2011年12月28日

ベッド稼働率200%! カオスの中の大病院

寺川偉温
ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン内科医

 なぜ、国は豊かにならないといけないのか―。

 インターネット上で見つけた一見単純な質問ですが、意外に奥が深い問いかけのように思われました。ネット上に書かれていた答えは、「(経済的に)豊かになることにより、社会的弱者が救われていくからだ」というもの。日本だとピンとこない方も多いかもしれませんが、まだまだ貧しい国であるベトナムに暮らしている私には、とても分かりやすい答えでした。

デポジット(保証金)払えない患者は受診おことわり
 例えば、病気を抱えた患者は明らかに社会的弱者です。日本であれば、まず健康保険があり、医療費が高額になれば高額療養費制度があります。本当に困窮した人であれば生活保護があり、状況に応じて国民の医療や生活を国が助けてくれています。救急外来を受診しても、お金がないからといって治療を受けられずに放り出されることはまずないと思います。

 社会主義国家の(はずの)ベトナムでは、一応、政府管掌の医療保険がありますが、国民皆保険とはなっていません。政府管掌の保険に加入していたとしても自己負担率は高く、抗癌剤治療では6割負担にまでなるようです。また、保険加入者でも受診時にはデポジット(保証金)を支払う必要があり、お金がなければ救急外来も受診できないし、緊急手術が必要な状況でもお金がないと追い返されるということが実際に起こります。

 受診のために親戚一同からお金を借りて田舎からやって来たものの、いざ治療という段階に至ってお金がなくなり、治療できませんということもあります。彼らを救えるだけの財政基盤を、国はまだ持ち得ていないのです。

 街中の歩道一つをとってもデコボコで段差も多く、障害のある人や車椅子に乗っている人のことを考えて作られてはいません。きっと国が豊かになることで、そういう弱者に対しての配慮や支援が少しずつできるようになるのではないかと思います。

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【ベトナムの病院では、1つのベッドを2人で使うのは当たり前です。】

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【病棟の廊下。ストレッチャーやベッドが所狭しと並んでいます。】

家族がもむアンビューバッグが生命線
 ホーチミン市にはベトナム南部を代表するチョーライ(Choray)病院という国立の大きな病院があります。今回は、何回かの訪問で目の当たりにした、この大病院の実情を紹介したいと思います。

 チョーライ病院はベトナム国内で最高水準の医療を提供しており、地方からもこの病院を目指して患者が集まってきます(もっとも、ここほどではなくても、ベトナムの病院はどこへ行っても混雑していますが)。日本の援助で1970年代に建てられましたが、今でも当時のままの建物を使っています。もともとの病床数は1200床ですが、現在は増床され1700床となっています。

 驚くべきことに、そのベッド稼働率は150〜200%といわれています。この異常に高いベッド稼働率の理由は、1つのベッドに2〜3人が一緒に寝ていたり、病室の外の廊下にもストレッチャーが設置されていたりするからです。とにかく患者があふれています。ICUも巨大で、1つの大部屋に30〜40人の重症患者や術後患者が所狭しと並んでいます。さすがにICUでは1つのベッドに患者は1人ですが。

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【ICUの様子。「これで集中治療ができるの?」というくらいに患者が並んでいます。】

 救急外来では、もっと多くの患者が点滴につながれていたり、挿管された状態でストレッチャーに乗せられていたりします。そこに次から次へと救急車で患者が搬送されてきます。あまりに数が多く、患者は隣に手が届くような距離で並んでいます。当然、看護師が全ての患者を把握してケアを提供することはできません。明らかに具合が悪そうにしていながら、放置されている(スタッフの手が回らない)患者も目に付きます。

 気管挿管はされているものの人工呼吸器が足りず、代わりに家族がアンビューバッグをもんでいるという光景も。医師は「あなたがもむのをやめたら、この人は死んでしまうから」と説明していました。とにかく多すぎる患者に、設備やマンパワーが追い付いていかないという印象を受けました。

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【アンビューバッグをもんでいるのは、看護師ではなく患者の家族です(本文では救急外来について述べましたが、この写真はICUです)。】

 病棟の状況も似たような感じです。クーラーのない病室に患者とその家族がごった返しています。廊下では家族なのか患者なのか分からないような人々がござを敷いて寝転がったり、食事をしたりしています。

 最初に訪問したときには、どうしてこんなに多くの人が病棟にいるのか分からなかったのですが、どうやら看護師の数が少ないため、体位変換や食事介助、トイレ介助などの基本的な看病をすべて家族がやらなければいけないからのようでした。多くの家族が患者につきっきりで病院にとどまることになるのです。

 数少ない看護師の仕事はというと、点滴をしたり薬を渡したりするだけのようです。別の病院の話ですが、寝たきりに近い患者が便失禁でベッドを汚して糞便まみれになっているような状況でも、看護師は「自分たちの仕事ではないから」と、患者の家族が来るまで放置していたそうです。

 これは必ずしも看護師個人だけの問題ではなく、システムの問題でもあるのでしょう。以前、ベトナムの院内感染率が8%近くで非常に高いという報告がPromed(Program for Monitoring Emerging Diseases)にありましたが、院内の現状を見ていると、さもありなんとしか思えませんでした。

 手術室を見学させてもらった際は、1部屋に手術台が2つあることにも驚かされました。基本的に並列で手術をすることはないそうですが、一方で手術をやっている最中に隣のベッドで麻酔の導入が始まることはよくあるそうです。

国内一流病院の医師の月給は200〜300ドル
 もっとも、チョーライ病院の医療水準が低いのかというと、決してそんなことはありません。医療機器については、PETや核医学検査の設備を有し、放射線治療も行えます。

 医師の水準についても、日本の大学病院からチョーライ病院に派遣されていた先生と以前に話したとき、「個々の医師の手術の技術は日本より上かもしれない」と聞きました。何と言っても手術の件数が多く(例えば、脳外科の手術は年間9000件で、脳腫瘍だけでも年間800件)、日本人同様のベトナム人の手先の器用さもプラスに働いているという見立てでした。海外留学を経験している医師も多く、英語を操ってプレゼンする人もかなりいるようです。

 それだけ優秀な医師がいても、膨大な数の患者に対するマンパワーと設備の圧倒的な不足がベトナム医療の向上を阻んでいるのは明確です。その状況を改善しようにも、病院にお金はありません。

 医師たちの給料も安く、一流病院であるチョーライ病院でさえ、公務員である医師は米ドルにして月給200〜300ドル相当しかもらえないというのです。大手企業に勤めるベトナム人会社員よりずっと安い給料です(例えば、日系企業に勤める管理職クラスのベトナム人の月給は、米ドルにして1000〜1500ドル程度だと聞いたことがあります)。

 多くの医師は、院外でアルバイトをしたり、帰宅後に自分のクリニックで患者を診ることによって生計を立てているのです。チョーライ病院だけをとっても、ベトナム医療の問題点が多数見えてきます。

 冒頭で「なぜ、国は豊かにならないといけないのか」という問いを紹介しましたが、ベトナム医療のこうした実情は、国が豊かになり、医療・保健政策に変革が及ばない限りは改善していかない問題だと思われます。ベトナムの地から見て、日本の医療はいかに恵まれているかを改めて考えてしまいます。

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【チョーライ病院の外観からは、それほど巨大な病院には見えません。】
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