2012年07月26日

「調子が悪くなったら日本に帰る」なんて甘い!

寺川偉温
ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン内科医

 「ベトナムってどこにあるの?」と聞かれて、よく分らない人も結構いるのではないかと思います。日本からは意外と近く、フライトは約6時間。ハワイへ飛ぶより早く着きます。

想像以上に過酷な機内の環境
 ベトナムの医療の状況は、決して恵まれているわけではありません。そのため、こちらで暮らしている日本人には、「近いから、調子が悪くなったら日本に帰ればいいや」と考えている人が結構います。ところが、そう簡単にはいきません。

 一番の障壁となるのは、飛行機内の環境です。健康な人にとっては、食事は出るし映画も見放題の楽しいフライトですが、病気を抱える人には過酷な環境になります。

 まず気圧が問題になります。高度3万3000フィート(約1万m)の気圧は地上のおよそ5分の1です。機内では気圧調整をしていますが、それでも地上より低い0.8気圧(標高2000〜2500mの山の上と同じくらい)となっています。そのせいで機内では空気が膨張します。持ち込んだお菓子の袋などが上空でパンパンに膨らんでいるのを見たことがあるかもしれませんが(写真1)、それと同じことが体にも起こるのです。もし、腸閉塞のある人が空を飛んだらどうなるでしょう。ただでさえ拡張している腸が、さらに膨らむわけですから…。

20121114_terakawa_1.jpg
【写真1 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、お菓子のパッケージ内の空気が機内で膨張している状態です。腸閉塞がある場合、腸がさらに膨らむことも…。】

 ほかにも気圧に敏感な部位があります。それは耳です。内耳は細い耳管を通して鼻腔とつながっていますが、かぜをひいたりしていると、耳管に炎症が波及して管が詰まってしまいます。すると、耳抜きができず気圧の変化に対応できなくなります。

 特に強く症状が出るのは、飛行機が降下を始めたときです。外気圧が内耳の圧より高くなるので、中耳が圧迫されて痛みを感じるのです。ひどい場合は、気圧障害で中耳炎になることもあります。同じように、副鼻腔炎の人は顔が痛くなります。私の勤務するクリニックでは旅行者の受診も多いので、「フライトで耳や顔が痛くならなかった?」と聞いて診断の手がかりにしています。

 上空では酸素分圧も低下しています。高い山に登ったときのように、酸素が薄くなっているのです。そのため、飛行機に乗ると血中酸素濃度が低下するのですが(図1)[1]、健康な人ではそれを感じることはほとんどありません。

20121114_terakawa_2.gif
【図1 海抜8000フィートにおける健常成人およびCOPD患者の酸素飽和度 Can Fam Physician.2009;55(10):992-5.より改変引用】

 しかし、もともと肺の病気を患っている人は、ちょっと酸素濃度が下がるだけでも息苦しくなってしまいます。同じ理由で、虚血性心疾患を持つ人が急性期に飛行機に乗ると症状が悪化するため、病状が安定してくるまで飛行機での移動は禁忌です。

 実際に経験した例をご紹介します。オーストラリア人の60歳代男性が息子家族に会うため、飛行機でベトナムへやって来ました。こちらに来てから、家族は男性の口数が少なく様子がおかしいことに気づきましたが、本人からは何の訴えもありません。たまたま奥さんがかぜをひいて来院したところ、付き添ってきた男性も受診することになりました。

 診察したのは、こちらに到着して2日後。麻痺や失調を伴わない純粋な失語症でした。すぐに頭部CTを撮ったところ、左前頭葉の脳腫瘍と診断されました。ベトナムへ来る前から強い頭痛があったようですが、検査は受けておらず、どうやら飛行機に乗った後に悪化して失語が現れたようでした。結局、脳外科病院に転院し、脳浮腫を落ち着かせてから母国へ帰り、無事に手術の運びとなりました。

感染症患者の搭乗はもちろんNG
 ほかにも、気圧とは関係ありませんが、麻疹や風疹、インフルエンザなど空気感染や飛沫感染する病気を持つ人も、機内で感染を拡大させるおそれがあるため、飛行機に乗ることはできません。重症急性呼吸器症候群(severe acute respiratory syndrome;SARS)が飛行機の搭乗者を介して広まったのも、記憶に新しいところです。

 流行性角結膜炎はそれほど深刻な病気ではありませんが、感染力は強力です。あるオーストラリア人男性はこの病気にかかり、こっそり帰国しようとしたときに搭乗カウンターで声をかけられました。サングラスをしていたものの、「外してください」と言われ、両目の充血を確認された上で搭乗を拒否されたそうです。余談ですが、その彼は飛行機に乗れない間に当地で彼女を作り、今でも時々ベトナムまで会いに来ているようです。

 つまりは、深刻な病気になればなるほど、飛行機には乗れません。ですから、「海外で暮らしているけれど、調子が悪くなったら日本に帰ってくればいい」という考え方はぜひ改めてほしいと思います。

 しかしながら、「飛行機に乗らない方がいい状態だけれども、現地では治療ができない。どうしても治療ができるところに運ばなければならない」という事態は、現実問題として起こります。そこで必要になってくるのが海外医療搬送(medical evacuation)という仕事で、医師や看護師が患者に同行して目的地まで送っていくのです。次回は、この仕事について紹介したいと思います。

【Reference】
1)Carvalho AM,et al.So you think you can fly?:determining if your emergency department patient is fit for air travel.Can Fam Physician.2009;55(10):992-5.
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/60041342
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック