2012年08月21日

「ビビッときた」から、GPを目指しました

小林孝子
ビーンリー・ロード・メディカルセンターGPフェロー

 皆さん、はじめまして。小林孝子です。オーストラリアへ渡って、夢だったGP(general practitioner)となり、ブリスベンで働くこと丸6年。あっという間に過ぎてしまいました。

誰でもすぐに打ち解ける不思議な言葉、“G’ Day,Mate!”
 連載タイトルに入れた“G’ Day,Mate!”を「ジー・デイ、メイト!」と読んだ人は多いと思います。これは「グッデイ、マイ!」と読み、「ハロー」の意味です。“Mate”は“sir/madam”の砕けた言葉で、親しみを込めた言い方です。

 オーストラリアの人々は、何かにつけて表現の最後に“Mate”を付けます。例えば、“G’ Day,How wa ya?”“Good thanks Mate,How is going Mate?”といった感じで。このように言葉をかけられると、初めて会った人でもグンと親しみがわいて、すぐに打ち解けてしまいます。ちなみに、心肺蘇生を行うときも、日本では「もしもし、聞こえますか?」と患者さんに呼びかけるところ、こちらでは“G’Day mate!Can you hear me?”と言います。

 オーストラリアの都市の中で、シドニーやメルボルンは日本でもよく知られています。ブリスベンはそれほどではないかもしれませんが、200万の人口を有するオーストラリア第3の都市で、クイーンズランド州の州都です。クイーンズランドと言えば、ゴールドコースト、ケアンズ、グレートバリアリーフなどが有名。“Sunshine State”とも呼ばれるように気候は年中通して暖かくカラッとしていて、リタイアした老夫婦が老後をこの地で過ごそうと他州から移り住んできます。

 この連載では、私の拙い“つぶやき”が読者の皆様の心に少しでも残ってくれることを祈りながら、よしなしごとを綴っていきたいと思います。もし、何か私に聞きたいことがある読者の方があれば、コメント欄にいつでも質問を書き込んでください。

dazzleな経験、してますか?
 『21』(邦題『ラスベガスをぶっつぶせ』)という映画をご覧になったことがありますか? すごく頭の良い主人公がハーバード大学医学部に入るための奨学金を申請するため教授と面接するシーンがありましたが、その教授は「君にはdazzle(まぶしくてくらくらするほど輝かしい)な経験がないから」と言って断ったのでした。読者の皆様、特に若い方々、dazzleな経験をしていますか? 夢を見つけ、それに向かって突き進んでいますか?

 私はと言えば、今に至るまでに2回、dazzleな経験をしてきました。どちらも何度も何度もチャレンジして、高く厚い壁を突破した!夢に到達した!という瞬間です。1度目は、オーストラリアの医師国家試験であるAMC(Australia Medical Council)の試験に合格したとき。2度目は、GP fellowship(オーストラリアのフェローは日本の専門医に相当)の試験に合格したとき。何かを成し遂げた瞬間って、本当に貴重な体験ですよね。まして相当なストレスの中で努力し続けた結果ともなれば、喜びもひとしおです。日本の医師国試や専門医試験に合格したときよりも、私にとっては“dazzle”でした。

 この前、インターネットのQ&Aサイトで、「オーストラリアでドクターになるにはどうしたらいいですか?」という質問を目にしましたが、それに対する回答は「ILTS(International English Language Testing System)で8以上を取り、AMCに合格すること」と素っ気ないもの。確かに文字にすればたったこれだけのことなのですが、その夢をかなえるため、今日もオーストラリアで頑張っている日本人医師たちがいます。

1995年、34歳で夢へのスタートラインに立つ
 GPはプライマリケアを担う一般開業医として、ありとあらゆる症例を診ることになります。新生児から終末期患者まで幅広く、見逃しのないように診断を付け、治療していきます。

 例えば、わが家のfamily GPはバッケン先生といいます。旦那さんの古くからのGPで、今は家族となった私も娘たちも、具合が悪くなったらまずは彼のクリニックを訪ねます。旦那さんは特にお世話になっていて、喉に刺さった鯛の骨を抜いてもらったり、動けないほどひどい腹痛を痛み止めの注射で静めてもらったり、降圧薬と痛風の薬を処方してもらったり…。この間などは、ちょっと怪しい背中のほくろも除去してもらいました。

 私は留学でオーストラリアを訪れた後、結婚のために当地に移住することになりましたが、実は旦那さんに教えられるまでGPの存在を全く知りませんでした。でも、GPの仕事について聞いているうちに、「あっ、これが私のやりたいことだ!」と思え、オーストラリアでGPになることが夢となっていました。そのときの衝動は今でも覚えています。

 ほら、よくあるでしょう。ショッピングに行って、すごく気に入った物を見つけたとき、居ても立ってもいられなくて頭がカーッとする感じ。松田聖子が2人目の旦那さんに出会ったとき、「ビビッときた」そうですが(今は3人目ですね。すみません、古い話で)、そんな感じだったようにも思います。もちろん、私が旦那さんに出会ったときも、ビビッときましたけれど…。

 私は医学生だった頃から、医学の勉強が大好きでした。「できれば、6年間で培った医学の知識を、満遍なく患者さんに使うことができたらなあ。1つの分野に絞ってしまうのはもったいない」「研修が終わっても、ずっとローテートしていたいなあ」と思っていました。ローテート先に行くたび、講義で習ったことが現実となって目の前に現れてくることを、とても面白く感じていました。内科に進んだのは、幅広い症例に出合えると思ったからです。オーストラリアでGPという仕事に魅かれたことには、そんな背景があったのだと思います。1人の患者さんを総合的に診るということが当時はとても新鮮で、「私にぴったり」だと…。

 17年前、バッケン先生に最初にお会いしたときの彼の一言は、当時既に内科医として10年のキャリアがあった私の心にもしみましたね。「タカコ、診察は患者さんが部屋に入って来て握手するところから始まっているのだよ。患者さんの歩き方や姿勢、手の温もり、握り方や握る力から、その全身の状態や精神状態、訴えの内容を予測するように観察するんだ」。この言葉は、常に基本に立ち返り、先端の検査機器に頼りすぎることなく診断していく姿勢を示していて、当時の日本の医療のあり方に警鐘を鳴らしているようにも感じられました。

 私も、もう一度原点に還りたいものです…。でも最近、バッケン先生からようやく「一人前のGPになった」と言ってもらい、ご褒美にハグとキスをいただきました。あれはうれしかったなあ。

オーストラリアGPからの挑戦状―あなたならどうする?(1)
 この連載では随時、私が出合った症例をもとにしたクイズを出題し、「あなただったらどう対応しますか?」と、読者の皆さんにうかがっていきたいと思います。答え合わせは次回の記事で。コメント欄へ回答いただくのも大歓迎です。

 ソマリア人の15歳女性。生理が1週間遅れているということで来院。19歳のボーイフレンドがいて、避妊なしのセックスをする。性的虐待(sexual abuse)ではないとのこと。妊娠反応陽性。ピルは勧められていたが、副作用が怖くて服用しなかった。さて、次の対応は?

 なお、オーストラリアでは、州によっては妊娠中絶が法的に禁止されています。ここでは禁止されているものとして考えてください。

(1)本人の承諾なしに、すぐに親に電話をする。
(2)すぐに妊娠のケアを進める。
(3)妊娠、妊娠のマネジメントに対する本人の理解度をアセスメントし、それが十分だと判断したら、本人の判断に任せる。
(4)医療事故賠償保険会社(medical indemnify insurance)に電話をして意見を聞く。
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