2011年08月25日

「公式」なき時代の若人に贈る3つのアドバイス

市瀬 史
ハーバード大学医学部アソシエイト・プロフェッサー
マサチューセッツ総合病院麻酔集中治療科・麻酔医

 このブログの影響か、最近、日本の医学生や若い医師たちからキャリアの相談を受ける機会が多くなりました。細かい内容はそれぞれ違いますが、だいたいのところ、日本での医師・医学者としての将来について不安を抱いている人が多いようで、私のように「アメリカに臨床留学して医師・医学者としてやっていくにはどうすればいいか?」という質問をよくされます。

こうすれば成功できる、そんな「公式」はない
 先日も、短期留学中の日本の医学生が、わざわざ私のラボまで同じような相談をしに来ました。こういう場合に必ず繰り返される受け答えがあります。

医学生 「先生は何年くらいアメリカにいらっしゃるのですか?」
筆者 「もう、かれこれ16〜17年になるかな」
医学生 「ひえ〜、すごいですね。ということは、もう、日本には帰らないということですね?」
筆者 「いや、帰るかもしれませんよ、いつかは。今のところ、特に予定はないけれど」
医学生 「えっ? そ、それはどういうことですか?」
筆者 「だって、5年先のことなんて、誰にも分からないでしょ」
医学生 「…」

 そのときもこんな調子で、自分が暗中模索しながらやってきた経験や、他の人から聞いた話などを交えて1時間ほど相談に乗りました。しかし、その学生は何となく煮え切らないような顔をして帰っていきました。

 相談を受けた直後は忙しくて、彼の反応について考える時間がなかったのですが、後から振り返ると、「こうすれば私のようになれるという『公式』のような答えを、彼は期待していたのかもしれない」と思い当たりました。あるいは、アメリカでこんなやり方をすれば、こういったキャリアプランが広がるんだよ、という未来の保証が欲しかったのかもしれない。しかし、残念ながら、そんな「公式」や「保証」はありません。

 私が学生の頃までは、日本の医学界で活躍している人といえば、アメリカで基礎研究に数年励み、大きな業績を残して凱旋帰国し、一流大学医学部の教授になった人。またはアメリカで数年の臨床研修を経て最先端の医療技術を日本に輸入した人たちでした。ここには非常に分かりやすい「公式」がありました。

 しかし、日本の医学界を取り巻く情勢は大きく変わってきました。新臨床研修制度がスタートし、医局制度の存続が危ぶまれるなど、日本の医師のキャリアパスも大きく変わりつつあります。以前の「公式」の有効性もたいぶ怪しくなってきました。

 もちろん、アメリカの医療も例外ではありません。私がレジデントを始めた頃に比べると、医師を取り巻く環境はずいぶん変わりました。それも概して「やりにくい」方向に変わってきたように感じます。例えば、私がレジデントを終えてフェローになったばかりの頃は、研究をしたいという希望があれば、誰にでも場所と時間が与えられました。今では、自分で研究費を獲得してこない限り、週に1日の研究日を取ることすらままなりません。アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health; NIH)の予算も減って、20年前ならば30〜40%だった研究費獲得率は10%以下にまで落ち込んでいます。

 臨床現場を取り巻く環境も変わってきています。例えば、私が勤務するマサチューセッツ総合病院の心臓外科の手術室には、私たち心臓麻酔科医の手伝いをする経験豊かな麻酔科専属の看護師が8人ほどいましたが、経費削減のため、2年ほど前に全員が辞めさせられました。その看護師たちがしていた仕事は、もちろんレジデントや私たちスタッフがすべて肩代わりすることになりました。病院全体でも看護師の数が1割ほど減らされました。この人員整理があって、医師の給与は今のところ大きく下がってはいませんが、いわゆる「オバマケア」の影響で医師の収入もこれから大きく減少すると言われています。

 国の借金がかさんで米国債の格下げにまで至った今、突出する医療費に対する風当たりは今後さらに強くなっていくことが予想されます。ここまで状況が変わりつつある現在、私の経験談を話しても、これからキャリアを積み上げようとしている若い人たちにはピンとこないのが当たり前でしょう。

 時代がどうあれ、自分のやりたいことが分かっている場合は、それに打ち込めばいい。しかし、それが分かっているようなら、キャリアで悩むこともなければ、私のところに相談になど来ないでしょう。もっとも、自分のキャリアに悩むこと自体は、いいことだと思います。それは現状に満足していないことの裏返しだからです。現状に満足しきって危機感をなくしてしまったら、急速に変化する世界の中で、進歩どころか現状維持すら危うくなります。とはいえ、危機感だけでも疲れてしまうでしょう。

 そこで、私のところにキャリアの相談に来る医学生や若い医師たちには、あえて次の3つだけアドバイスすることにしています。

fumito_20120315.jpg
【2011年1月、ベルギーのルーベン大学にてレクチャーする筆者です。】

アドバイス1:本当にやる気があれば、臨床留学はできる
 「アメリカに臨床留学して、こちらで医師になれるでしょうか?」「いいところのポジションを獲るのは難しいのでしょうか?」という質問をよく受けます。もちろん簡単ではありませんが、本当にやる気があれば、必ず道は開けます。アメリカで医師になるなど、やる気さえあれば、実は大して難しいことではありません。要は、本当にやりたいと思っているかどうかです。その覚悟を聞き返すと、たいていの人は口をつぐんでしまいます。この決意ができるかどうかが、臨床留学で成功するかしないかの分かれ目になると言っても過言ではありません。

アドバイス2:人と同じことをしない― Make a difference ! ―
 私がキャリア選択の上で常に守ってきたことを一つ挙げるとすれば、それは「人と同じことをしない。自分だけにできることを探す」ことでした。自分だけにできることを見つけるのは難しいことなのですが、私はへそ曲がりなので、人と同じことをしないのは簡単です。人と同じことをしないよう心がけているうちに、自分にしかできないことが見つかれば儲けものだと考えればいいのです。

 私の好きな英語の表現に“make a difference”というフレーズがあります。直訳すれば「違いを作り出す」ということになりますが、「何か大きな仕事をして現状を変える、改革する」というニュアンスがあります。人と同じことをやっていては“make a difference”することはできません。私のところに進路の相談に来る人たちには、いつも、“make a difference” を考えて進路を選んでほしいと言っています。

アドバイス3:野心を持つ
 クラーク博士の“Boys, be ambitious”という言葉は、日本では美しく訳され、「少年よ、大志を抱け」というあまりにも有名なフレーズになりました。しかし、数学者の藤原正彦先生も著書『数学者の言葉では』の中で指摘している通り、ここで言う“ambitious”とは「野心的」と直訳した方がいいでしょう。「大志」と言うと何となく高尚な感じがしますが、「野心」ならば何でもありです。金でも地位でも名誉でも。どんなことであれ、大きな仕事をするには野心が必要です。野心がないと、人は重箱の隅をつつくような仕事で満足してしまいがちだからです。

 昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、坂本龍馬と岩崎弥太郎は人並み外れて野心的な人物として描かれていました。龍馬のような人物がいて初めて明治維新が可能になったように、重箱の隅をつついていても大きなことはできません。クラーク博士も本当はそういうことを言いたかったのではないのかと勝手に想像しています。

 「公式」が成り立たなくなったのは医師のキャリアだけではありません。原発の「安全神話」は崩れ去り、「アメリカ中心」の世界秩序も既に大きく変わりつつあります。こんな時代だからこそ、皆さんも危機感と野心を持って、新しいことに挑戦し続けてください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/54453576
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック