2012年06月20日

イギリス医師会が新年金制度に抗議のスト決行へ!

怒れる医師たち、一歩も退かない政府

林 大地
ボストン大学放射線科リサーチインストラクター

 2012年6月21日(木)、イギリス全土で医師によるストライキの決行が予定されています[1]。イギリスの医師による大規模なストライキは1975年以来です。当時のストライキは、大学附属病院および関連病院の勤務医によるプライベート医療行為を禁止する制度の導入と研修医給与の実質減額に対する抗議のために行われました。結果として多くの病院が一時閉鎖される事態となり、最終的には政府が医師側の要求を呑むことで騒動が収まりました。

年金の大幅削減に医師会は「断固たる抗議」
 今年はエリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー(即位60周年)にロンドン五輪開催が重なり、イギリスにとってとてもめでたい年です。景気の急上昇も期待されています。

 そうした折、私の手元にイギリス医師会(British Medical Association;BMA)から一通の手紙が届き、「決行予定のストライキにできるだけ協力してほしい」とのメッセージが書かれていました(写真)。私は、イギリスを離れた後も現地医療界の様子を常に知っておけるように、継続してBMA会員となっています。スト決行の理由は、政府が2015年に導入を予定している国民保険サービス(National Health Service;NHS)の「新医師年金制度」に対する「断固たる抗議のため」とのことです。決行についてBMA会員の投票を募ったところ、過半数をはるかに超える賛成票が集まったそうです(表1)[2]。

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【写真 イギリス医師会(BMA)から私宛てに届いた、ストへの協力を呼びかける手紙。】

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【表1 新年金制度に抗議するストライキに対するBMA会員の投票結果(※クリックして拡大)】

 ストライキといっても、全ての医師が勤務を拒否するわけではありません。患者の命を犠牲にしてまでストを打つことは道義上許されないし、国民の理解も得られません。救命救急センターや産科外来・出産病棟、癌など重病の検査・治療にかかわる施設などは通常通りの診療体制を取るようです。しかし、緊急性を要さない手術(例えば人工股関節置換術)やルーチンの外来検査(例えば内視鏡検査)、general practitioner(一般開業医)のルーチン診療はキャンセルまたは延期されるようです。

支払総額は倍以上、支給額は大幅減に
 イギリスの医師たちを怒らせた新しい年金制度とはどんなものなのでしょうか。私の場合を例に取り、BMAが提供する年金シミュレーター[3]による計算に基づいてご説明します(表2)。(加入者の生年月日や加入年度によって金額が変わってくるので、あくまで私の場合の例です。なお、私は2006年を最後にイギリスで働いていないため、仮に私が現在もイギリスで働き続けていたら…という設定に基づきます)

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【表2 現行制度と新制度における年金額のシミュレーション(※クリックして拡大)】

 私は2004年にイギリスの医学校を卒業し、研修医として働き始めました。その時点でNHSの医師年金(NHS Pension Scheme)に加入しています。現行の年金制度では、60歳で定年退職すると仮定した場合、年金支払額(給与からの天引き)は働き始めてから定年までで総額19万6111ポンド(約2400万円)です。

 ところが、新制度ではこの額が一気に41万2981ポンド(約5100万円)まで引き上げられます。さらに、満額の年金受給対象となる年齢が60歳から67歳まで引き上げられます。

 例えば60歳で退職すると、現行制度では4万9327ポンド(約600万円)の年金が毎年支給されるのに、新制度では大きく減少し、4万743ポンド(約500万円)になります[4]。仮に67歳まで働くとすれば、現行制度でも新制度でも67歳の時点で年額約6万3000ポンド(約773万円)が支給されることになるので、政府は「67歳まで働けば減額とはならない」という理屈をつけているようです。

 しかし、現状では60歳での定年退職が一般的です。また、7年余計に働けば、それだけ年金支払額は多くなるし、年金受給期間は7年短くなります。年金支払額は2倍以上になるのに、年金支給額は実質大幅に減額されるわけで、どう転んでも医師には損となる制度改定なのです。

現実に鑑みると削減やむなし…
 今回のストライキについて、ロンドンで小児科レジデントとして研修中の親友に聞いてみたところ、次のような言葉が返ってきました。

「おれたちが研修医になった年に欧州労働時間指令(European Working Time Directive;EWTD)が導入されて以来、イギリスの医師の給料が低く抑えられているのは知っての通りだ。1週間の労働時間が法律通りの48時間以内で納まるわけがない。俺なんか、先週は96時間働いたよ。もちろん、残業手当なんて出ないがね。
 EWTDなんて完全に形だけで、医師の給料を安く抑えるためだけにあるようなもんだ。そこへ持ってきて、今回の新年金制度だろう?
 まったく、労働意欲をなくさせてくれるよ。もっとも、患者がいる限り、俺は仕事の手は抜かないがね。金が欲しくて医師になったわけじゃないから」

 しかし、冷静に振り返ってみると、NHSにおいて働く医師は「公務員」の中でも非常に手厚い年金制度の恩恵にあずかってきたという事実があります。2010年度のイギリス国民の平均年収が2万5900ポンド(約318万円)であったことに鑑みると、医師のNHS年金がいかに恵まれているかが分かります[5]。

 2010年度のデータによれば、年間5万ポンド(約614万円)以上の年金を受給している公務員は全公務員の約0.3%に当たる1万2411人ですが、そのうちの72%(8714人)が医師なのです。全公務員の平均年金受給額は年間7000ポンド(約86万円)にすぎません[6]。国民の長寿化もあり、現行の年金制度の維持は不可能と判断した政府が医師の年金減額を画策したことには、こうした背景があるのです。

 年金の減額対象となったのは医師だけではありません。警察官や教員、国境警備隊員などは先立って対象となり、2011年11月には多くの公務員によるgeneral strike(ゼネラル・ストライキ)が行われました。しかし、政府は「新年金制度は年金制度そのものを維持するために必要不可欠である」として、一歩も譲りませんでした。今回も同じ展開となりそうな気配です。

 BMAは政府に対して新年金制度の撤回を求めていますが、政府がスト予定日までにBMAの要求を呑むことは考えにくい。イギリス人の「スト好き」な気質からしても、おそらく予定通りにストは決行されるでしょう。

 年金制度改革がイギリスの医師にとって不本意なものであることは間違いありませんが、私としては現状に鑑みるとやむを得ない措置だと思います。親友の小児科医のように「患者を救うことを生きがいとしている」医師たちは、きっとストライキ当日も通常通り粛々と勤務に当たることでしょう。私も、今もイギリスで医師として働いていたとしたら、BMAがストを打つことに反対はしませんが、自分が参加することはないと思います。

【References】
1)British Medical Association: BMA action.
http://www.bmaaction.org/
2)British Medical Association:Summary of ballot results.
http://bma.org.uk/working-for-change/negotiating-for-the-profession/industrial-action-pensions/ballot-results-list/
3)The British Medical Association:Pension Tension―A doctor’s guide to the government changes to your NHS pension.
http://www.pensiontension.co.uk/
4)NHS Employers:NHS Pension Scheme proposed changes illustrative examples of the effect on scheme members’ benefits,2012.
http://www.nhsemployers.org/SiteCollectionDocuments/NHS%20Pension%20Scheme%20change%20illustrations%20FINAL.pdf
5)Are public sector pensions too generous?(Series:Reality check:public sector pensions),The guardian,10 May 2012.
http://www.guardian.co.uk/politics/reality-check-with-polly-curtis/2012/may/10/public-sector-pensions-public-sector-pay/
6)The Intergenerational Foundation:78,000 Public Sector Workers on Annual Pensions of more than £25,900(more than Britain’s average wage),2012.
http://www.if.org.uk/wp-content/uploads/2012/05/78000_on_more_than_25900_rel.pdf
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