2012年06月11日

医師として、帰国は認められません

2月あたりの修学旅行は特に危ない!

大西洋一
ラッフルズジャパニーズクリニック院長

 シンガポール港はその地の利から、昔から航海の中継地として栄えていました。じきに日の出の勢いの上海に抜かれてしまうとは言われていますが、今でもシンガポール港の貨物取扱量は世界一を誇っています。

 同様に、空の玄関口としてのチャンギ空港では、アジアとヨーロッパを結ぶ要衝(ハブ空港)として多くの人々が降り立ち、飛び立っています。チャンギ空港の3つのターミナルには、それぞれラッフルズメディカルグループのクリニックがあり、空港内で調子を崩した人たちが訪れます。今回は、そうした旅行者のエピソードについてお話ししたいと思います。

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【チャンギ空港第2ターミナル内にあるラッフルズメディカルクリニックの玄関。】

どうしても診断書が欲しい。それぞれの事情
 シンガポールに向かう機内で、または空港に着いてから構内で意識消失という事例はよくあります。意識消失を起こしたような人は、そのままトランジットで目的地に向かいたくとも、医師の診断書がないと航空会社は搭乗させてくれません。空港のクリニックから病院へ送られてきた患者は、たいてい「もう大丈夫だから診断書を書いてくれ」とせがみます。

 機内でかなり飲酒していた人がトイレに行こうと立ち上がったところで意識消失したという事例もありました。おそらくは飲酒時の急な起立により一過性に脳血流が減ったためで、だとしたら搭乗しても差し支えないような気もします(この方はトランジットの予定でした)。しかし、さすがに経過は観察しないといけないし、検査などで客観的評価をしておかないと責任が持てません。来院したのが午後も遅い時間だったので、とりあえず1泊入院してもらうことになりました。

 長期休暇を利用してシンガポール観光に家族で訪れる日本人の中にも、運悪く旅行中に発熱したり、病気にかかったりする人が少なくありません。せっかくの旅行なのに、現地でのツアーをキャンセルしたり、ホテルのプールに入れなくなったりします。気の毒ではありますが、これらはまだいい方かもしれません。

 日本へ帰国する日になって、幼稚園児が水疱瘡を発症して来院した例がありました。予定通り帰国させてあげたいのはやまやまですが、ほかの乗客への感染リスクがありますから、医師としては搭乗を許可できません。お父さんはどうしても仕事の都合で予定通り帰らなければいけないということで、お母さんとお子さんだけが残りました。

 逆に搭乗を遅らせたいという人もいます。シンガポールで安ホテルに泊まったところ、ダニに噛まれて来院した患者さんがいました。ステロイドの塗り薬と抗ヒスタミン薬の処方を受けて帰りましたが、翌日再び来院し、「安静治療が必要だという診断書を書いてほしい」と言うのです。

 かゆみがあるままで飛行機に乗りたくないから帰国を延長したいが、格安航空券なので日程の変更ができない。そこで思いついたのが、体調不良で帰国できないという診断書を用意して保険会社に申請すれば、帰国費用が保険でカバーされるだろうということだったようです。さすがに虫さされ程度で「安静治療」の診断書は書けないので、お断りしました。

 似たようなケースで頻繁にあるのが、「体調が優れないので、帰国便はビジネスクラスの必要があるという診断書を書いてほしい」という依頼です。足の骨折などで狭いシートに長時間座ることが困難と思われるようなら診断書を用意しますが、正当な理由が見当たらない場合はお断りしています。

楽しいはずの修学旅行に潜むインフルエンザ集団発生のリスク
 社員旅行や修学旅行など100〜200人といった規模の団体からホテルへの往診依頼があると大変です。一度受けてしまうと口コミで広がり、その後も幾度となく依頼が舞い込んできます。しかも、各自が好きな時間に往診を依頼してくるので、戻ってきたと思ったらまた呼ばれるといった事態になってしまいます。

 今は、団体に同行している旅行会社の責任者に連絡を取って、なるべく患者をまとめて一度に診察できるよう依頼しています。できることなら、皆さん連れ立って来院していただくのがベストとも申し添えています。

 2月あたりの修学旅行シーズンは、日本でもインフルエンザの流行期です。200人などという規模になると、出発前に多少熱っぽくても「せっかくの思い出旅行だから」と無理して参加してしまう生徒や、出発時には何でもなくてもこちらに来てから発症してしまう生徒がどうしても潜んでいます。乗り物での移動から宿泊までずっと団体行動ですから、1人でもインフルエンザ患者が出れば集団発生はほぼ間違いなしです。しかも潜伏期を経て発症するので、旅行最終日の近くになって大量の患者が出ます。

 引率の先生は「皆と一緒に帰国させたい」と言いますが、搭乗できる状態にない生徒もいるし、そもそもインフルエンザの急性期であることが明らかな患者に医師として搭乗の許可は出せません。先生が誰か残って帰国を延期したり、場合によっては保護者が日本から迎えに来るということになります。

引率の先生方、海外での受診のご準備もお忘れなく
 修学旅行で海外に出るときには学校が海外旅行保険に加入するため、医療費は保険で賄われるわけですが、支払いは受診者にしてもらう必要があります。まずは本人が支払い、後で保険会社に請求することになりますが、外来診療ならまだしも、入院となればかなりの高額です。

 通常はホテルのチェックインと同様、入院時にクレジットカードで支払いを保証するか、現金で保証金を払っておく。こちらの医療機関ではこれが常識です。しかし、生徒はそんな大金は持ち合わせていないし、クレジットカードも持っていません。

 一般に、個人が空港などで加入する海外旅行保険では、キャッシュレスメディカルサービス(※1)というシステムが利用できます。ところが、修学旅行で加入するような団体保険には、この種のサービスがたいていは付いていないのです。やむを得ず、学校の先生が自分のクレジットカードで立て替えてくれることもありますが、そうでなければほかに方法がないので、こちらから保険会社に連絡を取ってこのサービスが使えるよう無理にお願いします。

 これがなかなか大変な作業で、保険会社は個人を特定して契約内容が明らかにならない限り承諾してくれません。特に団体保険の場合は確認が大変なようで、非常に時間を要します。

 このように、シンガポール在住者の場合とは異なり、旅行者の診療では特有のトラブルが発生する可能性があります。手軽に海外旅行に出かけられる時代ではありますが、万が一のときの備えだけはしっかりしていただきたいと思います。

 最近は海外への修学旅行も多いようですが、学校関係者の方には、ぜひとももう少し海外の医療事情や医療システムについてあらかじめ調べておいていただきたい。できることなら、インフルエンザが流行する時期の修学旅行は、トラブルが起こるリスクが高くなるので控えてもらうほうが賢明だと思います。

 今回紹介したようなトラブルが生じたときには、われわれも対応に苦慮することが多く、患者の希望通りに事が運ばないときには苦情を言われることもあります。

 しかし、もちろん多くの場合は「旅先に日本人の医師やスタッフの方がいて心強かった」と言ってもらえます。月並みではありますが、そうした言葉をいただくたびに、「またこれからも頑張っていこう」という気持ちがわいてきます。

※1 保険会社と提携している海外の医療機関であれば、患者は保険証券を提示するだけで医療費の支払いをする必要はなく(医療機関から保険会社へ直接請求)、入院時の保証も保険会社が行ってくれるというサービスです。わがクリニックやラッフルズホスピタルも各保険会社と提携関係にありますので、このサービスを利用できます。
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