2013年06月28日

「子どもの死」の最も近くにある仕事

川口 敦
アルバータ大学(Stollery Children’s Hospital)小児集中治療クリニカルフェロー

 読者の皆さんは「死」についてどのくらい興味をお持ちでしょうか?

 とんでもない質問で始まりましたが、今回は子どもの「死」についてお話ししてみたいと思います。

看取りのコーディネートも小児集中治療医の大事な務め
 在宅での看取り、あるいはより患者の希望に沿ったかたちでの終末期医療というものが、学会はもちろん、一般メディアでもよく話題に上るようになった昨今です。意識が進んだ欧米諸国では、これらはすでに当たり前のことのように提供されていると思われるかもしれません。しかし、実際の現場では多くの医療者が悩み、常に葛藤の中にいるのです。

 子どもの場合、PICU(小児集中治療室)で8割以上が看取られているというデータがあります。一般的なPICUでの死亡率は約5%と言われているので、年間1000人の入室があるPICUでは年に50人、週に1人は看取られていることになります。救急室や院外から搬送されて緊急入室し、心肺機能が回復せずそのまま看取りとなるケースや、神経学的な予後が悪い、あるいは回復を見込めない疾患の場合に、いわゆるwithdrawal(施行中の強心薬や人工呼吸器などlife supportの中止)を行って看取るケースなど様々です。

 この看取りという行為は、どれだけ経験しても心が痛むものです。一方で、週に1人、2人と看取っているわけですから、多少は「慣れ」も出てきます。また、PICUの場合、患児と出会ってから看取るまでの時間は、病棟や外来での長い付き合いがないので非常に短く、重症患児とはまずまともな会話もできません。そのため、十分な感情移入は難しいとも言えるかもしれません。

 患児を看取ることが決まると、猛烈に慌ただしくなります。まずは患児を仕切りのあるスペース、あるいは静かな個室へ移動させます。家族の希望があれば、室外(病院の庭や屋上など)へ移すこともあります。また、PICUを家族へ開放し、兄弟をケアする態勢を整えなければなりません。家族のみ、両親のみの時間を作るように心がけ、家族に余計な心労を与えないため、バイタルのモニター類が目に入らないよう向きを変えます。だっこや添い寝など、家族が希望するふれ合いの機会も可能な限り提供します。必要であれば宗教儀式などの機会を持ってもらうことも考えます。

 カナダは「宗教の博物館」とも言えるような国で、イスラム、仏教、キリスト教などの様々な宗派、さらにはファーストネーション(先住民)の独特な儀式などを日常的に目にします。先日も「どこかでボンボンと太鼓の音が鳴っている?」と思ったら、父親がベッドサイドで呪文のようなものを唱えながら子どもに向かってお祈りをしていました。そうかと思うと、隣の部屋ではおばさんが孫に手をかざしながらイスラムのお経を唱えているといった具合です。人目をはばからず、堂々と心置きなくお祈りできる、そういう雰囲気作りも大切にしています。

 これらのことについて随時説明をしながら、医師とソーシャルワーカーが中心となってコーディネートしていくのです。

看取りの後、医療者も互いの思いを打ち明ける
 患者が亡くなった後の時間は、医療従事者にとってもつらいものです。ただ、多くの患者に次々と対応しなければならず、自宅に帰れば自分の家族もいるわけで、悲しみに沈んでいる時間も場所もありません。そうして働いているうちに、暗い気持ちをため込んでしまうスタッフもいるでしょう。

 そこで、大事になるのが「デブリーフィング」。日本でもしばしば耳にするようになりましたが、患者の死に際して胸の内を打ち明けることのできる機会を積極的に作るようにしています。私たちの職場では、同僚間でのデブリーフィングのほか、亡くなってから1〜2週間後に「メモリアルセレモニー」という催しを開いています。

 スタッフ間のデブリーフィングは非常にオープンな雰囲気のもので、多職種の医療者が経過を振り返りつつ、感じていたこと、「実はこうしてあげたかった」という反省など、それぞれの具体的な思いを言葉で表現する機会になります。これとは別に「M&M(mortality and morbidity)カンファレンス」も定期的に開催しますが、こちらはどちらかといえば、具体的な診療内容について医学的な観点、医療システムの観点から振り返り、今後の症例に役立てるという意味合いが強いように思います。

 メモリアルセレモニーは主にチャプラン(施設付き牧師)が主催するもので、亡くなったお子さんを主役とし、遺族と、関係した医療従事者が、入院中や家庭での思い出を話したり、双方の立場からお互いに思っていたこと(感謝の気持ちや苦しい気持ちなど)を打ち明けたりします。生前のビデオや写真、思い出のぬいぐるみなどが持ち込まれたりもします。時には病院での写真を供覧しながら「ああ、こんな仕草をよくしていたね」「このキャラクターが好きだったね」「こんなことがいつもつらいって言っていたね」などと、笑顔になって振り返ることもあります。

 私はクリスチャンではないので、聖書の一文を読み上げられても正直ピンときませんが、その場の雰囲気がそうさせるのか、参加者たちの気持ちは痛いほど伝わってきます。その子の“人生の卒業式”に立ち会っているように感じられる一時です。

 それですべてが終わるわけではありません。しばらく時間を置いた後、フォローアッププログラムへの参加を打診する案内を遺族に送付し、希望があればグリーフカウンセラーによるフォローアップの電話連絡が入ることになります。グリーフカウンセラーは、手紙のやり取りなどを通して遺族の精神的なサポートを行っていきます(緩和ケアなどの看取りの方針が決まった時点で介入を開始するのが理想的ですが、多くの場合は時間的な余裕がなく、死後の介入になります)。

 こうしたフォローアッププログラムは1年間続き、その後もサポートが必要なときはいつでも電話連絡に対応することになっています。また、年に1回、最近亡くなったお子さんたちの遺族や関係した医療従事者が集まり、子どもたちが「生きたこと」を祝福する催しも開かれています。

 私は死のエキスパートではありません。いつまでたっても看取りのプロになれません。ただ、看取るということに責任を持っています。看取った後も同様です。その責任を果たすためには、十分に時間をかけて、努力を払って、患児と向き合っていくことが必要なのです。

【References】
1)Feudtner C,DiGiuseppe DL,Neff JM:Hospital care for children and young adults in the last year of life:a population-based study.BMC Med.2003 Dec 23;1:3.
2)McCallum DE,Byrne P,Bruera E:How children die in hospital.J Pain Symptom Manage.2000 Dec;20(6):417-23.
3)Ramnarayan P,Craig F,Petros A,Pierce C:Characteristics of deaths occurring in hospitalised children:changing trends.J Med Ethics.2007 May;33(5):255-60.
4)Carter BS,Howenstein M,Gilmer MJ,et al:Circumstances surrounding the deaths of hospitalized children:opportunities for pediatric palliative care.Pediatrics.2004 Sep;114(3):e361-6.
5)van der Wal ME,Renfurm LN,van Vught AJ,et al:Circumstances of dying in hospitalized children.Eur J Pediatr.1999 Jul;158(7):560-5.
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