2012年01月31日

大都会の医療“過疎”地で起こっている悪循環

大内 啓
North Shore - LIJ Health System 救急医学・内科レジデント

 ワシントンD.C.にあるUnity Health Care Clinic―。この小さなクリニックには、一般内科、小児科、産婦人科と、各科のスペシャリストは豊富にそろっているのに、黒人の医師は1人もいません。しかし、ここの患者のほとんどは黒人です。こうしたミスマッチな状況は、なぜ生じているのでしょうか?

「普通」の医療ができないところに、「普通」の医師は集まらない
 私が通ったジョージタウン大学のメディカルスクールのカリキュラムは、1年生のころから基礎医学と臨床の両方を学ばせるというものでした。そこで毎週1日は、習い始めたばかりの診察の仕方を、大学と提携するクリニックで指導医と共に実際の患者を診ながら身につけることになっていました。

 多くの学生は、自宅から近かったり、臨床教育に優れた指導医がいるクリニックを選びますが、医療過疎地(medically underserved areas)のクリニックにも行けると聞いた私は、そこを志願しました。「授業でよく聞く医療格差とは、いったいどういうものだろう?」という興味があったからです。

 “過疎”というほどですから、都市部から離れた田舎町のクリニックを想像していたのですが、指定されたのはワシントンD.C.の南西地区(southwest)にあるUnity Health Care Clinicでした。ジョージタウン大学のあるnorthwestから車で15分足らずの場所。しかし、このクリニックは、それまで訪れていた大学病院の付属クリニックとは全く異なる雰囲気でした。

 大学病院の付属クリニックでは、小ぎれいな待合室にテレビや雑誌が置いてあり、患者の大部分は白人で占められています。受け付けから診察に呼ばれるまでの時間は短く、何より患者たちの「生活の余裕」を感じさせる雰囲気が漂っています。

 対してUnity Health Care Clinicでは、電球が切れそうな薄暗く狭い待合室で、椅子に座りきれない患者たちが廊下にまであふれ、自分の順番をいつまでも待っています。冒頭で述べたように患者は黒人ばかりで、特に子どもでごった返している(小児科受診、あるいは患者である親に連れられて)という状況。生活に余裕のない雰囲気が一目で感じられました。

 一方で、黒人の医師はいないのです。指導医に理由を尋ねてみたところ、「黒人医師は、ここのような都会の医療過疎地のクリニックでは働きたがらない」との答えでした。マイノリティー(黒人やヒスパニック)の医師の大半は貧困層出身者。彼らが自分の出身地に戻ってマイノリティーの医療を改善するという狙いで、affirmative action(※1)が存在しています。にもかかわらず、医療格差の改善は実現されていない。明確な裏付けはないものの、「もともと経済的に苦労して育ってきた人が、医師になって研修を終えて、わざわざ収入の低い職場を選ぶことはない」(指導医)という理由が推測されるそうです。

 医療過疎地となっている地域の住民は無保険者または公的保険(メディケイドやメディケア)の対象者であることが多く、そのような患者層を対象にクリニックを経営することは、少なくとも普通の医師にとっては、国や州からの助成金がない限り不可能なのです[1、2]。したがって、医療過疎地は固定化されることになります。

 そこで働く医師は当然、「普通」の地域の一般病院やクリニックで働くよりもたくさんの患者を診なければならないし、たくさん診ても年収は低くなります。そのため、地域貢献への燃えるような志を持った医師、あるいは岡野龍介先生が書かれていたように(働き続けるために、都会の中の“医療過疎地”へ―アメリカJ-1ビザの知られざる側面、2011.10.14)、Visa Waiverが欲しい外国人医師が目立つようになり、「普通」の医師は集まりにくくなります。

 私がUnity Health Care Clinicに通っていた2006年時点では、大学病院の一般内科の平均年収16万ドル程度に対し、Unity Health Care Clinicでは9万ドル程度でした。ただし、Loan Repayment Serviceという医学部学費ローンの返済プログラムが用意されていて、医療過疎地で1年間従事すれば3万〜4万ドル程度(働く年数によって変動)を政府が肩代わりして返済してくれるというメリットもあるのですが…。

治安が悪ければ運動療法もできない
 アメリカ人の医師が医療過疎地で働きたがらない理由は、その患者層に求めることもできます。まず、非マイノリティーの医師にとって、患者がマイノリティーばかりとなれば、言語やカルチャーの面で避けようのない壁が存在することになります。日々の生活の基準からして全く異なる患者と、病気という問題を共有することは難しくなります。

 例えば、貧困地域には糖尿病患者がたくさんいますが、食事療法や運動療法を勧めても全く効果はありません。なぜなら、貧困地域の人たちはヘルシーな食品を手に入れること自体が難しいからです。育った環境ゆえに形成された意識を変容させることもかなり困難です。

 運動療法にしても、治安が悪い屋外に出て運動することは、そもそもかなり危険です。屋内で運動する環境(ジムやインドアスポーツ)もありません。医師も人間ですから、こういった治療法を勧めても実行する患者が皆無であれば、仕事に対する士気が下がってしまうことが多々あります。

 2つ目の理由は、貧困地域の患者が抱える疾患の偏りです。Unity Health Care Clinicで働いていると、若い患者の性感染症を多く診ることになります。私の指導医は「こんなに性感染症ばかりを診療することになるとは思わなかった」と言っていました。

 大学病院や付属クリニックのように、幅広い疾患を診ることはありません。年配層では糖尿病、肥満、高血圧のような生活習慣病が当然多いのですが、ほとんどがコントロールされていない重度の患者ばかりです。

 私自身も経験しましたが、診察した子どもに性的虐待の痕跡が残っているようなこともあります。医師として解決できない問題に直面することが多いと、医師の心的ストレスも相当なものになります。

薬も検査も保険者から事前の許可が必要
 3つ目は、薬や検査の処方・オーダーの難しさです。特に公的保険において、むやみにコストの高い治療や検査が行われないようにする目的で、処方・オーダーの前に保険者から“pre-authorization”(仮認定)を取る必要があります。メディケイドやメディケアの患者層を対象にしていると、このpre-authorizationに常に悩まされることになります。

 例えば、未熟児として生まれてきた生後5カ月の乳児にパリビズマブ(Palivizumab:抗RSウイルスのモノクローナル抗体)を処方するため、私の指導医は電話で許可を求めたのですが、そこから2時間ほど待たされることになりました。もちろん、この間にも待合室の患者は増える一方なので、私と交代で電話番をしなければならず、大変面倒でした。確かにパリビズマブは高価な薬ですが、アメリカ小児科学会が推奨している処方ですから、どうしてそんなに時間を要するのか、学生であった当時は理解できませんでした。

 このように、エビデンスがある薬を使うことができなかったり、必要と判断した検査がオーダーしにくかったりという制限が多い現場を、大半の医師はやりがいのない職場として嫌います。

 最先端の医療を世界に誇るアメリカですが、一方では大きな医療格差という問題を抱えていることはご存知の通りです。今回は患者の経済的な事情によるものを紹介してきましたが、人種による格差もいまだになくなっていないのが実情です。例えば、同じような胸痛を訴える白人患者と黒人患者を比べると、所得や住む場所に関係なく、黒人患者の方が劣った治療を受けているとする報告があります[3]。

 そんなことも知らずにメディカルスクールに入った私は、1年生のときに大きな衝撃を受けました。次回は、その大きな衝撃について、ご紹介したいと思います。

※1 affirmative actionとは、underrepresented minoritiesに対して平等なチャンスを与えるための優遇措置で、1960年代に始まりました。例えば、黒人やヒスパニックの医師は人口比率に照らしてかなり少なく、この状況が医療格差に関係してくるのではないかという指摘があります。そのため、メディカルスクールなどが入学志願者を選考する際、簡単に言えば、同じ学力の白人・アジア人・黒人がいれば、黒人を優先的に合格させることが許されています。こうした措置は今も国家レベルで広く行われていますが、逆差別につながりかねないという反対意見もあります。

【References】
1)Peter J. Cunningham, et al: Medicaid Patients Increasingly Concentrated Among Physicians, Center for Studying Health System Change, 2006.
http://hschange.org/CONTENT/866/
2)The South Dakota State Medical Association: Medicaid Reimbursement: Medicaid Rates and Provider Participation: Considerations for South Dakota Policymakers, 2009.
http://www.sdsma.org/documents/MedicaidSummerStudy.final.pdf
3) Agency for Healthcare Research and Quality: Addressing Racial and Ethnic Disparities in Health Care.
http://www.ahrq.gov/research/disparit.htm
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