2011年04月29日

祖母の死は果たして「運命」だったのだろうか…?

大内啓
North Shore - LIJ Health System 救急医学・内科レジデント

 前回で紹介した日本での研修よりも以前、私は医学部3年生のとき、患者の家族としての立場で日本の医療に接する機会がありました。この経験は、日本の医療を学んでみたいと思ったきっかけの一つになったかもしれません。

 少ない経験からではありますが、私が得た感触は、日本とアメリカの患者は医療に対しての見方が大きく違うということです。医療に期待するものも違えば、人の死に対しての考え方も少し異なるようです。ouchi0425.jpg
【母校ジョージタウン大医学部の系列であるワシントンホスピタルセンター(ワシントンD.C.)にて。チームの一員として初めて臨床医療に加わったうれしさのあまり、同級生と写真を撮ってしまいました。】


軽度の火傷から肺塞栓症で亡くなった祖母

 私の祖母は、祖父の大好物である揚げ物を作っているとき、油で両足に軽度の火傷を負って入院し、入院4日後に広範性の肺塞栓症(massive pulmonary embolism:massive PE)で亡くなりました。私が日本まで駆け付けたときには、既に播種性血管内凝固症候群(disseminated intravascular coagulation:DIC)に陥っており、強心薬を止めると数分で心臓は脈を打たなくなりました。祖母は79歳でしたが、前の週も自分で車を運転してゴルフに出かけるほど元気だったので、想像もつかない突然の最期でした。

 病院の医師の方たちは、とても親身になって私や家族と共に最期を迎えてくださいました。家族は皆、あまり状況が理解できないまま、「寿命だったんだね、運命だね」と悲しんでいました。しかし、私の中では大きな疑問が残りました。なぜ、両足の火傷で歩くのが不自由なのに深部静脈血栓症(deep vein thrombosis:DVT)の予防策を考えてもらえなかったのか? なぜ、事件の数日前まで突然の「息苦しさ」や「しんどさ」を訴えていたのにもかかわらず(カルテの看護師・医師の記録を後から拝見しました)、その訴えに対して大きな疾患の可能性を考えてもらえなかったのか?

 自らの臨床経験からも、「DVT/PEは判断が難しく、事故は起こり得るものだ」と認識しています。ただ、祖母の死が防ぎようのない「運命」であったとしても、カルテの記録の中で少しでも医師がDVTを考慮してくれていたことが分かれば、遺族として心は少し軽くなったと思います。これがアメリカで起こった出来事であれば、患者の家族によっては、巨額な賠償金を請求する訴訟に発展したでしょう。


医療訴訟を起こすのは「無念」の思い

 アメリカの医療者は医学生の頃から教えられていることですが、医師として訴訟を起こされることは当たり前で、人生で一度は経験せざるを得ないものと考えています。興味深いことに、今までの歴史的な医療訴訟を振り返ってみると、悪い結果が患者に訪れた場合に多額の賠償金を支払っているのは、必ずしも間違った医療を提供した医師ではありません。ほぼ共通している敗因は、「不注意」または“neglect”です。

 言い換えると、エビデンスに基づいた医療を提供しなかったために患者にとって悪い結果が訪れたとしても、医師が細部まで注意を払い、いろいろな可能性を考えたという証拠が文面で残っていれば、提訴された上に裁判に負けるということはほとんどないようです。なぜかと言うと、一般的に訴訟に至るのは、患者や家族の「無念」の思いからというケースがほとんどだからということです。

 まれにアメリカにも、訴訟経験がない老医師がいます。そういった医師の1人からは、「訴訟うんぬんをにらんで診療に当たるよりも、患者や家族に対して心から接すること。医師は一緒に病気に向き合っていくパートナーだという意識を、患者と家族に持たせることの方がずっと大切だ」と教わりました。

 訴訟に備えて証拠を残すことと、患者に対して心から接すること。どちらも間違っていないと思うし、どんなに疲れていても忙しくても、両方を怠ることのない医師になろうと思っています。

 祖母の死という経験を通じて、多くのことを学びました。日本ではDVTの予防は医療のスタンダードではないこと。どの病院でも行うべき医療のスタンダードというものが、アメリカよりも少ないこと。カルテの記載が大まかであること。そして、医療訴訟を起こすことのハードルは一般人にはとても高いということです。そもそも、私の家族が祖母の死を「寿命だったんだね」と話していたように、患者側の医療に対する姿勢や病院での人の死に対する受け止め方が、ずいぶんと平和的だなと感じました。


患者から見た「良い医師」は日米共通

 医療に対する患者側の信頼が高く、医療の安全性がアメリカのようには問われない。しかも、アメリカとは違った見方で、人の死を考えることができる。「午後の外来50人」ができる背景には、こういった事情があるのかなと思いました。もちろん、午後に50人の外来患者を診察することの安全性の低さを示すエビデンスや、アメリカ医療のスタンダードの安全性が優れているというエビデンスに確たるものはありません。なので、あくまで個人的な感想ではありますが…。

 「日本とアメリカの医療システム、どちらがいいの?」。日米両国の医療者からよく聞かれますが、どちらにも、良い点と悪い点があります。いずれにせよ、自分の話をしっかり聞いてくれて、思いやりがあり、予測できる悪いアウトカムにも注意深く思考を巡らせてくれて、結果的に信頼を寄せられる。患者から見た「良い医師」像は日米共通なのではないのでしょうか?

 次回は医療システムについて、日本の素晴らしき平等性とアメリカの恐るべき不平等さについて書いてみたいと思います。
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