2011年09月22日

巨大津波に飲み込まれなかった医療施設

河合達郎
マサチューセッツ総合病院移植外科
ハ―バード大学医学部外科准教授

 岩手県大船渡市の北に吉浜(よしはま)という小さな村があります。古くから良質のアワビが採れることで有名で、江戸時代の昔から中国に輸出され、吉浜鮑(キッピンパオ)と言われ、非常な高値で取り引きされてきました。

 しかし、三陸沿岸のほかの地域と同様に、吉浜村も昔からたびたび津波の被害に遭ってきました。明治三陸大津波では住民の2割が津波に流され204人の死者を出し、そのときの村長たちが未来のことを考え、住居を高さ20m以上の高地に移転することを強く推進したとのことです。子孫たちも祖先の教えを固く守り、平地であっても低地には決して家を建てず、水田として活用しました。そのおかげで、1933(昭和8)年の三陸大津波や、1960(昭和35)年のチリ地震津波でも被害は少なく、昨年3月の東日本大震災でも1人の行方不明者を出しただけにとどまりました。

ボランティアとして見た大災害の爪痕
 東京女子医科大学の医局の先輩である木川田典彌(のりや)先生は、その吉浜のお生まれです。先生は東北地方における腎移植と透析医療の草分け的存在ですが、現在はさらに高齢者医療の先駆的な仕事をされています。医療法人勝久会の理事長として、大規模な介護老人保健施設からデイサービスセンターまで、大船渡市、陸前高田市を中心に、私が数えただけでも20カ所以上の施設の運営をされています。

 昨年の大震災では、先生と施設の職員の方々もさぞかし大変だったのではないかと思い、夏の時季に大学生と高校生の息子を連れて大船渡にボランティアに行ってきました。現地に着いてみると、復旧は徐々に進んでいるとはいえ、陸前高田市から大船渡市まで巨大津波の残した爪痕は想像を絶するものでした。

 報道されたように、この地域の医療機関は壊滅的被害を受けました。陸前高田市の岩手県立高田病院が4階まで津波に飲み込まれて壊滅状態となったほか、介護老健施設も、どこも甚大な人的被害を出しました。

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【陸前高田市内の平野部にあった県立高田病院は4階まで津波に飲み込まれ、多くの患者や職員の方々が亡くなりました。】

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【大船渡市にある「三陸の園」という特別養護老人ホームは平野部にあったため、67人の入所者のうち54人が津波で亡くなりました。】

 その状況で驚いたのは、木川田先生の施設だけはどこもほとんど無傷で、人的被害も皆無だったことです。もっとも、震災直後は他の施設から転送されてきた多くの患者のケアに当たり、いずれの施設も大変な状況だったとのことではありますが。

 なぜ、木川田先生の施設だけが、これほどの大災害でも被害を免れたのか―。それには明確な理由がありました。

究極のリスクマネジメント
 幼少時代を吉浜で過ごされた木川田先生は、おじい様より、明治から昭和にかけてこの地を襲った大津波のことを繰り返し聞かされて育ったそうです。先生はその教えを忠実に守り、すべての施設をことごとく、高台というか、小さい山の上に作られました。それゆえ、巨大津波でも施設のほとんどが被害を免れ、多くの患者や入所中の高齢者、そして職員の方々の命が守られたのでした。

 私は、被害が甚大だった陸前高田市にある、先生の病院の透析施設で2日間働きましたが、そこの主任も高台の病院にいたおかげで命が助かり、「理事長エライ!」と、そのときばかりは神様のように思ったそうです。とは言っても、わざわざ高台に医療施設を作る意義は、こんな大災害に実際に遭って初めて理解されるものでしょう。生きているうちに遭遇するか分からないリスクに対する備え。これは究極のリスクマネジメントと言えるのではないでしょうか。

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【高台(というよりも小山)に建てられた病院から陸前高田市の中心方向を眺めると、市内の悲惨な状況が目に映ります。田畑が広がっているように見えるところは、震災前はすべて住宅街でした。】

 昔の教訓は、誰かが伝えていかなければ全く生かされません。アメリカでは一昨年、4人の生体ドナー(肝臓ドナー2人、腎臓ドナー2人)が亡くなりました。このうち3人は明らかな手術ミスによるものと思われます。地元のボストンにあるラヘイ・クリニックで起こった肝移植ドナーの死亡事故は知っていましたが、ほかに3人ものドナーが一昨年の1年だけで亡くなっていたということは、全国ニュースになっていないため、友人に教えられるまで全く知りませんでした。

 問題は、どのようにして事故が起こったのか、訴訟も絡むため、詳細が全く開示されていないことです。一般的に医学雑誌には成功例しか載りにくいのですが、 少なくとも裁判が終わって決着が付いた事故に関しては、症例を呈示して反省し、次代に伝えていかなければならないと思います。

 私たちは毎日、虎の尾をいつ踏んでもおかしくない状況で医療行為をしているようなものです。起こったことは再び起こり得る―。少しでもリスクを回避できるよう、過去の失敗を風化させず、ありったけの知恵を振り絞らなければいけない。そんなことを考えさせられた日本の夏でした。
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