2012年02月16日

「押し入れから出てきた」人たち

あなたの同僚や患者が同性愛者だったら

日比野誠恵
ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

 「押し入れから出てきた」といっても、ドラえもん(正確には引き出しですが)ではありません。こちらでは“coming out of closet” という言い回しがあります。日本でも「カミングアウト」という言葉はかなり使われているようなので、お分かりの方も多いと思いますが、意味するところは「同性愛などの性志向を持つ方々が、そのことを周囲にオープンにすること」です。逆に、隠したままにしておくことを“in the closet”と表現します。

 ミネアポリスでは毎年6月のある週末に“gay pride”という同性愛者を中心としたお祭りが行われ、今年で40周年を迎えるそうです。最近、“Twin Cities Pride”という名称に変更されました(ミネアポリスと、隣接するセントポールを合わせ、よくtwin citiesと呼ばれます)。私の先輩である横須賀海軍病院の先生がこちらへ見学にいらっしゃった際、たまたまこのお祭りが開催されていた時分で、やたら派手なパレードに遭遇しました。

 その先生も興味を持たれたみたいだったので、“2人で”見学に行くことに。「勘違いされたら困るなあ」という不安も正直ありましたが、同僚や患者にゲイやレズビアンの方は珍しくないし、性転換手術をした患者に接したこともあります。「これも勉強」という感じでした。

 アメリカは非常に広い国で土地柄も様々ですから、同性愛者として生活することの難しさも場所によって大きく変わります。サンフランシスコは同性愛者の方々が暮らしやすい街として日本でも有名だと思いますが、ここミネアポリスもかなり住みやすいといわれています。

 2000年のアメリカ国勢調査[1]の統計によると、人口比率で全米第1位の都市はサンフランシスコで、住民の19.4%が同性愛者とのこと。シアトル、アトランタと続いて、ミネアポリスは第4位(12.5%)となっています。ちなみに2011年6月、ニューヨーク州は同性婚を合法化した6番目の州となりましたが、ニューヨーク市は人口比率では10位にも入りません。しかし、同性愛者の人口総数は、27万2493人で第1位でした。

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【レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの権利運動(LGBT運動)の象徴として掲げられるレインボーフラッグのパターン。様々なバリエーションがありますが、現在ではこの6色バージョンが最も一般的に使用されています。】

長い苦難の時代を過ごしたアメリカの同性愛者
 古今東西どこに行っても同性愛者はいるのですが、アメリカではキリスト教の強い影響なのかカウボーイ文化の影響なのか、1960年代後半くらいまではおおっぴらに迫害を受けていたようです。警察が執拗にゲイバーを取り締まったり、職場で差別を受けたり、果てはリンチの対象になったりと、とてもカミングアウトどころではなかったといいます。

 その後の1977年、ハーヴィー・ミルク氏がサンフランシスコの市議会議員に選出されたことで、風向きが変わり始めました。彼は“coming out of closet”した人として初めての市議会議員で、俳優のショーン・ペンは映画「ミルク」で彼を演じ、2008年にアカデミー主演男優賞を獲りました。

 あろうことか、ミルク氏は選出まもない1978年に暗殺されてしまいましたが、彼の業績や影響力は多大なものがあり、タイム誌「20世紀の最も影響力のあった100人」の1人に選ばれています。なお、ミルク氏は自らが暗殺されることを予期していてテープに遺言のようなものを残しており、「自分が暗殺されたら、多くの同性愛者がカミングアウトするようになるだろう」と予言していたそうです。

 1980年代になるとHIV/AIDSが社会問題となり、当時“4H”と言われた危険因子の一つとしてhomosexualが挙げられるようになりました(後の3つはhemophilia〔血友病〕、heroin use(drug use that may involve shared needles)〔ヘロインの使用〕、Haitian〔ハイチ人〕)。同性愛者にとっては苦難の時期だったと思われます。その後、homosexualというよりhypersexuality-promiscuous(見境のない性交渉)が問題といわれるようになりました。今では非常に効果の高い抗HIV薬が登場して、あの頃からは考えられないほど、エイズ患者を救急部で見ることもなくなっています。

合唱団にホッケーリーグ、“coming out of closet”たちの多彩な活躍
 先にちょっと触れましたが、私の同僚にレズビアンの救急医がいます。まず彼女のパートナーが精子の提供を受けて双子を出産し、その後に彼女自身も同じ提供者からの精子で出産していました。彼女はいわゆる男役(俗にbutch)、パートナーが女役(俗にfemme)という感じです。

 ホスピタリストにもレズビアンの先生がいて、先日足首の捻挫で救急部に来たときもラグビーシャツなどを着て男っぽく振る舞っていました。ゲイのホスピタリストの先生もいて、この方は独特な話し方からも典型的なゲイだと分かり、この辺りで結構有名なゲイの合唱団の一員です。

 わが病院はミネアポリスの中でも特に都市部にあり、救急部でもちょくちょく同性愛の患者を診ることになります。大規模な総合大学(ミネソタ大学はビッグ10といわれる総合大学の1つ)のキャンパスの中にあること、1960年代後半に性転換手術を受けられる全米3施設の中の1つ(他はJohns HopkinsとUCLA)であったという背景もあります。多くはカミングアウトした方々なのですぐにそれと分かりますが、femmeの方だと、まれに気づかないこともあります。

 いずれにしても、医療の提供においては同性愛者であろうとなかろうと、マネジメントが変わることはさほどないと思います。ただ、少々難しいのが呼びかけ方。性転換手術を受けた方は当然、転換後の性で呼ばれたいわけですが、「見かけ」がいまいちその性に合っていないと間違った呼び方をして失礼してしまうこともあります。

 もちろん、同性愛者と接するのは職場ばかりではありません。以前、ホッケーの夏季リーグで一緒のチームになった友人がヘルメットに虹のシールを付けていました。実は、虹は同性愛者のシンボルになっており、当人が同性愛者であることを示すものでした。その後、彼はミネアポリスで同性愛者のホッケーリーグを組織したようです。

 アメリカはリベラルな国のようでいて、時と場所によってはとても保守的なところがあります。ミネソタ州も1970〜80年代はリベラルな気風で知られていましたが、最近ではティーパーティー運動の幹部で共和党の大統領候補の一人だったミシェル・バークマン女史に代表される保守派の台頭があります。サンフランシスコのあるカリフォルニア州でも南部のオレンジ郡はとても保守的な土地柄で知られています。

 アメリカ全体で見ると、連邦政府は同性婚を認めていませんし、多くの州の憲法でも違法とされています。ゲイやレズビアンの方々がずいぶんと市民権を勝ち取ってきたように見えても、実はまだ5つの州と1つの特別区で同性婚を認められたに過ぎないのです(WIKIPEDIA「Same-sex marriage law in the United States by state」より。もっとも、ドメスティックパートナーシップやシビルユニオンという、結婚と同等の権利・責任を得られるシステムは多くの州で整備されています)。宗教的な価値観のギャップも絡み、同性婚は感情的な対立を引き起こしやすい問題であり続けています。

 同僚であれ患者であれ友人であれ、同性愛の方々と接する機会は常にあるものと考えておく必要がありそうです。同性愛者に限ったことではありませんが、一人の人間として敬意の念を持ってかかわっていきたいものです。

【References】
1)U.S. Census Bureau: United States Census 2000
http://www.census.gov/main/www/cen2000.html
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