2013年01月16日

医師にも不可欠の年俸交渉術

萩原裕也
サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサー

 ○月×日、いつもより1時間早く出勤。来年度(10月以降)の契約交渉に望むためだ。私の場合、給料は年俸制。毎年春から夏にかけて、プロ野球選手の契約更改のように、病院と面談・交渉をする。今日ばかりは、スーツに袖を通した大リーガーの気分だ。

 私が勤務するのは地域の小規模な病院のため、病院最高責任者との直接交渉になる。過去1年間の診療業績が良好なら、その度合いに応じてボーナスも出る。アメリカでは主流の方式だ。

 病院の最高経営責任者メーガン女史と、彼女の右腕であるクリニックマネージャーのジュリーが、会議室で既に待っている。握手を交わして着席。普段と違って全員緊張しているのがよく分かる。今年度の売上などが記された資料を渡され、ひとまずそれをじっと眺める。そして、来年度の契約内容が提示された…。

最初の契約で、言われるままにサインしてみたら…
 皆さんは現在勤務している病院において、または次に勤務することになる病院との間で、どのように給料の交渉をしますか? と聞いてはみたものの、交渉のやり方を教えてくれる人はそもそもいないでしょう。そこは日本でもアメリカでも同じだと思います。

 私はと言えば、レジデンシーの最終年時に現在の勤務先から契約書を提示された際、ほとんど何も交渉することなくサインしてしまいました。通常、契約書の内容にはサイン・オン・ボーナス(契約金)、契約年数、年棒、出来高報酬、休暇日数、当直回数などが含まれています。さらには年金プラン、医師賠償責任保険の種類・補償額なども含まれ、同僚の中には数十ページに及ぶ契約書を提示された人もいました。

 私の契約は、後に研修仲間と比較してだいぶ不利な条件だったことが分かり、たいそう落ち込んだことを覚えています。年棒額自体にはあまり違いはなかったのですが、契約金や当直回数など加味すると、全体の待遇として同僚とはかなり差があったのです。

 そうした苦い経験もベースとなって培った、私の年俸交渉のセオリーを今回は披露します。

あなたの値段はいくら?
 給料アップを目指して交渉するとき、まず考えなくてはならないのは「自分の価値はいくらか?」ということです。この価値は、市場において相対的に決まってくるものと言えるでしょう。

 アメリカにはMGMA(Medical Group Management Association)医師収入レポートというものが存在します。MGMAは毎年、医師の報酬などに関する調査を行っており、そのデータをレポートとして公表しています(データの利用は有料)。このデータを利用すれば、自分の診療科の平均年収などを知ることができる上、診療地域や年齢、勤務体制、当直の有無などによる報酬の違いも確認することができます。家庭医療科のように女性やパートタイムの医師が多い診療科など、平均年収よりは年収の中央値を参照したほうがよい部門もあります。

 同期や同僚からのリサーチも重要で、自分のネットワークを駆使して給料および他の待遇に関して情報収集します。可能であれば、自分の売上や勤務する病院の経営状態なども調べておきます。これらの情報を参照して、自分が妥当だと思う金額を算出するのです。

要求金額は高値から始めるべし
 給料交渉は自分の今後1年間(または数年間)の生活にかかわることなので、準備はしっかりと行う必要があります。交渉相手はビジネスのプロフェッショナルであることが多く、少なくとも数週間前からは準備を進めたいものです。

 交渉にあたって大事なことは、とにかく相手のペースに乗せられないようにすることです。相手のシナリオ通りに交渉が進めば病院側の思う壷だと心しておくほうが賢明でしょう。交渉の基礎となる資料なども、事前に要求して目を通しておくべきです。

 交渉の場でまず行われるのは医師のデータのレビューで、このデータも事前に入手しておくべきです。自分が病院にもたらした収益や勤務態度などの業績評価(患者やスタッフからの評価を含む)がなされ、それを受けて次年度の年棒が提示されます。病院側は「これが妥当な年棒です」と主張しますが、それで納得するならともかく、どこかに引っかかるようなら唯々諾々とサインしてはなりません。

 主張したいことがあるなら、怖気づかずにはっきりと要求を伝えることが大事です。自分でも「無茶かな…」と思うような要求でも、意外と通ったりするものです。他州からリクルートされた知り合いの医師は、「前の家が売れなければ赴任しない」と主張したところ、なんと新たな勤務先となる病院側がその家を買い上げてくれたそうです。特にアメリカでは、主張しないと何も始まらないというところがあります。

 金額の交渉は、自分が妥当だと思うラインよりも高いところから始めるべき。もちろん、「最低限この線だけは譲れない」というボトムラインはあらかじめ定めておきます。どうしても自分では交渉しづらいという場合は、代理人として弁護士を雇うこともあります。契約書をレビューしてもらうこともできます。医師が自分の給料などの交渉のため弁護士を使うことは、アメリカではしばしばあることです。

年棒額だけにこだわらず、妥協点を探る
 交渉が思うようにいかないときは、年棒額にこだわるのではなく、勤務日数や休暇日数など他の待遇面も視野に入れるとよいでしょう。アメリカでは、医師本人およびその家族の医療保険料を病院側がいくら負担するかが、しばしば交渉の対象になることもあります。

 また、学会費用や年金を負担してもらうという手もあります。トータル・ベネフィットをにらんで交渉する必要があるのです。私は約1カ月かけて交渉を続け、ようやく合意に至った年もあります。それでもどうしても納得のいかない場合は、転職なども視野に入れる必要があるのかもしれません。

 最後に、自分のこれまでの成果やこれからの展望をはっきりと示し、それが病院にとってどれだけ価値があるかをきちんと売り込むことが大事です。企業が自社の商品を取引先に売り込むかのように、プレゼンを行いたいところです。 簡潔に要点をまとめて、ある程度の練習をしておくことも必要かもしれません。口頭ではうまく伝えられないと思う内容は、メールなどの文章として提出することも可能だと思います。

 「ビジネス交渉術」を扱った書籍はよく目にしますが、正直、交渉事など自分とは無縁のものだと、かつては思っていました。しかし考えてみれば、給料のみならず、医師は普段の診療現場でも患者と治療方針の選択などを巡って交渉を行っているわけで、対人交渉スキルはしっかりと身につけたいものです。日本の皆さんも、ぜひ一度、勉強してみてはいかがでしょうか?
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