2013年06月27日

鳥インフルエンザとSARSの意外な共通点

本橋京子
ラッフルズジャパニーズクリニック(心療内科/漢方外来)勤務医
東京女子医科大学附属東洋医学研究所非常勤講師

 2013年3月30日、中国上海市と安徽(あんき)省で鳥インフルエンザH7N9が発生し、3人の死者が出ました。

 当初は急速に感染が広まり、パンデミック化も懸念されましたが、5月上旬になると上海では終息の局面を迎え、元気になって退院していく患者や、入院中の患者にきめ細かい心理的ケアを施す医療従事者の姿が地元テレビに映し出されていました。5月28日に北京で新規感染が確認された後、新たな症例は報告されていません。6月9日までの累計で、中国全土の感染者は130人、死者は39人となりました。感染拡大に目を光らせていたわれわれ邦人医療関係者も、今はホッと胸をなで下ろしているところです。

 ところで、実は私は北京留学中の2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行を経験しているのです。当時の北京では、数人の感染者が出たという一報が流れてから、あれよあれよという間に感染が拡大していきました。そして、北京市内だけでも感染者が1000人規模に至り、学校や職場が封鎖され、外国人はほとんどが国外に退避しました。

 当時最も問題だったのは、強い感染性を持つSARSウイルスが患者から医療従事者へ感染することでした。私が留学していた北京中医薬大学でも、献身的に患者の治療に当たっていた医師や大学院生が亡くなったり、感染後に大量のステロイドパルス療法を受けて大腿骨頭壊死に至ったりする痛ましい事例が頻発していました。

 幸いなことに、SARSとは違って鳥インフルエンザでは感染早期における抗インフルエンザ薬の投与が有効であり、ヒト―ヒト感染の可能性も低いと見られています。

清代の“ガイドライン”『疫疹一徳』の教え
 疫学的には縁遠い印象のある鳥インフルエンザとSARSですが、漢方医学的な視点で見ていくと、いくつかの共通点があります。

 一つ目は、鳥インフルエンザもSARSも温病(うんびょう)の範疇なのではないかということです。冬季に流行する季節性インフルエンザは傷寒(しょうかん)、つまり漢方医学的に言うと寒邪(かんじゃ)によって引き起こされるもの。初期は悪寒が主体で、少し時間を置いてから発熱に転じることが特徴です。一方、温病は温熱の邪(じゃ)によって起こるもので、春から夏にかけて好発します。また、発症当初から高熱が出るのも特徴です。

 それでは、もう一つの共通点は何でしょう。SARSの流行した2003年から、ちょうど10年がたった今年の干支は「癸巳(みずのとみ)」。2003年の「癸未(みずのとひつじ)」とは十二支こそ違いますが、十干は同じ「癸(みずのと)」です。これは単なる偶然なのでしょうか?

 興味深いのは、温病について書かれた名著の一つ、清・余師愚『疫疹一徳』中にある一文です。

 「甲己(きのえつちのと)の歳甘草(かんぞう)を君と為す、乙庚(きのとかのえ)の歳黄芩(おうごん)を君と為す、丁壬(ひのとみずのえ)の歳梔子(しし)を君と為す、丙辛(ひのえかのと)の歳黄柏(おうばく)を君と為す、戊癸(つちのえみずのと)の歳黄連(おうれん)を君と為す、一年を君と為し、余四味を臣と為す」

 十干を2つずつ5つのグループに分け、それぞれの年で温病が流行した際にどんな生薬を用いたらよいのかというガイドラインになっています。

 ここに書かれている「君」や「臣」というのは漢方独特の考え方です。「君」薬とは文字通り君主で、方剤(※1)で言えば効能の中心となるものです。「臣」薬とは「君」薬を補佐する役割を持つ生薬です。「戊癸の歳黄連を君と為す」とありますから、戊と癸の年に発症した温病の場合、君薬として黄連を使い、他の4種類の生薬を臣薬として用いなさいという意味になります。

 2003年の2月から3月にかけて、原因不明の高熱と全身倦怠感を訴える患者が次々と北京市内の朝陽病院に運ばれていました。まだSARSの概念すら定着していなかった頃ですが、おそらくSARSの症例だったのではないかと思われます。このとき、ある医師が前記『疫疹一徳』の一節を応用し、黄連を君薬として処方したところ、速やかに効果が現れたということです。

中西医結合はSARSに通用したか
 鳥インフルエンザの感染が中国で拡大し続けた場合は、その治療や予防に使われる薬剤が枯渇する事態も想定されていました。事実、上海ではオセルタミビル(商品名タミフル)の新規入荷は困難になりつつありました。また、公衆衛生学的な見地からすると、同時期に広い範囲で大勢の人が同じ抗インフルエンザ薬を服用した場合、耐性発現のリスクを無視できません。そうなったときに最後に威力を発揮するのは、もしかすると漢方医学なのかもしれないと私は考えています。

 中国には、西洋医学と漢方医学(中国では「中医学」と呼ぶ)を併用して互いの長所を引き出し、短所を補うという「中西医結合」の考え方があります。当時、この中西医結合の手法を用いてSARSの治療に大きく貢献した広東省中医医院では、漢方薬がどのように実際の治療に役立ったかについて次のように総括しています。

(1)早期から病状の進展を防いだ。中医学的な方法のみで病期の進行を防ぐことができたケースもあった。
(2)頭痛や全身の疼痛、消化器症状など、主症状である呼吸器症状以外の症状を緩和した。西洋医学的な治療と同時に、患者の病状に応じていち早く中医学的な診断と治療を行うことで、SARSの治療とリハビリテーションに有利に働いた。
(3)発熱の期間を短縮し、後遺症の発現を食い止めた。
(4)合併症の発症を防止し、西洋薬の副作用を軽減した。

鳥インフルエンザの漢方療法
 2003年のSARS流行当時は、新聞やテレビでSARS予防に効果のある漢方薬が紹介され、街中の薬局に北京市民が殺到。多くの薬局で一時品切れになりました。私はそのときちょうど体調が悪く、胃腸機能を整える漢方薬を煎じて服用したいと調剤を求めて市内の薬局に行ったところ、「SARS予防薬の調剤が忙しくて他の病気の薬まで手が回らない」と、どこの薬局でも門前払いを食らったくらいです。

 SARSの感染や、それによる死亡が多かった北京中医薬大学で、学生や職員向けに周知された処方内容は、黄耆(おうぎ)、白朮(びゃくじゅつ)、防風(ぼうふう)、蒼朮(そうじゅつ)、藿香(かっこう)、沙参(しゃじん)、金銀花(きんぎんか)、貫衆(かんじゅう)というものでした。

 鳥インフルエンザの予防においても、漢方薬が大きな役割を果たす可能性があります。鳥インフルエンザ予防にオセルタミビルが効くといっても、服用している間しか作用がありませんから、ただやみくもに飲めばいいというわけではありません。感染患者と濃厚に接触する場合にのみ、ピンポイントで服用するほかないのです。

 上記の北京中医薬大学の処方内容は、元来かぜを引きやすい人の肺の防衛機能を強め、脾の運化作用(※2)を促進する玉屏風散(ぎょくへいふうさん、上写真)という方剤がベースになっています。体内に余分な水分である痰や湿(しつ)がたまらないように配慮しながら、熱や毒素の排泄を促す組成となっているのです。前回の記事でもお話ししましたが、呼吸器系疾患の予防のカギとなるのは脾や肺の機能であり、この原則は鳥インフルエンザをはじめ、他の感染性疾患でも同じです。

 そのようなわけで、当院でも鳥インフルエンザ対策として玉屏風散をベースにした方剤を準備しました。今回は実際に処方することはありませんでしたが、鳥インフルエンザだけでなく、ほかの感染症予防や、体質によっては大気汚染などの影響からも守ることができる優れものの方剤です。ちなみに、私も10年前にこの方剤を何服か飲んだことがありますが、味は悪くありませんでした。

 鳥インフルエンザ騒動が収まり、静けさを取り戻したかと思ったら、今度は中東を中心にMERS(中東呼吸器症候群)なる新型ウイルス感染が拡大しつつあり、感染症領域ではまだまだ楽観できない状況が続いています。もしかしたら、世界のどこかで漢方薬が底力を発揮するときが来るのではないかと考え、上海の小さな診療室で人知れず研究を続けている次第です。

※1 方剤:治療目的に合わせ、2種以上の生薬を混ぜて作った漢方薬。

※2 脾の運化作用:飲食物の消化・吸収により、身体に有益な栄養物質である「水穀の精微」(すいこくのせいび)に変化させ、その後に臓腑をはじめ身体各所に送る作用。また、吸収した水穀の精微に含まれる余った水分を肺や腎に送り、汗や尿として体外に排泄することを促す機能も含まれる。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/77960257
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック