者と患者が疾病に対する判断基準を共有しているとは限らないということを思い出していただければと思います。


受診抑制に遭いやすいのは低所得者層の小児?

 研究者たちは、医療費の自己負担が伴う場合に、所得格差が受診抑制に影響を及ぼすかどうかを分析しました。その結果、成人の場合は、低所得者層にやや強い抑制傾向があるものの、受診抑制効果は所得の多少にかかわらず、ほぼ同様でした。ところが驚くべきことに、小児の場合には大きな違いが見られました。平均所得者層の小児では受診抑制効果は低かったのですが、低所得者層の小児では大きな受診抑制効果が働いたことが分かりました(表4)。

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【世帯所得別にみた医療費の自己負担がある群における受診抑制効果 自己負担なし群との比較。
(KN Lohr, et al: Use of Medical Care in the RAND Health Insurance Experiment. Diagnosis- and Service- specific Analyses in a Randomized Controlled Trial. The RAND Corporation.―table 5.3を元に筆者作成)】


自己負担ありとなしの比較、全体の健康状態には影響しない!

 医療費の自己負担が増えることによって受診抑制が起こり、その結果として健康が悪化したら元も子もありませんし、医の倫理に反します。RAND医療保険実験では、健康に関する様々な指標が、保険加入の前後で比較されました。その一部を表5に示します。

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【表5 医療費の自己負担の有無が健康に及ぼす影響(観察期間終了後)
(RH Brook, et al: The Effect of Coinsurance on the Health of Adults. The RAND Corporation.―Chapter 3, table 5を元に筆者作成)】

 比較した結果、医療費の自己負担の有無によって健康状態を示す指標に大きな変化は表れなかったことが示されました。ただし、例外として、高血圧症のコントロールは自己負担がない場合の方が良好である(この傾向は、とりわけ貧困層で顕著)と報告されました。また、低所得者層で自己負担がない場合は、必要な歯科治療を受ける機会が多くなり、さらに胸痛、呼吸苦、出血、失神、体重減少などの危険な症状が少なくなることも報告されました。

 一方、自己負担がある群では、心血管疾患になることを恐れて健康的な生活をするようになるのではないかと予想されたのですが、結局は、喫煙率、体重、コレステロールに変化はみられませんでした。

 そして、RAND医療保険実験は次のように締めくくられました。「医療を高齢者以外に無料で提供することは、その結果として健康が増進されることが明らかではないので、正当化されるべきではない。しかし、低所得で健康状態が悪い人々に対しては、医療費の自己負担は無料にするか最小限に抑えるべきであろう」。


RAND医療保険実験から何を学ぶか?

 さて、今回のリポートはいかがだったでしょうか? この研究は、1970年代にアメリカで行われたものなので、現代の日本にそのまま当てはめるのは難しいかもしれません。

 「コンビニ受診」という言葉がわが国で聞かれるようになって久しいですが、時間外料金を徴収することで患者の自己負担を増やす施設もみられるようになりました。その一方、救急車の利用は無料のままですし、多くの自治体で小児の医療費を無料化する動きがみられます。

  RAND医療保険実験は、「医療費の自己負担がない場合は、受診回数とともに総医療費も増える」が、「自己負担の有無によって健康状態を示す指標に全体として大きな変化は生じない」ことを明らかにしました。ただし、「低所得で健康状態が悪い人々に対しては、医療費の自己負担は最小限に抑えるべき」とも提言しています。これらのバランスをどう取るべきか、今回のリポートを議論の材料の一つにしていただければ幸いです。


【まとめ】

 1970年代にアメリカで行われたRAND医療保険実験で、以下のことが観察された。
1)医療保険における自己負担率が増えると、患者の受診回数が減り、その結果として総医療費が減少する。
2) 医療費の自己負担が少ないと、患者は医療サービスの価値を本来の価格より低く見積もり、より多くの医療サービスを消費する。その傾向は、特に医療費が無料となる場合に顕著に表れる。
3) 患者が受診行動を減らす際には、受診効果の大小にかかわらず、一様に受診を減らす。
4) 受診抑制効果は、低所得者層の小児に最も強く表れる。
5) 全体として、自己負担の有無が健康状態に影響することはない。ただし、高血圧症のコントロールを要する場合、低所得で健康状態が悪い場合については例外である。


【References】


[1] The Health Insurance Experiment. A Classic RAND Study Speaks to the Current Health Care Reform Debate. The RAND Corporation.
http://www.rand.org/pubs/research_briefs/RB9174/index1.html
[2] KN Lohr, et al: Use of Medical Care in the RAND Health Insurance Experiment. Diagnosis- and Service- specific Analyses in a Randomized Controlled Trial. The RAND Corporation.
http://www.rand.org/pubs/reports/R3469/
[3] RH Brook, et al: The Effect of Coinsurance on the Health of Adults. The RAND Corporation.
http://www.rand.org/pubs/reports/R3055/
[4] EB Keeler: Effects of Cost Sharing on Use of Medical Services and Health. The RAND Corporation.
http://www.rand.org/pubs/reprints/RP1114/
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