2011年06月17日

「このたび、Google先生のご高配により」

内野三菜子
トロント大学プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科


 はじめまして。2009年9月よりトロント大学Ontario Institute for Studies in Educationの修士課程で医学教育を学びながら、2010年1月よりトロント・プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科(=トロント大学放射線腫瘍科)でクリニカルフェローをしております、内野三菜子と申します。

 「医学教育」「クリニカルフェロー」という、ぱっと聞きに医学生や若手医師が飛び付きそうな、いかにも今流行の、そして「何をしているんだろう?」と思われるかもしれない肩書きを私が持つに至った経緯について、初めにお話ししたいと思います。

セミナー存続を求めて学会理事の先生方に直訴
 私が医学教育を学ぶことになったそもそものきっかけは、日本放射線腫瘍学会が主催する医学生・研修医を対象としたセミナーでした。放射線腫瘍学に興味を持ってもらおう、放射線腫瘍医を増やそうという目的で開かれたこのセミナーに、私は医学部6年生のときに学生として参加し、放射線腫瘍医になろうと決心を固めました。

 このセミナーは、理事クラスの非常に偉い先生方の参加も得ていましたが、誰もが所属の分け隔てなく、学生を相手に非常に熱心かつ懇切丁寧に語っておられたのを鮮明に記憶しています。当然、放射線腫瘍医になることを勧めるわけですが、「放射線治療に理解のある医師となってくれれば、必ずしも放射線腫瘍医にならなくてもいいから、とにかく勉強してほしいんだ」とまでおっしゃる先生も。放射線腫瘍医として、医局の別なく学会一丸となって癌診療の将来を切り開こうとする姿勢に、強く感銘を受けました。

 しかし、いざ自分が放射線腫瘍医になったときには、参加者の減少と主管大学にかかる負担のアンバランスのため、セミナーの存続は風前の灯の状況でした。何とか継続してもらいたいと、医局の壁を越え、学生時代に同じセミナーに参加して同じく放射線腫瘍医になった何人かの仲間たちと共に理事の先生方にお願いしたところ、セミナーのお手伝いをさせてもらえることになりました。

 実際の診療現場で使用する治療計画ソフトをインストールしたパソコンを使っての実習は、既にセミナーに導入されていました。そのソフトの操作の助手を務める中で、「せっかくならば、治療計画を立てる背景としての癌そのものも学べるような問題解決型の学習プログラムを導入できないか?」と考えるに至り、ついに「単なる実習助手でなく、プログラムの運営ごと任せてほしい」と、思い切って主管大学の先生方に直訴しました。直訴した以上は、実習の内容を周到に準備するのはもちろん、主管大学の医局にも通って雑用を手伝いました。

 学習プログラムのストーリーと学習到達目標の作成に当たっては、自分が学生時代に体験した問題解決型学習プログラムに則って用意した上、問題解決型学習導入の草分けであり医学教育の第一人者である東京女子医科大学の神津忠彦先生のところへ直接に伺い、内容を指導していただきました。

 学習を進める上で必須となる参考資料は、専門医試験の準備中だった主管大学の医局員の先生が、解剖から最新のEBMの原著論文までカバーする素晴らしいまとめを作ってくださいました。結構な厚さになった資料を持参して、学会の教育委員長の先生に学習の進め方と学習プログラムの実習での位置付けを説明したところ、大いに納得していただけた様子でした。

 実習では、学生と研修医、学年の別なく目を輝かせ、指導役の若手医師と共に白熱した議論を繰り広げてくれました。各大学の教授の先生方は、若手以上に身を乗り出して、初めて目にする実習の様子を食い入るように見学していました。こういった方々の熱意のうちに、セミナーは無事成功を収めることができました。

 「癌患者を総合的にとらえ、放射線腫瘍医に何ができるかを考え、向き合う。その醍醐味を伝えたい」。学生のときに驚かされた理事の先生方の熱意の根源はこの思いなんだと分かったのは、私自身が放射線腫瘍医になってからでした。その熱い思いを、学生にもベテラン医師にも比較的分かりやすいかたちで共有してもらえたのが、セミナー成功の大きな要因だったのでしょう。

 この成功のおかげで、セミナーの存続だけでなく、若手医師による実習の運営も認めてもらえることになり、理事以外の放射線腫瘍科の先生方も学生に参加を勧めてくださるようになりました。現在は申し込み開始日に即日満席となる人気セミナーとなり、受講を契機として実際に放射線腫瘍医になる学生や若手医師も続いています。

 成功の一方で、実習のバージョンアップが必要になるときに、教育プログラムをどう運営すべきか。この根本を考えるときの基になる基礎や理論を知らないと総崩れになるのではないか―という危惧が私の頭にはありました。賛同してくださる理事の先生方を納得させ続けられる学問的な裏付けがなければ、若手主体の運営は安泰とは言えません。

 また、知識にばらつきのあるグループでも一体となって学ぶことができ、かつ理事の先生方がこれだけ熱心に注目してくださる内容ならば、放射線腫瘍科の教育のみならず、癌診療の教育に広く応用できる機会がひょっとしたら先々あるかもしれない。何と言っても癌診療は、外科治療や抗癌剤治療を含めたチーム医療で当たらなければなりませんから。そのときに他科を説得するために必要なのは、単なる思い付きではない理論の裏付けです。私だけでできることには限りがあっても、放射線腫瘍医としてその場に臨む仲間に裏付けを与えられるリソースになれる人間が、差し当たって1人くらいはいてもいいのではないか―。そんな思いもありました。

 ほかの団体の経験や意見を求めて日本医学教育学会にも足を運びました。しかし、そこで専門医教育について議論しようとしても、むしろ「脱専門医」の視点で語られることが多かったこともあり、医学教育を専門とされる先生方との会話自体が噛み合わない印象を受けました。

 私が学ばないといけないことは、どうやら日本にはなさそうな気がする―。ここまでが、私がカナダで医学教育を学ぶに至った背景です。

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【日本放射線腫瘍学会の学生セミナーの様子です。パソコン上でシミュレーションしながら、治療計画を立てたりしています。】

日本人のMedical Education Research Fellowは病院初
 では、なぜクリニカルフェローをやりながらの勉強となったのでしょうか? これは本当に偶然でした。信じられないかもしれませんが、“radiation oncology”と“medical education”の2語を使ってGoogle検索をした結果、出てきたのが、現在私が所属するプリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科の Clinical Research FellowのMedical Education Researchというコースだったのです。

 初めは何の見当もつかないままメールで問い合わせたところ、その返信には「フェローとして臨床に従事しながら医学教育学の修士課程で理論を学び、臨床に即した医学教育学の研究をするコースです」との説明がありました。

 かくして、医学教育を学びながらクリニカルフェローとして働くという現在の状況に至った次第です。最初に「日本国外」を漠然と考えた時点で特段の当てもないまま取得したUSMLE(United States Medical Licensing Examination)も、カナダの病院なので不要だったのですが、結果として、「プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科初の日本人Medical Education Research Fellow」誕生を後押しする一つの材料になりました。

 そんな経緯を留学の挨拶状にそのまま書くとすれば、さしずめ「このたび、Google先生のご高配により」とでもなるのでしょう。いや、しかし、Google先生にその単語を入力するに至ったのは、学生として参加したときからセミナー運営まで、放射線腫瘍学会の先生方がずっと支援してくれたからであることは言うまでもありません。特に、直接の所属先の教授は、私が抜けることによって医局全体の業務が圧迫されるのは明らかでありながら、推薦状の発行も含めて多大な応援をしていただきました。

「ではの守」にはなれない
 この連載を始めさせていただくことは、私にとって自らのありようを改めて考えるよい機会です。日本で医学教育を系統立てて学ぶことができなかったからカナダに学びに来ているとは言え、それで自らの立ち位置を全面的に正当化して何かを上段から語る気にはとてもなれません。

 困難な状況の中で、それでもと送り出してくれた日本の上司・後輩・同僚の日々諸々の苦労を思うとき、いくら医学教育という錦の御旗をexcuseに掲げてみたところで、結局のところは単なる逃亡者、体のいい逃避に過ぎないのではないかという後ろめたさが棘(とげ)となって、私の心に常に刺さっています。

 心に一点の曇りもなく声高に理想を追い求められるような、志も業績も立派な医師ならばともかく、運と多くの人の縁によってのみ支えられて、ここにいる自分です。火の粉のかからぬ安全地帯から、あたかも神託であるかのように「カナダでは」「北米では」「西洋では」と当地の状況のみを肯定的に語る「“では”の守(かみ)」になることは許されません。

 「USMLEを頑張りました」「英語はこうやって克服しました」という文脈もこれに連なるように感じます。私にとっては、そういった個人の努力で何とかなる類のものはさほど重要ではなく、むしろ様々な面において克服し得ないものをどう受け入れていくかということの方が、よほど深く、重く、大切なように思えます。

 トロントで日々の診療に携わるようになって1年が経ちましたが、日常診療においては日本もカナダも大筋では変わりません。しかしながら、日本とカナダとでは大違いという面も多々あります。次回からは、そんなお話を多少なりともご紹介できたらと思っています。
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