2011年07月14日

アメリカの医療IT促進策に見るアメとムチ

日比野誠恵
ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

 2011年3月24日、ついにわが病院でも、電子カルテ/オーダーエントリーシステム(electronic health records;EHR)を旧式から新式のものへ移行するという大規模な「騒動」が勃発しました。

 ここ10年ほど使用していた旧式のFCISというシステムは、カルテのみが電子化されたベーシックなプログラムで、オーダーは出せないし、バイタルサインの記録や検査結果とも連動されていませんでした。一方、新式のEPICというシステムは政府機関が認定したプログラムの1つで、FCISに比べて様々な機能を備えています。医師や看護師によるカルテ、オーダー、バイタルサイン、検査結果、コンサルト、退院指導書といった情報と連携がなされ、それぞれが行われた時刻も記録されます。

慣れない入力に「おじさんユーザー」は肩がガチガチ
 わが病院における移行の背景には、アメリカ連邦政府が新たなEHRへの置き換えを大目標としてきたことがあります。2011年からは、新システムを導入して「有意義な利用」(meaningful use)を達成した病院やクリニックには、最高で5年間に総額1000万ドルという多額の金銭的な補助をすることが決定されています。

 ここまで政府が躍起になっているのは、いくら移行を奨励しても一向に進まなかった過去10年の経緯に業を煮やしてのこととも言えるでしょう。医療機関の立場としては当然、新システム自体には反対でないとしても金銭的な負担が大きくなるし、医師や看護師、他の職員からは移行に対する不満も強くなるわけです。わが病院でもずっと先送りになっていたのですが、もう言い訳は利かなくなったというところでしょうか。

 2010年12月の初旬から、わが病院のスタッフには、EPICへ移行するための準備としてコンピューターステーションを使ったオリエンテーション(計3回)を受け、テストにパスすることが義務付けられました。その上、様々に起こるであろうテクニカルな問題に備えて、「スーパーユーザー」と呼ばれるトラブルシューターが各シフトの時間帯に最低でも1人、忙しい時間帯では3人も配置されることになりました。医師やレジデント、医学生の有志が兼務する格好でしたが、いいアルバイトになったようです。

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【新システム導入時のトラブルシューターとして手伝ってくれた医学生の1人。アルバイト代は結婚式の費用の足しになったようです。】

 併せて、たまたま同じ頃に活用され始めた「スクライブ」(scribe)と呼ばれる医療書記が医師のペーパーワークを補助するようになりました(詳細は回を改めて紹介したいと思いますが、スクライブは近年、全米の救急部で採用が増えています)。さらに、一時的な能率低下が予測されることに備え、わが救急部でも1カ月の間、医師や看護師を1.3倍増員することになりました。この増員は既存のスタッフのシフト回数を増やすことでの対応となったため、皆ややオーバーワークになった感がありました。

 かくして、万全を期してEPICへの移行が決行されましたが、たまたま多くの重症患者が来院して病棟の満床が続いたこともあって、少なからず混乱が起こりました。それまでクラークが処理していたオーダーを自分でやることになって余計に時間がかかっただけでなく、間違った検査をオーダーしてしまうこともあったりして、現場ではフラストレーションがたまっていきました。

 日本で生まれ育った中年のおじさんである私はタイピングもあまり上手でなく、老眼も進んできていて、コンピューターの前に長時間座った後は肩がガチガチ。奥さんと子どもに首と肩のマッサージを頼む始末でした(もっとも、アイスホッケーをした後は不思議と肩凝りは解消。やはり運動はお勧めです!)。

 それでも、1週間も過ぎると慣れてきて能率が上がり、1カ月も過ぎると「スーパーユーザー」やエキストラスタッフのサポートなしでも大丈夫になりました。一般的に言えることですが、やはり若い人ほど変化に適応しやすいということを思い知らされた一件でもありました。

全米の病院が迫られる新システム移行、“meaningful use”は何を実現するか
 オバマ政権の下、国民医療費の著しい高騰といわゆる無保険問題を受けて、長期の持続と全国民への提供を両立できる医療制度を目指した医療改革法案が通過しました。昨年のアメリカ救急医学会総会のローリー講演(学会の基調講演の1つ)でも、メイヨークリニックに移られたアスペレン先生が「これからは医療者による『より有効な医療提供』が求められる」という趣旨の発表をされていました。

 EHR による“meaningful use”も、明らかにこの流れの延長線上にあります。つまり、EHR を使うことによって人的なミスを減らし、より安全な医療提供を目指す。結果として、医療過誤によって余分に発生すると考えられる医療コストの節減を図ろうというのです。そのため、冒頭で紹介した金銭的な補助を与える一方、2015年までに“meaningful use”を達成していない施設に対しては診療報酬の大幅な減額が示唆されています[1]。第1段階はアメ、第2段階はムチというステップを設け、移行を促進しようとする政策です。

 第1段階の金銭的補助を受けるには、まず15項目に及ぶ「診療の質」判定基準の報告が義務付けられます。医師による電子オーダーエントリー(computerized physician order entry;CPOE)、薬物相互作用のチェッキング、デモグラフィックス(人口統計など)、電子的に用意された退院指導書、クリニカルデシジョンルールの施行と、多岐にわたる項目が含まれています[2]。第2段階の詳細は未定ですが(今夏には決定される見込み)、よりハードルの高いものとなりそうです。

 EHRの導入で、より時間がかかって医療の質に悪影響が出るという報告がある一方、質が上がったという報告もあります[3]。いずれにしても、もう後戻りはできないところに来ているという感じです。

 特にわれわれ救急医が注目しているのは、上記15項目の報告事項の中に、「滞在時間」(length of stay)と「入院/退院決定までの時間」(time to disposition)が入っていることです。前回の「こんなことでも救急車を呼んじゃいます(2011.4.11)」で紹介したように、アメリカの救急部の混雑は深刻な問題です。この2つの指標が入ったことにより、病院側としてもより真剣な対応を迫られ、少しでも混雑が緩和されることになれば…と、われわれは願っています。

 また、ゆくゆくは、少なくともミネソタ州内では、各医療機関の間で電子カルテのフォーマットが標準化されてカルテの相互参照が容易になり(個人情報である点には要注意ですが)、診療の質向上につながっていく可能性もあります。そうなると、「アメリカ救急医療の明と暗(2010.2.17)」で紹介したドラッグシーカー対策にも役立ちそうです。大災害時、被災した病院から転送される患者のカルテも容易に参照できるようになるでしょう。

 フランスでは患者一人ひとりが自分の診療録をカードのような形で携帯しているということですが、将来的にはアメリカでもそういったことを実現する素地ができることになります[4]。臨床研究の精度が高まるとともに、可能性も広がるでしょう。

【References】
1)Blumenthal D, et al: The “meaningful use” regulation for electronic health records. N Engl J Med. 2010 Aug 5; 363(6): 501-4.
2)Genes N: MU: “A Really Good Kick in the Pants”. Emergency Physicians Monthly . Feb 2011: 12.
3)Bukata R, et al: The EMR Roundtable: Part I. Emergency Physicians Monthly. Feb 2011: 13.
4)Reid TR: The Healing of America, A Global Quest for Better, Cheaper, and Fairer Health Care, Four France: The Vital Card. The Penguin Press. 2009, 46-65.
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