2012年12月03日

「先生、入院を決めるのはあなたではありません」

渡瀬剛人
ワシントン大学救急医学領域
ハーバービュー・メディカルセンターAttending Physician

 以前働いていた病院で、74歳の女性が回転性めまいを主訴に救急外来を受診してきました。年齢のことも考え、様々な検査を施行しましたが、特に大きな異常は見つかりませんでした。末梢性のめまいということで様子を見ていましたが症状が良くなる気配がないので、入院のことを本人とその家族に話しました。 診察室から戻ると、病院のケースマネージャー が私のところに来て、「あの患者さんはどうするのですか?」と尋ねてきました(アメリカでは、ほとんどの入院患者のスクリーニングをケースマネージャーが行います)。

 「特に大きな異常はないけれど、症状が続くので入院させます」。こう答えると、ケースマネージャーは、「特に異常がないのに入院させることはできません。この本(「入院基準ハンドブック」=後述)によると、あの患者さんは入院基準を満たしません。先生、入院を決めるのはあなたではありませんよ。この本です」。私は二の句を継ぐことができませんでした。

 ケースマネージャーは、その患者と家族のところへ赴き、帰宅しなければならない旨を申し渡した後、「家族の方が患者さんを連れて帰ることになりました」と私に報告してきました。どうしても腑に落ちない私は再度患者のところへ行き、まともに立つこともできないその姿を見て、誰が何と言おうと入院の必要があると思いました。ケースマネージャーとの一悶着はありましたが、家族に説明して結局入院となり、幸いにも2日後に無事退院していきました。なお、このときの入院医療費は、面倒な書類作成の手間があったものの、支払われたそうです。

“金科玉条”の「入院基準ハンドブック」が入院の邪魔をする
 「先生、入院を決めるのはあなたではありませんよ」――。この台詞はどうして出てきたのでしょう。

 自分で言うのも何ですが、様々な病気の病態生理を一生懸命に勉強し、患者の心身に何が起こっているのか理解を試み続け、歳を重ねるにつれて患者の社会背景にもある程度目が向くようになりました。入院が必要かどうかは、患者を直接診ている医師の自分が最も分かっているはずです。

 この台詞について書き始める前に、アメリカの医療事情を少々説明する必要があります。ご存知の通り、アメリカの医療財政は決して“健康”ではありません。近年の報告によると、GDPの18%(世界ダントツ1位!)を医療費に充てながら[1]、医療レベルの世界ランキングでは37位にとどまります[2]。また、個人レベルでも、個人破産件数の原因の半分が医療費であったり[3]、値段が高すぎて医療保険に入れない人が人口の16%を占めていたり[4]と、医療費は社会に大きなきしみを生んでいます。

 この事態に対して、メディケア(高齢者および障害者向け公的医療保険)およびメディケイド(低所得者向け公的医療保険)を管轄するCenter for Medicare and Medicaid Services(CMS)は、様々な打開策を練りました。その一つとして、CMSが定める入院基準を満たしていない場合は、病院に対して入院医療費を支払わないというルールを作ったのです[5]。

 病院側は利益を減らすまいとして、すぐに反応を見せました。そして作成されたのが、前述のケースマネージャーが参照していた「入院基準ハンドブック」(Standard Hospital Admission Criteria;SHAC)です(写真)。これには下記の一例のように、バイタルサイン、検査結果、診断名などが含まれます。

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【写真 『Standard Hospital Admission Criteria』(B & R MEDICAL,5th edition,2009.)】

SHACが示す入院基準の一部
・体温>38.8℃+次のいずれか:収縮期血圧<90mmHg、脈拍>140回 or <50回、悪寒、白血球>1万5000/μL
・収縮期血圧>250mmHgもしくは拡張期血圧>120mmHg+胸痛、頭痛、呼吸苦 など
・突然発症の意識障害、四肢麻痺、構音障害、視覚障害
・尿量<0.5mL/kg/時
・ナトリウム<120mEq/L or >150mEq/L、カリウム<2.5mEq/L or >6.0mEq/L、pH<7.32 or >7.45
・ヘモグロビン<7g/dL or >22g/dL
・白血球<2000/μL or >1万3000/μL

 ケースマネージャーはこの本(あるいは同じ内容のソフトウェアをインストールしたパソコン)を持ち歩いており、入院となりそうな患者がいたら基準を満たすか調べます。基準を満たさないときは、なるべく入院をブロックしようとします。「最終判断は担当医師による」との注意書きがあるにもかかわらずです。つまり、医師の目の前にいる患者に入院が必要かどうかを決めているのは、ワシントンD.C.のお偉方の判断なのです。

 このルールによって不幸な経過をたどった患者もいます。ある70歳代の独居男性がフラフラして気分が悪いという主訴でER受診。ケースマネージャーのチェックをうまくかいくぐって入院となったものの、翌日には見つかり、すぐに退院させるようケースマネージャーから医療者へ相当なプレッシャーがかかりました。

 結局、ケースマネージャーに屈したかたちで、その高齢者はまともに自分の身の回りの用事もできない状態でしぶしぶ退院させられました。そして数日後、自宅で倒れて動けない状態で発見され、搬送されてきました。極度の脱水および大腿骨頸部骨折と診断され、このときは「入院適応」を満たしていました。さすがにこれは病院でも問題となり、入院の可否は最終的には医師が判断するということで、病院管理者と救急スタッフが一致しました。

医療サービスは「権利」ではなく「特権」なのか
 CMSがもたらした弊害として、別の例もあります。私が現在働いているワシントン州では、州のCMS部門が今年2月、メディケイドの患者が同じ主訴で救急外来に年4回以上かかったら、保険を適用せず全医療費を患者に支払わせるという政策を打ち出しました[6]。もちろん、救急外来の受診者数と医療費を抑制する魂胆です。

 しかし、このような患者群はプライマリケアでもまともに診てもらえず、救急外来しか選択肢がないのも事実です。メディケイドの患者は診療報酬が低く抑えられており、かつ医学的にも社会的にも複雑な患者が多いため敬遠されます。そもそも、お金がないからこそのメディケイド対象者なのに、彼らに医療費を負担させることが何を意味するかは想像に難くないでしょう。すぐに受診せず重症化してから搬送されてくるか(重症化したら、CMSは相当額の医療費を支払うという矛盾!)、すぐに受診しても医療費が支払えないので、結局はCMSが本来支払うはずの医療費を病院が負担することになります。

 この政策は患者の基本的権利(Prudent Layperson Standard of Access to Emergency Medical Care)[7]を侵害しているということで、裁判で無効となりましたが[8]、近々CMSはワシントン州に対して似たような政策を打ち出してくると聞いています。

 医療と経済には切っても切れない縁があります。健全な医療財政を保つために、どの国も四苦八苦しているのは事実です。しかしながら、財政上の数字を良くするために一番の弱者である患者にしわ寄せが行くのはいかがなものかと、この国で働いていて感じます。

 アメリカの医療事情がここまでこじれた背景には様々な理由が複雑に絡み合っており、一概に説明はできません。しかし、一つの大きな要因として、医療をビジネスとして扱い、医療サービスを受けることを「権利」でなく「特権」としてしまったことがあると個人的には考えています。

 医療とは本来、病院のためのものでも、医師のためのものでもない。ビジネスでもありません。患者のニーズに応えるために生まれてきたものです。いま一度、患者の視点に立って医療を見つめ直す時期に来ているのでしょう。そこから考えれば、入院の可否を決めるのは政府やケースマネージャーではない。医師でもない。最終的には患者本人が決めるべきものなのかもしれません。

【References】
1)Squires DA:Explaining high health care spending in the United States:an international comparison of supply,utilization,prices,and quality.Issue Brief(Commonw Fund).2012 May;10:1-14.
2) Ranking 37th − Measuring the Performance of the U.S. Health Care System, Christopher J.L. Murray, M.D, N Engl J Med 2010; 362:98-99
3)Catherine Arnst:Study Links Medical Costs and Personal Bankruptcy.Bloomberg Businessweek.Jun 4,2009.
http://www.businessweek.com/bwdaily/dnflash/content/jun2009/db2009064_666715.htm
4)United States Census Bureau:Income,Poverty,and Health Insurance Coverage in the United States:2011.Sep 12,2012.
http://www.census.gov/newsroom/releases/archives/income_wealth/cb12-172.html
5)Center for Medicare and Medicaid Services:Medicare Program Integrity Manual.2011.
http://www.cms.gov/Outreach-and-Education/Medicare-Learning-Network-MLN/MLNMattersArticles/downloads/SE1037.pdf
6)Washington State’s Medicaid Program Will No Longer Pay For Unnecessary ER Visits.KAISER HEALTH NEWS.Feb 8,2012.
http://www.kaiserhealthnews.org/daily-reports/2012/february/08/states-medicaid.aspx
7)Prudent Layperson Version.AMERICAN COLLEGE OF EMERGENCY PHYSICIANS ISSUE PAPER,2002.
http://www.acep.org/WorkArea/DownloadAsset.aspx?id=8896
8)David Glendinning:Washington state suspends Medicaid emergency department limits.Apr 6,2012.
http://www.ama-assn.org/amednews/2012/04/02/gvsd0406.htm
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