2012年03月06日

これが教科書で読んだデング熱?

日本で診ることのない症例にオロオロ(その2)

大西洋一
ラッフルズジャパニーズクリニック院長

 前回に引き続き、日本で出くわすことはないけれど、シンガポールではわりとありふれた疾患について、私がシンガポールの日本人会診療所に赴任して間もないころのエピソードをご紹介したいと思います。今回は、当地で働き始めて1カ月後くらいの出来事です。

 外来にやって来た30歳くらいの独身男性は、食品会社に勤める駐在員でした。「昨日から急に高熱が出て体がだるい」ということで来院。気道症状などの局所症状はなく、身体上も特に所見はありませんでした。何らかのウイルス感染という感じで、日本での診察ならインフルエンザを疑うところです。

 しかし、シンガポールでこうした症状の患者を診たときに、鑑別診断として忘れてはならない熱帯特有の疾患があります。デング熱です。デング熱はデングウイルスを保有した蚊に刺されることで感染する伝染病で、4〜7日の潜伏期の後、突然の高熱と倦怠感を主症状として発症します。通常は5日程度で解熱しますが、経過中に汎血球減少が進むと、ひどいときには出血傾向が現れ、場合によっては致命的となります。これをデング出血熱と呼びます。

 前回の冒頭で「シンガポールでは、いわゆる熱帯病と呼ばれる感染症などを見かけることはほとんどありません」と書きましたが、デング熱だけは例外です。日本では、国内にいて感染することはまずありませんが、東南アジアなどの渡航先で感染して帰国後に発症するケースはあります。ウイルス保有蚊が飛行機に乗って国内に侵入し、流行が起こるかもしれないという懸念もあるようです。

デング抗体は陰性、自宅安静で経過を見るも…
 さすがに来星(「星」はシンガポールの漢字略称)して1カ月の私でもデング熱の可能性はすぐ頭に浮かびました。しかし、頭にあるのは本からの知識だけで、実地での経験はありません。取りあえず血液検査をしたところ、CRPがごく軽度に上がっていたくらいで、血球検査も生化学検査もこれといった変化はありませんでした。

 デング熱は抗体検査で診断を付けますが、デングウイルス抗体が上がってくるのは通常は発症5日目以降です。一応、このときも検査しましたが、やはり陰性でした。自宅安静で経過を見るしかないので、2日後に再び来院するようお願いして、その日は帰ってもらいました。

 再診時にも依然として高熱があり、患者はだいぶ消耗しているようでした。再び血液検査を行ったところ、抗体は相変わらず陰性でしたが、血小板の減少傾向と肝酵素の上昇が見られました。デング熱の疑いが強くなったので、患者には病状のことや今後起こりうることを説明し、万が一に備えて入院を勧めました。

 日本人会診療所はクリニックですから、入院が必要な場合は現地の病院に紹介しなければなりません。ところが、患者は入院を希望せず、自宅安静で経過を見たいとのことでした。仕方ないので、明日もまた来院するよう伝え、何かあれば私に電話をするようにと連絡先を教えておきました。当時の私は、デング熱は非常に重篤な疾患という認識を持っていました。そういう意味では、シンガポールに赴任して初めて目にした重症患者といえます。

患者と共に大学病院の救急外来へ
 その日の夜10時ごろ、自宅でくつろいでいたところ、その患者から電話が入りました。「やはり入院したいので、今からシンガポール大学病院の『救急外来』に行く」との連絡でした。夜になるにつれて再び熱が上昇したことに加え、一人暮らしということもあって、急に不安になったのでしょう。脅したつもりはないのですが、日中の外来受診時の私の話も不安をあおったようです。私もこうしてはいられないと、その患者と待ち合わせてシンガポール大学病院の「救急外来」に向かいました。

 病院に到着すると、大勢の患者が順番を待っていました。シンガポールの大規模病院には必ず「救急外来」がありますが、中は「24時間ウォークインクリニック」と本当の意味での救急外来に分かれています。患者が「救急外来」と言ったのは、前者のことでした。昼夜を問わず様々な症状の患者が受診していて、たいてい混雑しています。夜間や休日は診察料が少し上がりますが、大した金額ではありません。

 結局、このときは2時間ほど待たされて、やっと順番が来ました。私は患者に付き添って診察室に入り、日本人医師であることを名乗り、今までの経過を説明しました。対応したのは見たところ卒後3年目くらいの若い医師でした。「デング熱かもしれないので入院させてほしい」と相談したところ、「今日までの血液検査の結果から、抗体は陰性だし、デング熱ではないでしょう」と否定されてしまいました。私はそれでも食い下がって、入院をしぶしぶ承知してもらいました。

 翌日になって、「あの患者はどうしているだろう」と思っていたところ、昼ごろに本人から電話が入りました。朝には熱が下がっていて「退院していい」と言われ、昼に退院したとのことでした。血液検査の結果はどうだったのか尋ねたところ、肝酵素の数値はさらに上昇していましたが、血小板数は回復傾向にありました。

 病院でデング抗体は検査されていなかったので、再度の抗体検査を勧めましたが、快方に向かっていた患者は希望しなかったので、結局のところ発熱の原因は分からずじまいです。それでも幸い、退院後はそのまま熱が上昇することなく、倦怠感も消えて全快しました。

多くの症例を経験して認識も変わる
 私はデング熱だったと思っていますが、ほかの何らかのウイルス感染だった可能性も否定できません。もっとも、デング熱でなかったとしても、重症化すればそれなりの対応をしなくてはいけないわけだし、患者が元気になるのが何よりですから、あまり原因にこだわる必要はないのでしょう。

 その後、シンガポールで診療を続ける中で、多くのデング熱患者を診てきました。今は、通常は自宅療養を勧め、よほど血小板数が下がったり全身状態が悪くなったりしなければ、入院を勧めたりはしません。デング熱を甘く見てはいけませんが、しっかりと経過観察すれば、たいていの患者は外来でフォロー可能です。

 人によっては、普通のかぜと片付けられてしまうほど症状が軽いこともあります。熱が出たので市販の解熱薬を飲みながら会社に通っていた人が、熱が下がった後も倦怠感が消えないために来院し、念のため血液検査をしてみたらデング熱だったなんてこともありました。

 やはり医学は経験の学問で、何ごとも一度は経験してみないと、自信を持ってきちんとした対応をするのは難しいものだなと思います。もし、シンガポールで診療することになった方がいましたら、少なくともヘイズ(前回紹介)とデング熱については、実際に経験した人から話を聞いておいた方がいいでしょう。他人の経験談でも、「疑似体験」として役立ちますから。
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