2012年08月02日

日本全土より広い医療圏をカバーする「空飛ぶ小児集中治療室」

川口 敦
アルバータ大学(Stollery Children’s Hospital)小児集中治療クリニカルフェロー

 先日、私の勤務するStollery Children’s Hospitalに、遠く離れた北極圏のヌナブト準州から5時間もかけて、4歳の男の子が航空搬送されてきました。先天性心疾患術後で、数日前にかぜを引き、悪化してきたとのこと。「今はそれほど重症ではないけれども、心疾患を合併した患者の急変に対応できる施設に搬送したい。他州の子ども病院は満床なので…」という搬入依頼でした。

 航空搬送時の機内は写真1のようにとても狭く、大勢の人間が乗っています。気圧や酸素濃度の変化などに加え、機体の揺れ、騒音、気温変化、湿度など、様々なことに気を配らなければならない過酷な環境です。患者の状態にもよりますが、頻回に身体所見を取り、途中で血液検査や輸血、点滴の交換などが必要になることもまれではありません。医療者同士のコミュニケーションも取りにくい状況なので、事前の打ち合わせと意思統一も非常に重要になります。

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【写真1 州の搬送用飛行機とPICU搬送チーム この日は片道1時間のフライトでした。】

 しかし、そうした大変な手順を踏んで患者が到着したとき、「5時間もかけて飛行機で来る必要があったのだろうか」と、私は考え込んでしまいました。確かに病状がさらに悪化する可能性はあるものの、この方法が本当に効率的なのだろうかと…。

多職種が連携して搬送先と手段を検討
 ここカナダのアルバータ州は、広さは日本の約1.75倍で、北端から南端まではおよそ1200km。険しいロッキー山脈に囲まれた、気候条件の厳しい内陸の州です(図1)。私が所属するアルバータ大学は、ちょうどその中央に位置する州都エドモントンにあります。

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【図1 カナダの州区分(※クリックして拡大)】

 Stollery Children’s Hospitalは、アルバータ州北部地域(州の2/3)の3次医療機関(※1)、西側2準州およびアルバータ州北部地域の外傷センター(※2)、西側4州および西側2準州のECMOセンター(※3)として運営されています。

 日本全土よりも広大な医療圏をカバーするための広域医療搬送手段には、主として飛行機が使われています。時にはヘリコプターも使用しますが、険しいロッキー山脈や厳しい冬の気候が障害になることも少なくありません。アルバータ州における病院間航空搬送は、実際のところ平均4時間もかかっています。いろいろな意味で、ケタ外れの搬送医療と言っていいのではないでしょうか。

 重症外傷や重症感染症などの治療は、1分1秒を争います。患者の予後を改善するため、できるだけ早く(1時間以内とも言われる)適切な治療の開始が望まれるわけです。適切な治療というのは、呼吸循環管理や抗生物質の投与を意味します。しかし、西カナダでは、北米やヨーロッパあるいは日本の都市部のように、現場から3次医療機関へ直接搬送していたのでは、ほとんどの場合で簡単に1時間を超えてしまいます。

 そのため、こちらの救急隊(emergency medical service;EMS)は、気道確保や簡単な初期治療なら現場到着直後から始めています。骨髄針(足の骨などに特別な針を刺して薬剤投与などを行う)などの侵襲的な処置も難なくこなします。それでも、十分な診断・治療が開始されるのは医療機関に搬送されてからということにならざるを得ません。

 そこでEMSは、小児救急の現場に到着した直後から“最後の砦”であるわれわれPICUの医師も巻き込み、複数回線の電話を使って当座の搬送先と最終的な収容先を選定し、最善の搬送方法を考え始めます。患者の容態は様々で刻々と変化しますから、唯一無二の方法というものはありません。しかし、たいていはとりあえず各地の1次または2次医療機関へ収容され、多くの場合は家庭医または小児科医が初療を担います(西カナダでは救急医が不足しています)。PICUの医師は、ここでも電話などで逐一連絡を取り、アドバイスなどを送り続けます。

搬送ナースと呼吸療法士が現場でライン確保や挿管
 その後、予想される搬入までの時間にもよりますが、PICUの搬送チームがその医療施設へ“お迎え”に向かいます。このときは州の飛行機または提携するNPOのヘリや飛行機を使用します[1]。小児に限らず、近くの医療施設へ搬入した後に高次医療機関への搬送が必要と判断されたようなときは、同様に搬送チームが当該施設へ向かい、到着直後から適切な治療を開始します。

 すべてのケースで医師が派遣されることが理想なのかもしれませんが、実際には訓練された看護師と呼吸療法士の2人で現場へ向かうことがほとんどです。(搬送前に特別な侵襲的処置(動脈ラインや中心静脈ライン、人工心肺の導入)の必要が予想される場合は、医師が向かいます)

 多くの場合、電話などで常に連絡を取り合い、医師からの指示も随時伝えられています。先ほども触れましたが、初療は家庭医や一般小児科医が担うことが多く、PICUの搬送チームが到着するまでは、EMSが施行する気管内挿管などを除き、たいていの侵襲的な処置は行われません。

 ここで言う「訓練された看護師」は、二次救命処置や診療の知識を含め、搬送医療のための特別な教育を受け、搬送に携わる権限を付与された看護師のことを指します。北米では、各施設のPICUを中心にこうした看護師が教育・配置されていることが多いようです。ここStolleryでは、年度始めに搬送チームの必要人数を把握して、離職などで足りなくなるようなら、経験年数などの要件をクリアしたPICU看護師の中から希望者を募って「4日間のトレーニングコース」を提供し、その後の評価や試験などを経て「搬送ナース」とします。

 彼らは院内の搬送(病棟間、CT/MRI)やRRT(rapid response team)の一員としての役割を担うほか、院内の他病棟での末梢静脈路確保などの簡単な処置を行うことができます。各シフトで3〜4人が勤務に就いています。同様に、呼吸療法士も特別な教育を受けた人のみが携わり、気管挿管なども許されています。

 大学病院からのチーム、しかも看護師を中心とするチームが搬送を行うことで、搬送先の医療施設との軋轢は生まれないのでしょうか? あるいは、医療の集約化という観点から問題は生じないのでしょうか?

 実際のところ、このシステムが始動した当初はいろいろな軋轢があったと聞きます。しかし、その後の長い歴史を経て、搬送チームが常にPICUやその医師を含むチームと連携しているという「安心感」「信頼感」もあり、もはや現場では大きな違和感や問題は感じられません。各専門家(家庭医や小児科医を含む)が搬送チームの持ち場や診療可能範囲を理解していること、医療者間で顔の見える関係を構築しやすい状況にあること(ほとんどの小児科医は大学病院と自身のクリニックの両方でポジションを持っています)、州内での医療情報共有システム[2]が運用されていることなども、ポジティブに作用しているのかもしれません。

航空搬送に頼る集約か? 過疎地への専門医配置か?
 われわれ小児集中治療の対象となる患者は産まれたばかりの新生児から思春期真っ盛りの高校生まで幅広く、人工呼吸をはじめ集中治療管理に必要な物品だけでも、驚くほどたくさんのサイズを用意しなければなりません。搬送医療の現場においても、病院の集中治療室で必要なものはレントゲン室以外すべてそろえている必要があります(写真2)。

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【写真2 ECMO搬送時の機内の様子 これは数年前の写真で、最近は機材も改良され、もう少しコンパクトに納まるようになっています。】

 そうした事情もあり、医療の集約化や広域搬送、航空搬送には、理想論だけでは解決し得ない「コスト」(※4)の問題が付きまといます。「航空搬送は高くつくし非効率。むしろ、医師を多数育成し、専門医も含めて過疎地にも配置すればいい」というような考え方もあるかもしれません。しかし、重篤な小児患者を広域集約化することにフォーカスして費用対効果や治療予後などを調べた研究で有意義なものはあまり存在しません。どちらがいいのか、検証はできないのが現状です。

 「今使えるリソースで最良のシステムを作り、子どもたちにとって最良と考えられる医療を提供しよう」。少なくとも、現場の医療者がこう考え続けていることは確かだと感じられます。冒頭で紹介した、飛行機で5時間かけて運ばれてきた4歳の男の子に付き添ってこられたご両親は、安心した顔で「運んでくれてありがとう」と言ってくれました。搬送チームの安堵した様子にも接し、「ここではこれが一番の方法なのだな」と思ったのでした。

※1 3次医療機関:すべての重篤な状態にある(小児)患者の治療に当たる施設。
※2 外傷センター:特殊な治療が必要となる(小児)外傷患者の治療に当たる施設。
※3 ECMOセンター:重症呼吸器不全の(小児)患者の体外膜型人工肺(extracorporeal membrane oxygenation;ECMO)を管理する施設。
※4 2011年のデータでは、アルバータ州北部地域からアルバータ大学(エドモントン)への1回当たりの航空搬送費用(成人および小児)は平均8169カナダドル。また、同じく隣接州のイエローナイフからアルバータ大学への搬送費用は平均1万4551カナダドル。なお、1カナダドルは現在の為替レートで約77円。

【References】
1 )STARS Air Ambulance.
http://www.stars.ca/
2)Alberta Netcare.
http://www.albertanetcare.ca/
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