2012年11月06日

看護師チャドは自らに引鉄を引いた

日比野誠恵
ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

 先日、わが救急部の看護主任から何やら深刻な文面のメールが届きました。読んでみると、なんと、まだ新任だった救急部の看護師、チャドが自殺してしまった。そのことで、近日中にデブリーフィング(事故後に開かれる会議)を行うという内容でした。

 実は、ミネソタ大学病院の精神科はとても患者数が多く、そのため救急部にかかる精神科患者の数も多くなっています。そうしたこともあって以前から精神科救急の経験を書こうと思っていたのですが、身内のスタッフの不幸を目の当たりにして、あらためて「精神科救急は難しい」と皆で認識したところです。今回は、亡くなったチャドを追悼する気持ちも込めて、精神科救急について書きたいと思います。

救急に訪れる自殺念慮の患者
 チャドは40歳前後の白人で、つい2カ月ほど前から救急部に勤務するようになった看護師でした。中肉で、背はやや高く、人当たりはよく、礼儀正しく、いかにもまじめかつ誠実。同僚や患者からの評判にも優れるナイスガイでした。

 その日、彼は「病気のためシフトに入れない」という電話を病院に入れた後、自らに向けてピストルの引鉄を引いたということです。遺書もなく、原因は分からずじまい。同僚のゼレズニカー先生も私も、まさに寝耳に水でした。われわれはシフトのたびに精神科救急の患者を診ているわけですが、自分たちの足元に潜在していた“精神科救急”のニーズに気づくことはできませんでした。チャドの姿を思い浮かべると、これまで自ら命を絶ってきた精神科救急患者たちの姿が重なります。

 もう15年くらい前になりますが、50歳過ぎのウィスコンシン州に住む牧師さんが奥さんに連れられて救急部に来院したことがあります。うつ状態のため乗用車内でのガス自殺を考えているということで、72時間ホールド(日本の措置入院に当たる)となり、閉鎖病棟(15分ごとに巡回あり)に入院してもらいました。翌日出勤すると、その患者が一夜のうちにTシャツで首を吊って亡くなったと聞かされました。

 地元の名士であった患者が閉鎖病棟に入院したときは、自らビニール袋を被って窒息死したという話もありました。以来、救急部ではビニール袋の持ち込みが禁止されています(Tシャツまでは禁止されていません)。

 さらに、ある60歳前後の患者が、やはり自殺念慮のため閉鎖病棟に強制入院させられるということでベッドが空くのを待っていたとき、インスリンポンプで自ら過剰投与をしてバターンと倒れたということもありました。この患者は1型糖尿病でインスリンポンプを使用していたのですが、幸いにも命は助けられ、ICUへ入院となりました。以来、救急部では、自殺念慮のある患者でインスリンポンプの使用は禁止となり、通常のインスリン投与としています。

 救急医として患者のためにできることはしてきましたが、本気で自殺を考えている方は結局それを実行してしまうのでしょうか? いや、決してそんなことはなく、“Where there is a will,there is a way.”(ことわざで「意志あるところに道は開ける」)のようです。もっとも、心理療法士であるわが妻いわく、「自殺を思い至る前に引き戻さなければならない」ということですが…。

ものすごく寒い冬の夜は…
 教科書的には、具体的な自殺のプランを考えている人、精神状態が急激に悪化している人、日常的な用事がこなせなくなった人などは入院させるべきとされます。しかし、こうした分かりやすい患者ばかりではありません。

 例えば、境界型パーソナリティー障害と診断されているある患者は、しきりに入院したいと訴えていて、「また来たか」とよく言われていました。ある日の来院では精神科医と心理療法士の診察の末に帰宅させられたのですが、その1時間後にオーバードーズで近隣の救急部に搬送されました。

 また、ものすごく寒い晴れた冬の夜(この地域では、雪の降る曇った日より晴れた日の方が気温が低くなります)には、自殺念慮を訴えるホームレスが急に増えたりします。何のことはない。暖を求めているのです。あまりにもこの手を多用したため、チャートに「詐病」と書かれている人もいました。そうはいっても、怒りに任せて衝撃的に自殺企図を起こす人もいるので、「どうせ今度も詐病なんだから」と追い返すわけにはいかないのです。

精神科医が救急に参加、Behavioral Emergency Centerが発足
 おおざっぱに言えば、精神科領域に関連する救急医の主な仕事は、自傷・他害のある患者(うつや双極性障害、統合失調症などでサイコーシス(*注)のある患者)を入院させることと、精神科に入院予定の患者に器質的疾患がないことを確認すること(medical clearanceと呼びます)です。しかし、決して一筋縄ではいきません。

 ミネソタ大学病院精神科は、ミネソタ州、ノースダコタ州、サウスダコタ州のみならず、ウィスコンシン州西部からも難しい問題を抱えた患者が多数訪れます。その背景から、精神科領域の疾患で救急部を訪れる患者も多く、質的にも量的にも対応が大変です。

 そこで、ミネソタ大救急部では、精神科医と心理療法士に一部の救急医を加えた陣容でBehavioral Emergency Centerを立ち上げました。一般の救急患者、そして精神科領域の救急患者も多い12〜24時、このチームが精神科領域の患者を対応することで、メインの救急部の混雑を避けられるようにしています。24時以降は救急部で対応しますが、心理療法士は常駐しているので 随分と助かります。このおかげで、われわれ救急医の精神衛生も比較的正常に保たれています。

 こちらの医師の間では“a nice patient tends to have bad prognosis.”((性格が)いい患者に限って予後が悪い)というフレーズがよく使われます。チャドのことを思うと、このフレーズは精神科領域でも当てはまるのではないかと考えてしまいます。精神科救急を含めた救急医学は奥が深く、守備範囲もとても広いものです。非常に厳しい現場ではありますが、そこで働くわれわれ自身も心身に気を配り、ワークライフバランスを大事にして、いい意味でリラックスして仕事に臨む必要があるのでしょう。

*注 サイコーシス:精神症。思念と現実との区別ができなくなったり、現実には起こっていないことを「体験」(被害妄想や幻聴など)して、現実に合わせた言動が難しくなる症状を起こすもの。統合失調症が代表的。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/61236330
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック