2011年03月08日

お腹の子と一緒にUSMLE受験

萩原万里子
サウスダコタ大学内科レジデント

 はじめまして、萩原万里子です。私は5歳から10歳までをカリフォルニア州サンノゼで過ごし、帰国後は山梨大学医学部を卒業するまで日本で教育を受けました。在学中に婚約して卒業直後に結婚。横須賀海軍病院(US Naval Hospital Yokosuka)で勤務を開始しましたが、ほどなくして妊娠。ミシガン州立大学でレジデントをしていた夫の元に渡り、現地で長女(現在6歳)と次女(現在3歳)を出産しました。夫が研修を終えた後、共にサウスダコタ州に引っ越し、2010年よりサウスダコタ大学の内科研修プログラムでレジデントを務めています。アメリカ行きなんて「面倒くさい」

 さて、私がアメリカに渡ったことは、医師として、女性として、正しい選択だったのでしょうか? 正直に言うと、アメリカで臨床医として働くために夫が頑張っていた当初、怠け者の私の方はそこまでの道のりが果てしなく長く感じ、「面倒くさい」というのが本音でした。

 家族との時間を犠牲にしてまで自分のキャリアを追求したいというほどの野心はないし、寝る時間を惜しんでまで勉強するという意欲もありませんでした。アメリカへの臨床留学を志す人のように「これが学びたい」という確固とした目標がなかったことも、モチベーションを上げづらい要因でした。「日本の医療は遅れていないし、日本で医師をすれば十分」という考えが強かったのも確かです。

 こうした気持ちをなんとか奮い立たせて渡米することを決めたのは、まずは「夫と一緒にいたい」という気持ちが一番。加えて、アメリカでは研修医や女性医師の働きやすさが確保されており、夫も100%のサポートを約束してくれたという状況があったからです。もちろん、医師として働くのではなく、主婦として夫をサポートしながら生活することも可能でしたが、やはり、せっかく持っている医師免許は無駄にしたくなかったし、「頑張ればよかった」と後悔したくもありませんでした。


子どもを持つ女性医師が自立して働くために

 日本の病院で働いたことのない私が、日本の勤務医の労働環境を語ることはできないかもしれませんが、大学の先輩であった女性医師の方々を見ている限り、決して恵まれたものとはいえないように感じます。子どもを持つ女性医師がフルタイムで働くには、メンタル面のみならず、フィジカル面でのサポートも必要です。夫はもちろん、自分の親や親族も巻き込んで協力をお願いしなければなりません。それでも勤務できる科は限られ、外科などは非常に難しいでしょう。

 それに比べてアメリカの女性医師は、夫婦共に医師であろうとも、子どもが何人いようとも、家族の助けを必要とせずにうまくバランスを取って働いています。その姿を見て、私はとてもうらやましく感じました。保育園やベビーシッターの制度が整っていて安心して子どもを預けられるうえ、研修医の労働時間が法律で厳しく制限されているという環境は、日本ではまだまだ望めないようです。

 まだアメリカで働き始めて1年弱の経験ながら、こちらの職場では、仕事より子どもの面倒を優先することへの抵抗が少ない雰囲気があることが何より大きいと感じます。私の契約では、年10日の病欠が許されています(家族の介護のための休暇も含まれています)。もちろん医師ですから、休んだら誰かに穴埋めをしてもらわなければならないのですが、jeopardy(代理の勤務)といって、必ず誰かがバックアップしてくれる体制が整っています。

 勤務予定表は、だいたい2か月前にプログラムコーディネーターから送られてきます。それには自分のローテーションや当直予定以外にも、自分がいつjeopardyとなっているのかが記されています。実際にjeopardyとして呼ばれることはほとんどありませんが、その間は旅行などに出かけたりせず、病院から15分以内の場所にいることが求められています。ギブアンドテイクの助け合いで、もし自分が欠勤して誰かに代理で来てもらったら、いつかその人の代理勤務をしてお返しする、という感じです。

 上司の理解があることも大きいと思います。共働きがほとんどのアメリカでは、「育児も家事も男女平等に」という意識が強いので、「子どものお迎えに行かなければならないから、今日の外来は4時まで」とか、「この日は子どもの保護者会だからお休み」といった個人的な理由での休暇や早退が、かなり許されています(ただし、契約範囲内であることが必要です)。同僚の男性医師は、毎日5時頃になると、「今日のお夕飯は何にしようかな〜」などと言っています。彼の家庭では、彼が毎日の食事作りを担当しているようです。男の仕事、女の仕事という垣根は、アメリカではほとんど感じられません。

 私の場合も、夫が子どものお迎えに行けない日は、前もって「17時にはここを出ないといけない」と上司に断っておけば、4時55分に患者が来たとしても、上司から「帰っていいよ」と言ってくれます。その上司も、「来週と再来週は休暇で出かけているから」と、私たちに構わずいなくなってしまうことがあります。パーソナルライフを犠牲にしてまで働けとは、誰も言いません

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【勤務先のクリニックで上司・同僚と。】


研修を終えたら子どもを…。なかなか計画通りにはいきません

 私がアメリカに行こうと本格的に決心したのは夫に比べるとだいぶ遅く、医学部6年生になってからでした。それまで勉強に対してあまりまじめではなく、試験をパスできる最低限しかやってこなかった私にとって、USMLE(United States Medical Licensing Examination)の勉強なんて、考えるだけで本当にめまいがしました。6年生の夏にUSMLE STEP1の勉強を始めて、秋に受験。無事にクリアはできたものの、それまでの自分の怠惰を心底後悔しました。

 大学卒業後は横須賀海軍病院で1年間のインターン生活を始めることになりました。大学の同級生だった夫は、卒業・結婚してすぐアメリカで研修医を始めていましたので、新婚早々別居生活です。しかし、インターン中にUSMLE STEP2CK/CSをクリアし、夫と同じプログラムで研修を始めて、そのプログラムを修了してから子どもを産もうという、私たちなりのプランができていたので、「別居しても、どうせ研修で忙しいだろうからあっという間に過ぎてしまうだろう」と軽い気持ちでいました。「アメリカでの研修が終わってもまだ28歳、子どもはそれからでも…」と思っていたのです。

 ところが、そんなに何もかも計画通りにはいかないのが人生です。横須賀海軍病院での勤務を始めてすぐに妊娠が発覚! しかもひどいつわりで、仕事に支障をきたすほどでした。計画の練り直しです。もちろん妊娠の喜びはありましたが、「子どもがいても研修医はできる?」「親や兄弟、友達もいないアメリカで出産できる?」など様々な思いが駆け巡り、それまで「男と女は平等だ!」と言い張ってきた私も、さすがに弱気になってしまいました。

 どの職種でも言えることですが、働く女性が増えた現在、女性には様々な役割が求められます。それは素晴らしいことである一方、選択肢の多さに戸惑うことも多くなってしまいました。完璧な仕事人になりたい、完璧な母親になりたい、完璧な妻になりたい、どれもおざなりにはしたくない、というのは欲張りでしょうか。働く女性を取り上げたドキュメンタリー番組で「子どもを置いて仕事をすると、子どもに対して罪悪感を覚える。仕事をしないで家にいると、自分のキャリアを諦めたことの後悔が残る。完璧な答えなんてないんだ」と語られているのを見て、まったくその通りだと感じました。

 結局、ひどいつわりと切迫早産のため、インターンの仲間に迷惑をかけつつも横須賀海軍病院を退職して出産に備えることにしました。その一方で、妊娠中は出産後に比べて自由になる時間が断然あるということで、妊娠31週にしてUSMLE STEP2CKを受験しました。試験場でパソコンのモニターと1日中にらめっこしながらの受験です。お腹が大きくなって腰痛に苦しめられ、トイレが近くなり、記憶力が低下している妊娠中の勉強は、あまりお勧めできませんが…。

 このときの受験で大変だったのは、9時間の試験時間のうち休憩が1時間しかなかったことです。何とかやり過ごしたものの、妊婦にとってはつらい条件でした。大きなお腹でパソコンのモニターを前のめりで眺める姿は、はたから見れば滑稽だったでしょう。

 受験を終えてすぐ、シカゴへ飛びました。航空会社の規定では、妊娠32週からは医師の診断書がないと搭乗できないことになっていますが、私は31週6日でのフライト(ぎりぎり!)だったので、問題はありませんでした(自身も医師ですしね)。ただし、飛行中に多少は受ける(かもしれない)放射線の影響や、機内で陣痛が始まってしまった場合の対応については、前もって十分に検討しておきました。

 出発から10時間後、私の乗った飛行機は、夫が待つ空港へゆっくりと降下していきました。いよいよ、アメリカでの新しい生活が始まるのです。次回は、私がアメリカで体験したUSMLE STEP2CS受験の様子と、出産・子育て事情をお伝えしたいと思います。


【おまけの医学英語ワンポイント解説】 “code status”

 “code staus”は、容体が急変して危機的な状況に陥った場合、どのような対処をしてほしいかという希望を意味します。患者が入院したら必ず得ておかなければならない情報です。“code status”は医療者の専門用語のようなものなので、私は次のような言葉を添えて問いかけています。

 “If in a situation that your heart stops beating, you stop breathing, do you want us to do everything we can to help you? Like chest compressions, putting a tube down your throat and so on.”
(もし、心臓が止まったり、呼吸が止まったりしたら、私たちにできる限りの処置をしてほしいですか? 例えば、心臓マッサージや気管内挿管といったことですが)

 もっとも、入院していきなりこんなことを聞かれては、患者は「えっ! 私は死ぬの?」と驚いてしまうので、「どんなに軽症の患者さんでも聞くんですよ」という前置きが必要です。

 “code status”の選択肢には、次の3つがあります。ありとあらゆる蘇生処置を希望する“full code”、容態が急変して心肺停止に至っても蘇生処置を行わず自然に最期を待つ“do not resuscitate;DNR”、心臓マッサージはしてほしいけれど気管内挿管はしてほしくないなど、個々の希望に合わせてカスタマイズされた“modified code”です。

 私の勤務する病院の一つであるSanford USD Medical Centerでは、DNRまたはmodified codeの場合、心臓マッサージ、気管内挿管、点滴の使用、昇圧剤の使用などの項目が箇条書きにされたA4の紙1枚のフォーム(pdfはこちら)に、患者と医師が同意のサインをしなければなりません。医療者側が訴訟から身を守るためでもありますが、患者の容体が急変した後で本人の本当の希望が分からなくなってしまうことを避ける目的があります。

 アメリカではDNRを選択する患者が思いのほか多く、驚きました。正確な統計は取っていませんが、私の受け持つ患者では、70歳以上の方の半数以上がDNRを選択しています。
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