2013年05月01日

漢方医学から見る「PM2.5問題」

本橋京子
ラッフルズジャパニーズクリニック(心療内科/漢方外来)勤務医
東京女子医科大学附属東洋医学研究所非常勤講師

 皆様、初めまして。私はもともと中国伝統医学を学ぶため、約9年にわたり北京に留学していました。その後、縁あってシンガポールのラッフルズジャパニーズクリニックに就職し、月のうち半分は分院のある上海へ出張して診療に当たっています。この連載では、中国という国と長くかかわってきた私が、これまで見聞きしてきたこと、現地の医療現場で実際に体験したことをお伝えしていきたいと思います。

PM2.5を発生させる“犯人”は?
 さて、中国に関する最近の話題の中で、われわれ医療従事者にとって気になるものの一つが大気汚染問題です。ニュース映像で繰り返し映し出されていた、灰色の空に白い靄がかかる北京の街並み、防塵マスクの厳重装備で行き交う人々の姿は、まだ記憶に新しいと思います。

 私が北京に留学した2001年、折しも中国は高度経済成長の全盛期。排気ガス規制が行き届いていない中、車の数はうなぎ登りで、渋滞は日増しに激しくなります。スモッグがかかる日の割合も年々増加していきました。スモッグとは粒径10μm以下の煤のことですが、空が白から灰色に霞んで、「可視距離が10mもないのでは?」と思われるような日が何日も続いていました。

 季節的に冬の方がひどい印象があるのですが、それは毎年冬季に供給される「暖気」と呼ばれるセントラルヒーティング式暖房システムの影響が大きいと思います。中国の黄河以北では、どの建物でも各部屋にラジエーターが備え付けてあり、冬をポカポカ快適に過ごすことができます。

 ところが、その中に通す湯を沸かすのに用いられる石炭を燃やす際、大量の煤やPM2.5(直径2.5μm以下の超微粒子の総称)が発生するのです。中国国内において、不純物の多い石炭を燃やしたときに出る煙を浄化する装置の稼働率が低いことも、問題を後押ししています。いずれにしても、上海は黄河以南にあるため「暖気」はなく、北京よりも様々な面で規制が厳しいため、渋滞も大気汚染も北京ほどではないと感じています。

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【上海で撮影した朝日の写真。曇りではないのに空が霞んでいます。】

西洋医学なら「なるべく曝露を避ける」だけだが
 さて、ここでPM2.5の身体への影響について触れてみたいと思います。10年単位の長期的な曝露による慢性的な影響としては、COPDをはじめ、肺癌や虚血性心疾患があります。急性の影響については、循環器や呼吸器に基礎疾患がない限りは少ないようです。あったとしても、軽い喉の違和感や咳、痰といったところでしょう。時折、胸部圧迫感や息苦しさなどを訴える患者も外来を訪れますが、心理的な要因によるものが大きいと考えています(後述)。むしろ、たばこの副流煙の方が体への負担はずっと大きいと指摘されているほどですから[1]。

 とはいえ、空気がきれいであるに越したことはないし、PM2.5のように体に益のないものであれば、少しでもそのリスクを減らしたいと思うのが人情。西洋医学でも予防の必要性が叫ばれていますが、その具体的な方策となると「曝露をなるべく避けること」くらいしかありません。

 これに対し、漢方医学では明確な予防法があります。その根本となるのが、「弱い部分を補い、必要ないものを手放すことで心身の防御能力を高め、総合的な抵抗力を増加させる」という考え方です。

 その上で鍵となるのが、漢方医学的な肺・脾という2つの「臓」。臓といっても西洋医学的な臓器そのものではなく、もっと広い意味での「機能単位」と考えたらよいでしょう。漢方医学的な「肺」は西洋医学の呼吸器系に近い概念であり、漢方医学的な「脾」は消化器としての機能、血液の産生・代謝サイクルをコントロールする機能などを司るものと考えられています。

 興味深いのは、肺・脾ともに水分代謝にかかわっていることです。脾が吸収した水分を、肺が全身へ行き渡らせるという共同作業を行っているのです。ここでもう一つ、これらと関連して重要なのは「痰」です。

 漢方医学では、脾は「生痰の器」、肺は「貯痰の器」と言われており、脾で作られた痰は肺に貯まります。痰は有形のものと無形のものに分けられ、貯まった痰は感染や炎症に感応すると「目に見える痰」として姿を現すとされます。形がないものでも水(津液〔しんえき〕とも言います)や血液の通り道をふさいだり、病気を治りにくく複雑化させたりするとされ、痰は厄介な病理産物と考えられています。

 以上のような観点から、PM2.5に対する漢方医学的な予防法としては、呼吸機能を健やかに保つこと、痰の生成と蓄積を防ぐような生活様式を心がけることが重要になります。具体的にいくつか例を挙げるとすれば、適度な運動を行って気・血・水の巡りを良くすること(※1)、痰の生成を促進するような辛いもの、乳製品、肉類、シーフード、生物(なまもの)、冷たいものの摂取量に留意することです。

心配で外出もままならない現地日本人も――日本人診療の現場から
 先にも述べましたが、主に日本人患者を診ているわれわれのクリニックでは、このところ胸部圧迫感や息苦しさなどを訴えるケースが通常よりも増えている印象があります。PM2.5が大きく取り上げられるようになった影響でしょう。

 インターネットで公表されるPM2.5濃度の数値に釘付けになり、健康被害が心配で外出もままならない。家の中にいても動悸が出現したり、胸元が苦しい感じがするというので、他院で心電図や内科的な診察を受けたものの異常はなし。「ストレスが原因ではないか?」ということで、メンタルケアの診療を行っている私のところへ紹介されてきたケースが数例ありました。話を聞いてみると、健康に対する不安、「何とかしなければ」という生真面目さからくる緊張、そしてクリーンとは言えない環境に対する嫌悪感がベースにあるようです。

 こうしたケースでは、私は「コップ理論」の話をします。つまり、「単純に大気汚染だけでは症状は出ないかもしれないが、これに心理的な要因や体質、生活習慣などの要因が重なり、コップの水が一杯になるように許容量を超えたところで症状が出るのではないか」という説明です。これは納得してもらいやすく、また漢方薬による予防や治療へもつなげやすいという利点があるのではないかと考えています。

 このように、心と体、西洋医学と東洋医学、予防と治療の両面から患者にかかわることは、漢方医学の「心身一如(しんしんいちにょ)」(※2)や太極的世界観(※3)とも合致するものだと思います。医療だけでなく生活の中にも漢方医学が根付いている中国。これから、ここで体験する様々な出来事を皆様にお伝えしていきますので、どうぞ次回もお楽しみに。

※1 気・血・水は、気の流れを中心に、血・水が伴走するように流れています。これらは川の流れと一緒で、絶えず動いていることで健全な機能を維持できるのです。気・血・水の流れが滞ると、痰などの病理産物が生じたり、下流への栄養が阻害されて障害を引き起こしたりすることが知られています。全身を巡り、外邪から身を守る防衛・免疫機能を司る気は、特に重要です。

※2 心と体は一体のもので、分けることはできないという考え方。

※3 すべての事象は陰陽などの2つの相反する側面を持つが、元来「一」から分かれたものにすぎないという考え方。

【Reference】
1)日本禁煙学会:PM2.5問題に関する日本禁煙学会の見解と提言,2013.
http://www.nosmoke55.jp/action/1302pm25.html
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