2012年02月08日

「世界の中心」でホームレスを診る

Homeless health in D.C.

大内 啓
North Shore - LIJ Health System 救急医学・内科レジデント

 前回書いたように、私はメディカルスクールの臨床教育で、アメリカの首都ワシントンD.C.の医療過疎地(medically underserved areas)に位置するUnity Health Care Clinicで学びました。このクリニックを運営するNPOのUnity Health Careは、“Medical Outreach Van”というサービスを行っており、ホームレスの人たちのプライマリケアをミッションの一つとして掲げていました。そのミッションに参加し、実際に体験して度肝を抜かれたエピソードをご紹介します。

最初の患者は寝込みを襲われた男性
 クリニック終業後の午後6時ごろ、私はUnity Health Care Clinicの指導医に連れられて、いわゆるキャンピングカーを医療用に改造したバンに乗り込みました。ほかに医師1人、看護師兼ドライバー1人が同行しました。彼らはホームレス医療の経験があるので、どの辺りにホームレスの人たちが集まっているかをある程度把握しているようでした。

 初めの「患者」は、国立自然史博物館(National Museum of Natural History)の向かい側の道路にある、温かい空気が吹き出てくる排気口のところで寝ていました。ワシントンD.C.の街並みをご存知の方もいると思いますが、政府機関や博物館などがある中心部はとてもきれいで、昼間の表通りは国家公務員や観光客などで賑わっています。私もジョギングでよく走り抜けるコースの一つだったのですが、その路上で寝ていたのです。

 「お〜い、ホームレス・ヘルスだけれど、何か必要なものや診てほしいところはないかい?」。5メートルほど離れたところから声をかけると、彼はのっそりと起き出して、「体が痛いから薬をくれ」と求めてきました。そこで、その50歳代と見えるみすぼらしい白人男性を、明るく清潔なMedical Outreach Vanに連れ込みました。

 側頭部に切り傷と打撲の跡があり、少し化膿気味でした。話を聞くと、誰かに睡眠中を襲われ暴行を受けたとのこと。傷口を消毒して、化膿止めのために抗菌薬と鎮痛薬(モルヒネを含まない)を出しました。暴行や性的犯罪の被害を受けることは、ホームレスにとって日常茶飯事なのだそうです。

「私と大統領を悪の組織が妨害している」
 次の「患者」は、世界銀行の横にある小さな公園のベンチで寝ている、おそらく40歳代の、がっちりとした体格の男性でした。先ほどと同じように声をかけると、即座に立ち上がり、こちらに向かって早足で何も言わずに迫ってきました。慌てて逃げ腰になる私でしたが、指導医と看護師は慣れたものでした。

 彼はただ、私たちと話をしたかっただけのようでした。「大統領から命令があってインディアナから出てきたのだが、なぜだかホワイトハウスのスタッフが会わせてくれない。私と大統領を妨害しようとする巨大な悪の組織の仕業だ」と、彼は真顔で話し出しました。

 隣で私は、「狭いバンの中にこの大男を入れて、大丈夫だろうか?」と考えていました。医学生だった私の目から見ても彼は「普通」ではなく、妄想の激しさは精神疾患患者のそれと全く同じように思われました。しかし、ここで抗精神病薬を与えることはできません。次にいつどこで会えるか分からず、服用後のモニタリングが行えないからです。

豊かな首都で顧みられないホームレスたち
 「ワシントンD.C.はホームレスが集まる場所」。指導医はこう教えてくれました。世界銀行には、前の年のクリスマスパーティーに友人から誘われ、豪華な雰囲気の中、様々な国の人たちとエキサイティングな時間を過ごした思い出があったのですが、すぐ横の公園に彼のようなホームレスが日夜過ごしているとは思いもよりませんでした。ワシントンD.C.には約6500人のホームレスがいて、その13%程度が重度の精神疾患を抱えていると報告されています[1]。

 さらに、医療格差のマーカーでもあるHIV/AIDSに関しては、ワシントンD.C.はアメリカで最も高い診断率および死亡率となっています(診断率は2009年のデータで、全米平均の人口10万人当たり11.2人に対して、人口10万人当たり119.8人)[2]。また、ワシントンD.C.のホームレス女性がAIDSになる確率は、一般人の2.5倍という報告もされています[3]。

 「なぜ、これだけ経済資源が豊かなワシントンD.C.にあって、誰もホームレスを助けようとしないのですか?」と、指導医に質問してみました。彼女の答えはこうでした。「ホームレスの人たちは選挙に投票する見込みがないでしょ。そんな人たちを守ろうとする政治家なんて、いないと思わない?」

 実際、彼女はワシントンD.C.の市長にこの問題を訴え続けているそうですが、一向に聞く耳を持ってもらえないとのこと。Medical Outreach Vanの活動にさえ公的資金が回りづらくなっており、いつまで続けられるか分からない状態のようでした。もちろん、Medical Outreach Vanの活動について、従事者は報酬を受け取っていません。

 「私は社会的弱者にも平等に医療を与えられるような医師になりたいし、私がやらなければ、ほかにやる人がいないでしょ?」―。「どうしてこんなに頑張るのですか?」と、バンを降りる前に指導医に尋ねて、返ってきた答えです。

 Unity Health Care Clinicに志願する医師たちの中には、彼女のように理想に燃える人たちもいて、当時まだ医学生1年目だった私にとっては光り輝く存在でした。その一方で、彼女がクリニックから帰宅するときにメルセデスに乗り込むのを見ると、言いようのない違和感を覚えたりもしたのでした。

 今回の話はホームレス医療のエピソードで、一足飛びにアメリカの医療格差という問題に結び付けることはできないでしょう。アメリカ以外の先進国、例えば日本でも、ホームレスに対する医療は似たような事情と想像されます。

 ただ、「強者しか生き残れない国」アメリカで目の当たりにしたホームレスの人たちに対する医療の現実と、同じ街のメディカルスクールでの「すべての患者は平等である」という教え。両者のギャップが私の中に医療者としての葛藤を生んだことは確かです。

【References】
1)The Community Partnership for the Prevention of Homelessness: Data & Reporting: Fast Facts on Homelessness in D.C..
http://www.community-partnership.org/cp_dr-Fastf.php
2)Estimated Rates (per 100,000 population) of AIDS Diagnoses, All Ages, 2009. statehealthfacts.org.
3)Schroeder Stribling, Sam Collins: Letter to the Editor: Don’t forget D.C.’s homeless women in the HIV/AIDS fight. The Washington Post. 2011.
http://www.washingtonpost.com/opinions/dont-forget-dcs-homeless-women-in-the-hivaids-fight/2011/06/21/AG9tRUgH_story.html
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