2011年04月24日

コスモポリタンなクリニックへようこそ


寺川偉温
ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン内科医


 ホーチミンの寺川です。前回は、なぜ私たち夫婦がベトナムへ来たかを紹介しました。今回は、ベトナムという国、ホーチミンという都市、そして私の勤務するクリニックについて紹介したいと思います。
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【全員ではありませんが、世界各国から集まった、当クリニックの医師たち(前列右端が筆者、左から3番目が妻の瑠奈です)。】


「東洋のパリ」、サイゴン

 かつてホーチミンはサイゴンと呼ばれていました。しかし、ベトナム戦争でサイゴンを拠点としていたベトナム共和国(南ベトナム)が敗れ、サイゴンはベトナムを独立へと導いたベトナム民主共和国(北ベトナム)の指導者ホー・チ・ミン(胡 志明)にちなんで改名されました。

 サイゴンは1850年頃から約100年にわたってフランスの統治下にあったため、フランス文化の影響が色濃く、フレンチコロニアルスタイルと呼ばれるおしゃれな洋風建物が至るところに見られます。熱帯気候に属し1年を通して温暖で(暑く)、火炎樹(frame tree)の花が咲き乱れる町並みの美しさは、かつて「東洋のパリ」とうたわれました。そんな町に暮らす人たちは、今でも愛着を持って「サイゴン」と呼んでいます。

 こちらに暮らす少し高齢の日本人は、今のベトナムを見て「戦後の日本のようだ」と言います。ごみごみした古い町並の中に次々と新しいビルが建っていく姿は、日本の戦後から高度成長期の姿に重なるのかもしれません。確かに、町には活気がみなぎっています。その理由の一つは、若者が多いことだと思います。ベトナム戦争の影響もありますが、40歳以下が全人口の実に80%を占めるという状況は、老いゆく日本との大きな違いでしょう。


「ヒューマンスクランブル」のクリニック

 私の勤務するファミリー・メディカル・プラクティス・クリニックは、ホーチミンの中心部にあります。非政府組織(NGO)のスタッフとして長くベトナムで活動していたイスラエル人医師のラフィ・コット院長が、ベトナムの医療の実態を知り、医療のレベルを少しでも上げたい、ベトナムにも世界水準の技術と設備を持った病院を作りたいという理由で、1994年、ハノイにクリニックを立ち上げました。

 その後、2000年に分院としてホーチミンに、私が現在勤務するクリニックを開院しました。ベトナム中部のダナンにも分院があります。完全にプライベートなクリニックで、駐在員向けの保険や海外旅行保険、あるいは任意加入保険に入っているか、医療費を全額自費で払える人が主な患者です。

 戦後のベトナムはアジアで最も貧しい国の一つでしたが、1986年のドイモイ政策により経済は発展の兆しを見せ始め、2010年の経済成長率は6.9%(見込み)と、シンガポールや中国に並ぶ高い水準を誇っています。今やホーチミンはアジアの中でも特に成長が期待される都市となっています。

 この成長の可能性に引かれて、多くの企業や人々が世界中から集まってきます。私たちの患者の多くは、そうしてベトナムへやって来た駐在員とその家族です。また、ベトナムには多くの旅行者も訪れます。旅先で病気にかかったり(一番多いのは下痢です)、けがをした人も、当クリニックにやって来ます。

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【救急のベッドです。ごみごみしていますが、一通りの緊急処置ができるだけの器材はそろっています】

 ベトナムの病院はほとんど英語が通じず、衛生面や待ち時間の長さといった条件も加わって、外国人が受診するには二の足を踏んでしまう状況です。入院するにしてもクーラーがない施設も多く、外国人にはかなり過酷な環境になります。ですから、ベトナム滞在歴が長くベトナム語を流暢に扱える人以外、外国人は現地の医療機関をあまり受診しません。私たちのような外資系のプライベートクリニックへ流れてくるのです。

 当クリニックは、「クリニック」といっても意外に規模が大きく、検査機器も充実しています。救急外来には緊急処置のための機器が一式そろっており、人工呼吸器もあります。外科処置の器具なども滅菌バッグに密封されており、シリンジ類も使い捨てです。

 検査機器はといえば、X線写真はデジタル化されスクリーンで見られますし、超音波診断装置は胎児の3D画像が描出できる新しいものです。大きな生化学検査装置も置いてあるので、日本の外来で通常オーダーするような検査はほとんど1〜2時間で結果を出せる環境です。初めてそれを知ったとき、「ああ、ここなら日本で働いていたときと同じようにストレスなく診療ができる」と思ったものです。今では64列のCTスキャンまで導入され、ほとんどの検査が院内でできるようになりました。

 医師は全部で20人以上、世界中から集まっています。イスラエル人が4人、フィリピン人が3人、日本人とアルゼンチン人が2人ずつ、アメリカ人とイギリス人、イタリア人が1人ずつ、そしてベトナム人の医師がいます。彼らの多くは留学経験があります。内科医、小児科医、救急医が主ですが、整形外科医、耳鼻科医、放射線科医などもいます。

 ナースやスタッフも様々な国から来ており、シンガポール、フィリピン、チリ、ハンガリー、ニューカレドニア、オランダ、オーストラリアと多彩です。院内の公用語は英語ですが、ベトナム語をはじめ、日本語、スペイン語、フランス語、ヘブライ語、タガログ語がよく飛び交っています。


思わず見とれたミャンマー僧侶の袈裟着る所作

 患者も同じように世界中からやって来ます。「ごめんなさい。世界地図でどこにあるか指せと言われても分かりません」というような国から来た人々をはじめ、「ムシャラフ元大統領の友人だ」というパキスタン人のおじさん、ミャンマーから布教でやって来ているお坊さんなども診察しました。ミャンマーのお坊さんはオレンジ色の袈裟を着ていたのですが、診察のために脱いでもらうと本当にボタンや留め具なしの1枚の布でした。診察が終わって、その袈裟をまた上手に着る姿はとても優雅で、見とれてしまいました。

 ターバンを巻いた患者が来たときは、診察時に服を脱いでもらい、裸にターバンという姿を初めて見ました(皮膚の病気ではなかったので、さすがにターバンは取ってもらいませんでした)。パレスチナから来ていた患者には、うちのクリニックの院長がイスラエル人だと知っているのか聞いてみようとも思ったのですが…、やめておきました。

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【当クリニック自慢の(?)受付担当者たち。左から日本人、チリ人、ベトナム人、フィリピン人で、みんな驚くほど英語が堪能です。】


専門科に送れないプレッシャーも

 日本人の患者も多くやって来て(それが私の存在意義ですが)、クリニックの患者の15%程度を占めています。基本的に大人の患者のほとんどは私が診察し、私が診察する患者の3〜4割は日本人です。日本人患者の多くが若い患者であることから、まだまだベトナムは快適なロングステイ先にはなっていないんだなと感じます。ハワイやマレーシアと並び、リタイヤ後の海外ロングステイ先にベトナムを選ぶ日本人が増えれば話は変わるかもしれませんが。

 日本人の患者は英語を話せない人が多く、多少話せたとしても病気の症状を伝えるのはちょっと難しいという方がほとんどです。「日本語で診察してもらえてよかった。先生がいてくれて助かりました」と言ってもらえると「やはり自分がここにいてよかったな」という気分になります。

 もっとも、診療をしていて困難を感じることもあります。少し難しい症状やまれな疾患――特に、自分が専門としない科の病気、皮膚科、耳鼻科、眼科、泌尿器科などのトラブルに出合ったときです。日本にいれば「専門の科に行ってくださいね」で済むところが、こちらでは言葉の壁や信頼度の関係から、おいそれと送ることはできません。緊急性のある患者は専門科のある施設にお願いしますが、緊急性がない疾患はある程度、自分で対応せざるを得ないのです。支えてくれる体制が後ろにないというのは、かなりのプレッシャーです。

 そういうときに頼りになるのは、日本にいる友人たちです。ある程度の知識は教科書やインターネットで入手できますが、実際の診療のニュアンスはつかめません。「こんな患者さんがいるんだけれど、どう思う?」とメールを送ると、すぐに教えてくれる友人がいるというのは、本当にありがたいです。

 先日も、先天性耳瘻孔の患者から「手術はした方がいいんですか?」と質問されて答えられなかったということがあり(先天性耳瘻孔を診たのはこれが初めてでした)、耳鼻科の友人に相談して実際の対応を教えてもらいました。こうした助けもあって、ベトナムでの診療経験で自分の幅が広がり、少しずつですが成長している気がします。


「ベトナムで、あなたができること。」――東日本大震災を受けて当クリニックに置かれた募金箱です。

 日本に縁を持つ外国人にも、患者あるいは友人として、たくさん出会いました。今でも日本の有名建築事務所に籍を置いているベトナム人建築家、日本に15年近く住んでいたというインターナショナルスクールのカナダ人教師といった人々です。うれしいことに、日本で暮らしていたという外国人の多くが「日本の印象はとても良かった」と言ってくれました。

 予約の際に日本人の私を指名してくれるのは、日本や日本人に対する信頼の証ではないかと感じるし、私自身、日本人であることを誇りに思うようになりました。このたびの東日本大震災で、「募金活動をしよう」といった支援の声を最初に挙げてくれたのは、こういった外国人の人たちでした。

 このように、ベトナムや日本のみならず世界中の人々が交わる、雑多でコスモポリタンな場所で、私は働いています。

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【「ベトナムで、あなたができること。」――東日本大震災を受けて当クリニックに置かれた募金箱です。】
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