2013年09月17日

右も左も“APP”

日比野誠恵
ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

 今回は「APP」について書きたいと思います。と言っても、スマートフォンのアプリのことではありません。こちらの医療界でAPPと言えば、“advanced practice provider”。医師から独立して医療行為を行うことができる各種の医療専門職を指すのが今や一般的です。少し前までは“mid-level provider”と呼ばれていたphysician assistant(PA)やnurse practitioner(NP)のことです。nurse anesthetistやnurse midwifeを含むこともあります。

 PAは主にアメリカで1960年代から発展した職種で、大学院レベルで2〜3年の教育を受けた後、医師の補佐に就きます。NPは主に医療過疎地への対策として発展したようで、看護師資格取得後に修士レベルの教育を受けた職種です。州によっては独立して医療行為を行うことができます。nurse anesthetistは麻酔科医を、nurse midwifeは産婦人科医を補助する職種です。

 こうしたAPPの職種は医師不足への対応策と同時に医療費削減策として導入された側面が大きく、アメリカの臨床現場は今や「右を向いても左を向いてもAPPがいる」と言っても過言ではない状況になっています。

パイオニアとなった黒人の外科系PA
 Physician Assistant History Societyという組織のウェブサイトによると、17世紀半ば頃のドイツの軍隊にはmilitary medical assistantという職種が設けられていて、それがロシアのピョートル大帝の軍隊に“輸入”されたのがPAの起こりだそうです[1]。かなり拡大解釈のような気もしますが…。

 1778年、アメリカの南北戦争中には、海軍の軍艦コンステレーションで軍医を補助するスタッフが採用され、1年後には法制化されました。その後、いろいろと名称に変遷があって、20世紀初頭にはhospital corpsman(衛生兵)と呼ばれました。

 1958年と1959年にはアメリカ公衆衛生総局長官(US Surgeon General)により医師不足が正式に告知されるところとなり、これを受けて多大な金銭的補助が法制化されました(Health Professions Educational Assistance Act of 1963)。そのすぐ後の1965年にはデューク大学で最初のPA養成プログラムが4人の海軍衛生兵とともに始まっています。PAの発展の歴史を見ると衛生兵が最初のPAの学生だったのも自然の成り行きだったと言えると思います。

 また、この頃は、医学の進歩につれてスペシャリストが増え出し、ジェネラリストが不足し始めた時期に当たります。これに呼応するようにして、コロラド大学で最初のNP養成プログラムも始まっています。

 一つ、私が興味深く思ったのは、先天性心疾患の術式に名を残すブラロック先生(Blalock-Taussig手術やBlalock-Hanlon手術が知られています)の右腕となって働いた黒人アシスタントのトーマス氏(Vivien Theodore Thomas)のことです。彼はブラロック先生がバンダービルト大学にいたときに採用され(1939年)、その後の1940年代に2人は先天性心疾患手術のパイオニアとして大活躍しました。

 そして2人はジョンズ・ホプキンス大学に移り、トーマス氏自身も名誉博士号を授与されています。外科系PAとして活躍したのみならず、人種差別を克服したパイオニアの一人としても高く評価されているようです。とても興味深いトリビアで、このお話の詳細は回を改めてご紹介したいと思います。

“市民権”がなかったミネアポリスでも、ついに
 私の個人的な経験を振り返ると、1986年に横須賀海軍病院でインターンを始めたとき、家庭医療科で数人のPAが働いていました。当時は3日に1度の救急部当直があったのですが、小さな病院のことでもあり、医師は1人、時にはPAのみ、それに加えて日本人インターンと看護兵や衛生兵という陣容。

 まだ救急医の位置づけが確立されていなかった時代であり、救急専門医は1人だけ。あとは他科の医師が持ち回りで夜間をカバーしていました。時には病理医や放射線科医も当直していましたが、「PAと当直した方が臨床の勉強になる」というようなことを言われたと記憶しています。その当時はあまりピンとこず、「そういうものかな?」と思っていましたが。

 その後、ピッツバーグ大学でレジデントをしたときは、APPとの接触はあまりなかったように思います。ミネソタ大学に移った1990年代の初めには、心臓内科、血液腫瘍内科、移植外科などでちらほらとAPPを見かけるようになりました。その当時に親しくなったPAの方は、「それでもミネアポリスはシアトルに比べるとまだまだAPPの“市民権”がない」と言っていたものです。

 そのミネアポリスでも数年前、ついにアウグスブルグ大学でPA養成プログラムが始まりました。今やミネソタ大学病院を見渡してみても、プライマリケア診療科、外傷外科、手術棟、ICU、そしてわが救急科と、当然APPは配置されています。APPがいない診療科を探す方が難しいという状況になっています。

 医師の立場としても、責任感があってモチベーションの高いAPPにより良い臨床経験を積んでもらうことは、自分の仕事の負担が軽くなるので、大きなプラスです。実際、ある医師は「多くの雑用をこなしてくれるAPPなしでは仕事ができない」とまで言っています。ただ、専門診療科へのコンサルトなどでAPPと接するときはやはり不安感がぬぐい去れないというのも正直なところです。

 この点については、よく考えてみると、大学病院では時にレジデントや医学生がコンサルトにやって来ることを思えば、あまり大差はないという考え方もできるかもしれません。それどころか、熟練したAPPであれば、医学生やレジデントよりずっと優れている可能性も高いでしょう。「新米医師よりベテラン看護師の方が臨床能力に優れている」と言われるのに似た感じですね。

APPのさらなる活躍に期待
 アメリカの医師不足と医療費高騰の現状を見る限り、APPの“市民権”の獲得と発展は当然の成り行きだったように思われます。以前にご紹介したグレッグ・ヘンリー先生も、「APPは救急で診る患者の約95%に対応することができ(施設により大きく異なりますが)、医療費削減につながるので、どんどん導入すべき」と主張しています[2]。とはいえ、「患者安全」の観点からは抵抗もあるようですが…[3]。

 いずれにせよ、APPの方々は、地道な努力と質の向上、組織化を行いながら、医療における立場を確立してきました。その様は、アメリカの救急医が今の立場を得るまでの経緯を彷彿とさせるものがあります。医療人としての良心を持ち、向学心に燃えるモチベーションの高い人ならば、APPとしてある程度の経験を積むことで、心臓手術のトーマス氏のような、優れた臨床家になってくれることでしょう。

 今後もAPPの数はどんどん増えていくと予想されます。彼らの活用によって「医師不足や医療費高騰の緩和」と「医療安全」とのバランスをどのように取っていくのか。とても興味深いところです。

【References】
1)Physician Assistant History Society
http://www.pahx.org/
2)Greg Henry:Dave Packo on the EM Workforce.EMERGENCY PHYSICIANS MONTHLY.Nov 4,2012.
http://www.epmonthly.com/columns/oh-henry/dave-packo-on-the-em-workforce/
3)Tsai CL,Sullivan AF,Ginde AA,et al:Quality of emergency care provided by physician assistants and nurse practitioners in acute asthma.Am J Emerg Med.2010 May;28(4):485-91.
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