2013年09月27日

ドイツの医師の懐はなぜ寂しいのか

ドイツの医師の報酬とワークライフバランス Vol.1

馬場恒春
ノイゲバウア-馬場内科クリニック(デュッセルドルフ)

 ドイツの医療は日本の医学教育と医療制度の“創世記”に深く影響を与えました。しかし、医師の報酬とワークライフバランスについては、ドイツと日本は独自の歩みをたどってきました。

 内科医である家内は、知り合いの日本人から「お金があるのに質素」と言われ、「なぜ医師はお金持ちだと思うのでしょう?」と困惑します。日本で暮らす私の心優しい妹も、私たちが広い住居で裕福な生活を満喫しているものと勘違いしているようです。もっとも、かく言う私もドイツに来て「えっ!」と驚いたのは、医師に対する報酬の低さだったのですが。

 その唖然とするような現状を、今回から3回にわたってご紹介します。

病院勤務医の報酬――額は賃金協約で全国一律
 ドイツの病院(クランケンハウス:Krankenhaus)に常勤する勤務医の給料はどのくらいでしょうか? ドイツにはタリフ・フェアトラーク(Tarifvertrag:賃金協約)という基準(法律)があり、医療職の給料の額は、職場の大小にかかわらず、また公的病院と民間病院とにかかわらず、全国ほぼ一律に決められています。新聞などでは、Tarifvertrag(略してTV)に基づく勤務医を指して「TV-アルツト(ドクター)」と呼ぶことがあります。

 クランケンハウスで働く勤務医は、資格に応じて4つのランクに分けられています。すなわち、(1)専門医資格取得前の医師、(2)専門医資格を有する医師、(3)指導医(オーバーアルツト:Oberarzt/- ärztin)、(4)診療科の責任者(シェフアルツト:Chefarzt/- ärztin)です。給料の額は、このランク付けと勤務年数によって決まります。専門医の資格を得るためには専門科のあるクランケンハウスでの卒後研修が必要であるため、医学部を卒業した医師は一番下のランクで1年目の仕事を始めることになります。

 今年(2013年)のタリフ・フェアトラークの給料額を見てみましょう。週40時間の労働として、1年目の新人の月給は税込で3944ユーロ(※1)、4年目になると4604ユーロ、1年目の指導医は6520ユーロ、7年目以降では7451ユーロとなります(表1)[1]。なお、私の住むノルトライン=ヴェストファーレン州では、週42時間労働で、これより少しだけ条件の良い契約内容になっています。既に2014年1月からのタリフ・フェアトラークも、今年3月の協議でまとまっています。

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【表1 賃金協約(2013年)に見るドイツの勤務医のグロス月収(ユーロ) Reference(1)より引用。 】

 しかし、そこから高額なドイツの税金と社会保険料を差し引くと、手取り額は上記の約6割に減ります。専門医資格のない1年目の医師の手元に残るのは月に約2600ユーロ、7年目の専門医でも3500ユーロ程度です(※2)。ここから住居費を支払うと、あまり贅沢は許されません。

 なお、勤務医の勤務先の内訳は、公共病院34%、私立病院14%、大学病院19%、その他の病院34%となっています。給料に関しては、勤務先が変わっても状況はあまり変わりませんが。

クリスマス、大晦日の時間外手当は少しアップ
 タリフ・フェアトラークでは、時間外手当や自宅待機についても細かく決められています。時間外手当については、「平日の残業」「夜勤(21時以降)」「日曜日」「祝日」「12月24日(クリスマスイブ)」「12月31日(大晦日)」のそれぞれで多少異なります。「祝日」「クリスマスイブ」「大晦日」の場合は、その後に代休を取るか否かでも違ってきます。自宅待機については、実際に呼び出されたかどうかにかかわらず、専門医資格取得前の医師は25ユーロ/時、専門医は29ユーロ/時、指導医は31.5ユーロ/時、診療科の責任者は33.5ユーロ/時とされています。

 余談になりますが、私がドイツに来てすぐに勤めた研究所では、労働組合との取り決めで1日の契約時間(例えば8時間)を過ぎて仕事をすると、給料計算上の労働時間は逆に減っていく仕組みになっていました。例えば、タイムカード上で30分超過すると、計算上の勤務時間が15分間減るといった感じです。契約条件をよく把握せず、日本にいたときと同じように遅い時間まで仕事をしていた私は、それに気づくまでの数カ月、結構な損をしていました…。

 さらに、ドイツには労働時間法による法定労働時間の原則があり、除外規定に含まれない一般職の労働者について法定時間を超えて労働させた場合、雇用者に対して罰則が適用されることもあるのです。

クリニックの収入――開業しても収入が増えない?
 日本で個人クリニックを開業すれば、医師の経済的なゆとりにつながることが多いと聞きます。ドイツの開業医はどうでしょうか?

 ミュンヘン在住のジャーナリストである熊谷徹氏は、「悲鳴をあげるドイツの医師たち」[2]の中で、「開業医が受け取る毎月の診療報酬は6600〜1万3000ユーロだが、医師はこの中から看護婦(原文ママ)への給料、家賃、医療器具などのコストを支払わなければならない」と、ドイツの開業医の苦しい台所事情を報告しています。

 実際、連邦保険医協会から発表された、開業医院(プラクシス:Praxis)1施設当たりの全国平均収入(2011年)は、ネットで5442ユーロ/月でした(表2)。先に紹介した病院勤務の指導医クラスの医師に比べて決して多くないことが分かります。

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【表2 プラクシス(開業医院)1施設の全国平均月収(2011年) 連邦保険医協会発表資料より。】

 日本に一時帰国すると、「ドイツの医師はプール付きの家に住み、ポルシェに乗って優雅に暮らしているのでは?」という誤解によく出くわしますが、現実はそんなことはありません。OECD(経済協力開発機構)の資料から計算した報告によると、ドイツの開業専門医の平均年収(グロス)は、オランダより38%、イギリスより25%。デンマークより20%、フランスより9%、さらにベルギーよりも5%低くなっています。[3、4]。

開業医の報酬―診療報酬支払額に上限あり
 なぜ、ドイツの開業医は日本の開業医に比べて低収入なのか、不思議に思われるかもしれません。その一番の理由は、ドイツ国民の90%が加入している公的疾病保険(「公的保険と民間保険が共存すると…」を参照)が支払う診療報酬に上限が設けられているからです。「家庭医」として登録・開業しているプラクシスを例に見てみましょう。

 公的疾病保険の契約医である家庭医(ハウスアルツト:Hausarzt/-ärztin)の場合、患者1人当たりの診療報酬は、どれだけ診察をしようと1四半期当たりの上限(2012年1月のノルトライン地区では36ユーロ)が定められています。しかも、診察できる公的疾病保険の患者数が決められているため(例えば、1施設当たり540人)、公的疾病保険組合から家庭医に支払われる1四半期当たりの診療報酬は、最大で(診療報酬の上限)×(患者数の上限)になります。上記の例では、36ユーロ×540人で、3カ月のグロスが約1万9500ユーロです。

 そのうえ、公的疾病保険の場合は、医師への支払額が前年度にほぼ予算化されているため、規定の患者数を超えて診療すれば、基本的には患者1人当たりの診療報酬支払額が減ることになります(「ハムスターの滑車」を参照)。

 そこから平均で診療報酬の約5割以上[5]を占める人件費、オフィスの家賃や消耗品代、税金、自身の社会保険料を差し引くことになります(表2参照)。西ドイツ新聞に掲載されたクレフェルト市(デュッセルドルフの北にある都市)の医師会会長を務める家庭医へのインタビュー記事[6]は、現在も「悲鳴をあげる家庭医」の現状を端的に物語っていました。

 「平均的な家庭医が年間グロス18万ユーロを稼いでも、そのうち10万〜12万ユーロは人件費や家賃、検査ラボへの支払いに当てられる。さらに医療保険や年金が徴収されると、残り(ネット)は毎月2500〜3500ユーロ程度になってしまう」

プライベート疾病保険からの診療報酬が頼みの綱?
 プライベート疾病保険(民間保険)の加入者は、医療保険加入者全体の10%程度に過ぎません。しかし最近は、診療費の請求額に幅を持たせることのできるプライベート疾病保険患者(「公的保険と民間保険が共存すると…」を参照)を好んで診察することで収入の上乗せを図り、ようやく収支を合わせているプラクシスも少なくありません。2008年のデータでは、全体の平均で見ると、プライベート疾病保険からの診療報酬がプラクシスの収入の約19%にも上っています[7]。

 ちなみに、プラクシスの診療科別に、プライベート疾病保険からの診療報酬が収入に占める割合をいくつか見てみますと、神経内科医43.6%、放射線科医33.8%、皮膚科医32.6%…家庭医13.0%です[7]。つまり、家庭医のプライベート保険報酬の比率は、各内科専門科を含めた28診療科中で23番目と低い方になっています。

 ドイツ連邦統計局が発表した、プラクシスの診療科別の税込年収(2007年データ。診療に要するコストを差し引いたもの)は、主な診療科で見ると、多い方から放射線科、整形外科、眼科、耳鼻科、神経内科、小児科、一般医(※3)という順です。特に放射線科のプラクシスはダントツで、諸経費・税金を含んで26万4000ユーロ/年は、小児科(12万6000ユーロ/年)の倍以上です(図1)。ただし、放射線科は設備投資も大きく、収入の70%以上がプラクシス運営経費として使われています[4]。

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【図1 開業クリニックの診療科別に見た平均年収(2007年) 経費を差し引いた税込額。ドイツ連邦統計局発表資料より。 】

性別や地域でも収入格差
 ドイツのニュース雑誌フォークスに掲載された業種別収入報告(2011年)によると、例えば開業医の月収はグロス6441ユーロ、男性医師だけを見るとグロス7061ユーロ、女性医師はグロス5557ユーロと、男性医師に比べて女性医師は平均1504ユーロ(21.3%)も少ないことが分かります[8]。フォークス誌の集計によれば、このような男女差は医師以外の職種でもあるようです。ちなみに、シュテルン誌によると、開業医を含むドイツの自営業の中で最も高収入だったのは、資産コンサルタント、会計監査人、経営コンサルタント、特許弁理士など経済分野の職種でした[9]。

 ドイツ連邦統計局の資料(2006年)によると、州や地域によっても、医師の収入に格差が見られます。全国で17ある公的疾病保険組合連合と保険医協会の契約に差があることも関係しています。例えば、家庭医について言えば、ハンブルグやブレーメンのある北ドイツでの平均月収はグロス6245ユーロ、ミュンヘンなどのある南ドイツではグロス6851ユーロと、「南高北低」の傾向があります。また、旧西ドイツ地域では平均グロス6655ユーロであるのに対して、旧東ドイツ地域ではグロス5204ユーロと、さらに差が開いています。

 次回も引き続き、ドイツの医師の収入事情に迫ります。最近では、製薬企業など診療外の分野で活路を見つけたり、ドイツ国外へ出て診療したりする医師も増えてきており、大学病院では医師のストライキが行われたこともあります。“現場”からの報告として、楽しみにしてくだされば幸いです。

※1 2013年9月下旬の外国為替レートにおいて、1ユーロは約135円。

※2 以下、「グロス収入」=「経費や税金を支払う前の表面的な収入」、「ネット収入」=「経費や税金を支払った後の正味の収入」として話を進めていきます。

※3 一般医:家庭医の専門医制度ができる前から一般医学の診療を行ってきた医師。

【References】
1)Tarifvertrag für Ärztinnen und Ärzte an kommunalen Krtankenhäusern im Bereich der Vereinigung der kommunalen Arbeitgeberverbände(TV-Ärzte/VKA)vom 17.August 2006 in der Fassung des Änderungstarifvertrags Nr.4 vom 6.März 2013(Stand:1.April 2013)(マールブルガー・ブントと地方自治体使用者連合との間で結ばれた労働協約).
2)熊谷徹:新ヨーロッパ通信「悲鳴をあげるドイツの医師たち」,保険毎日新聞,2006年2月.
3)OECD(2011):Doctors’ and nurses’ salaries,in Government at a Galance 20111.OECD Publishing.2011年8月.
4) Kok L,Lammrs M,Ternpelman C:Remuneration of medical specialists:An international comparison.SEO-Report 2012-77.SEO Economic Research.2012年10月(オランダ厚生・福祉・スポーツ省の委託による報告書).
5)Repschläger U:Die Gesamthonorare für ambulant tätige Ärzte in Deutschland:Beitrge und Analysen,in BARMER Gesundheitswesen aktuell 2009(edited by Repschläger U),p.220-250,BARMER Ersatzkasse,2009(プライベート保険会社Barmer社の2009年の報告書).
6)Busch A:Mit einem Streik treffen wir die Faschen:Die Patienten,in Westdeutsche Zeitung.2012年9月14日(西ドイツ新聞に掲載された記事).
7)Zentralinstitute für die kassenärtzliche Versorgung in Deutschland:ZI-Praxis Panel Jahresberich 2010:Wirtschftliche Situation und Rahmenbedingungen in der verstragsärztlichen Versogung der Jahre 2006 bis 2008,ZI,2012年3月.
8)Deutschlands größter Gehalts-Report.150 Berufe im großen Gehaltsranking.FOCUS Magazin, Nr.45(7 November),p.168-183,2011(雑誌フォークス2011年11月号).
9) Der großte stern-Report.Was verdienen Selbständige in Deutschland? 100 Berufe im Vergleich.Stern,Nr.12(13 March),p.46-64,2008(雑誌シュテルン2008年3月号).
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