2013年09月25日

アンジェリーナ・ジョリーの選択

内野三菜子
国立国際医療研究センター病院放射線治療科


 少し前のことになりますが、女優アンジェリーナ・ジョリーが予防的両側乳房切除術・乳房再建術を受けたという一件が話題を集めました。そこで、筆者の放射線腫瘍医という立場から、プリンセスマーガレット病院での経験を踏まえ、彼女の選択の背景事情を含めて、お話ししてみたいと思います。

BRCA1/2の変異が乳癌や卵巣癌の発症に寄与
 2013年5月14日付のニューヨークタイムズ紙に掲載されたアンジェリーナ本人の寄稿[1]によると、彼女に手術を決意させたのは、「BRCA1と呼ばれる遺伝子に変異があり、乳癌または卵巣癌の発症リスクが高い」という主治医の話でした。本人のコメントによれば、発症率は9割近くだと説明されたようです。

 BRCA1は、Breast Cancer感受性遺伝子1の頭文字を取ったもので、癌に「させない」情報を持つ遺伝子ですが、ここに変異があると抑制機構が働かず、癌になりやすくなります。BRCA1およびそれに類似したBRCA2の遺伝子変異は、乳癌や卵巣癌の発症に寄与することが分かっています。(以後は便宜的に、「BRCA1または2陽性」と記述する場合は遺伝子変異が「陽性」という意味です)

 BRCA1遺伝子は、乳癌や卵巣癌だけではなく子宮癌、膵癌、大腸癌の発症にも関与し、BRCA2遺伝子は、胃癌、胆嚢癌、胆道癌、悪性黒色腫の発症にも関与していることが知られています[2]。

 一般的に、乳癌患者の5〜10%はBRCA1または2が陽性だと言われています。陽性率には人種差があり[3]、ユダヤ人の中でもAshkenazi Jewish(ドイツや東欧に多く住むユダヤ人)では陽性率が高く、Ashkenaziの女性全体(乳癌患者に限らず)の約2%が陽性と言われ[4]、これは全人口での陽性率の約5倍と言われています[5]。

 ただし、BRCA1または2が陽性だとしても、その人が必ず癌になるわけではありません。BRCA1陽性の人が70歳までに乳癌を発症する確率は、データにより多少ばらつきはあるものの、およそ60%前後、BRCA2陽性で50%弱だと言われています。同様に、卵巣癌ではBRCA1陽性で40%前後、BRCA2陽性で15%前後です[6]。

 癌の発症は遺伝子だけで左右されるわけではありません。喫煙や飲酒などの生活習慣もですが、何より大きな要因は加齢です。逆に、老齢になる以前の若い段階で癌を発症するということは、発癌に関して遺伝子の影響が反映されているということでもあります。女性の生涯における乳癌発症率が10%程度と言われているので、BRCA1陽性なら約5〜6倍、BRCA2陽性なら4倍程度、陰性の人より乳癌になりやすいということになります[7]。

BRCA検査の結果が治療法を左右する
 「既に片側乳癌になった」「家族に若年発症の乳癌患者が複数いる」「家族内に遺伝子変異を持つ人が見つかり、もしかしたら自身も遺伝子変異を持っている可能性がある」といったリスクがあるとなると、アンジェリーナのように遺伝子検査を受けるべきか検討する必要性が出てきます。プリンセスマーガレット病院の診療フローでは、片側が癌になり、よくよく家族歴を調べてみたら、ひょっとしたら遺伝子が怪しいかも…というところからが、私たち放射線腫瘍医のかかわる場面です。

 かつては、乳房にしこりがあれば、おしなべて大胸筋まで含めた乳房切除術を行うのが標準治療でした。しかし、見た目は美しいとはとても言えず、手術後は筋力もアンバランスになり、腕が上がりにくくなったり、リンパ節郭清のために腕がむくんだりと、QOLの面で様々な不都合がありました。とはいえ、乳房を残せば残存乳房からの再発が全切除例に比べて多くなるため、切除せざるを得ませんでした。

 しかし、腫瘍のみを部分的に切除した残りの乳房に放射線治療を行うことで、残存乳房からの再発率を乳房切除時と同程度の割合に抑えられることが分かり[8]、今ではリンパ節転移がない初期乳癌の場合には、乳房部分切除で腫瘍を取り除き、残りの乳腺に放射線を照射する治療が一般的になっています。ただし、放射線治療を受ける場合は約1カ月の通院が必要です。

 形成外科技術の進歩もあり、「胸筋を残しての乳房切除後に再建をする」という選択肢も出てきました。切除時の断端に腫瘍がないことが明らかに確認され、リンパ節転移もなく、技術的にも施行可能なケースであれば選択可能です。そのため、初期乳癌でも乳房切除+再建を選択する患者もいます。

 片側乳癌の診断を受けて治療法の相談をする際、BRCA1または2が陽性の可能性があれば、今のところ腫瘍はない健側の乳房をどうするかということを考える必要があります。

 治療のオプションは、(1)部分切除+放射線治療、(2)全乳房切除(ただし、胸筋は残す)+再建の2つです。BRCA陽性なら反対側の健側乳房も切除して両側再建をする(選択肢(2))、陰性ならば部分切除にとどめたい(選択肢(1))…そのように考えられるのが一般的です。放射線腫瘍科の外来では通常、選択肢(1)について、治療法の概略やメリットおよびデメリットを説明しています。それを聞いた上で、BRCAを検査するかどうか考える人もいます。逆に、先にBRCAの検査を受け、その結果を待っている間に説明を聞きに来る人もいます。

「心配だから」だけではダメ、オンタリオ州は遺伝子検査の適応に厳格な基準
 アンジェリーナも言及していましたが、BRCAの検査代は約3000ドルと高額です。カナダのオンタリオ州ではアメリカと違って、薬代を除く全ての医療費が基本的に公的保険で賄われ、BRCAの遺伝子検査も例外ではありません。しかし、その適応にはとても厳格な基準が設けられています(表1)[9]。また、その前段階である、検査に関するカウンセリングについても、適応が厳しく決められています(表2)[9]。

20140222_uchino_1.jpg
【表1 オンタリオ州におけるBRCA1/2 遺伝子検査の適応基準(一部を抜粋) Reference(9)より一部改変引用】

20140222_uchino_2.jpg
【表2 オンタリオ州におけるBRCA1/2検査の遺伝カウンセリングへの紹介基準 Reference(9)より引用】

 遺伝子情報を知るということは、自分の未来を知るということでもあり、場合によっては家族の未来をも左右します。それゆえに十分なカウンセリングが必要で、そのための医療リソース(カウンセリング要員)を確保するため、カウンセリングの段階から適応基準が厳しく定められているわけです。「心配だから」という理由だけでは検査できません。遺伝子を調べるということは、それほど重みのある検査だと位置付けられているのです。

 このたびアンジェリーナが両側乳房切除を選択したことで、彼女の将来の乳癌発症率は5%前後に低下しました(肉眼で見えない腫瘍細胞のごく微小な残存の可能性は排除できないため、発症率ゼロにはできません)。

 実際に多くの癌患者に接していると、癌に対する考え方は実に様々であることが分かります。「とにかく、少しでも癌が残っているのは嫌」だから「取れる限り外科手術を」と希望する人もいれば、「切るのは嫌なので、なるべく軽い手術にして、あとは放射線や抗癌剤で」と言う人、「抗癌剤は絶対に嫌」と言う人もいます。

 おそらく、アンジェリーナは「徹底的に取り除きたい」という考えだったのでしょう。乳房切除後の再建においては、表面の皮膚組織を中から少しずつ風船で膨らまして伸ばす作業など、それなりに痛みを伴う段階もあります。決して楽な治療ではありません。

癌に対するとらえ方は人それぞれ
 私が実際に接した患者で、特に記憶に残っている方のエピソードを紹介します。

 1人はもう90歳近いドイツ人で、片側乳癌を温存して治療した後、自分でBRCAを調べて陽性だったことが分かり、両側の乳房切除に踏み切りました。「余生を煩わされることなく過ごしたいから」ということでした。

 もう1人は、プリンセスマーガレット病院の関連病院の手術室ナースで、両側乳房切除術および卵巣切除術を受けました。この方の場合は乳癌がやや進行していたため、乳房切除後に患側の放射線治療を行っています。その後、対側の乳房切除と卵巣切除を行いました。「健側にも癌ができるのではないかと、ビクビクしながら過ごすのは嫌だ」と考えた末の決断でした。実は、この方のBRCAは陽性ではなかったのですが(そもそもカウンセリングの適応がなかったと記憶しています)、「癌遺伝子はBRCAのみではない」と周囲を説得していたことを覚えています。

 アンジェリーナは、自らが選択した予防的両側乳房切除について、「こういう選択もあることを知ってほしい」というコメントを出しています。確かに、身内に患者でもいない限り、多くの人はこうした治療法があることも知らなかったでしょう。体が大切な“商売道具”である女優という立場でありながら積極的に「攻め」に出た彼女の姿勢は、多くの癌患者にとって励ましになった部分はあると思います。

 しかし一方で、彼女はケタ外れの富裕層であり、検査でも治療でも望みさえすれば実現できるという、アメリカの中でもごく限られた特殊な事例であることも確かです。検査のコストダウンを求める声はもちろんあります。それでも、「未来を知る重さ」や「社会に対するコスト意識」を踏まえた上で、厳格な診断基準を設けて検査を行っているオンタリオ州のシステムは、比較的よくできているのではないかと思っています。

 なお、日本では現在、日本人におけるBRCA遺伝子変異陽性について、日本乳癌学会、日本人類遺伝学会、日本婦人科腫瘍学会の3学会が患者データベースの運用を共同管理する方針で研究が進められています[10]。積極的な検査と予防治療に対しても、いずれは保険適用が検討されることでしょう。とはいえ、検査対象の選択と検査施行・治療選択までの道筋が日本の実情に合ったスタイルとして普及・定着するまでには、もう少し考えなければならないことがありそうです。

【References】
1)ANGELINA JOLIE:My Medical Choice.The New York Times.May 14,2013.
http://www.nytimes.com/2013/05/14/opinion/my-medical-choice.html
2)Kadouri L,Hubert A,Rotenberg Y,et al:Cancer risks in carriers of the BRCA1/2 Ashkenazi founder mutations.J Med Genet.2007 Jul;44(7):467-71.
3)John EM,Miron A,Gong G,et al:Prevalence of pathogenic BRCA1 mutation carriers in 5 US racial/ethnic groups.JAMA.2007 Dec 26;298(24):2869-76.
4)Struewing JP,Hartge P,Wacholder S,et al:The risk of cancer associated with specific mutations of BRCA1 and BRCA2 among Ashkenazi Jews.N Engl J Med.1997 May 15;336(20):1401-8.
5)Warner E,Foulkes W,Goodwin P,et al:Prevalence and penetrance of BRCA1 and BRCA2 gene mutations in unselected Ashkenazi Jewish women with breast cancer.J Natl Cancer Inst.1999 Jul 21;91(14):1241-7.
6)National Cancer Institute:Difficulties in Identifying a Family History of Breast and Ovarian Cancer Risk.
http://www.cancer.gov/cancertopics/pdq/genetics/breast-and-ovarian/healthprofessional#Section_22
7)National Cancer Institute:BRCA1 and BRCA2:Cancer Risk and Genetic Testing Fact Sheet.
http://www.cancer.gov/cancertopics/factsheet/Risk/BRCA
8)Early Breast Cancer Trialists’Collaborative Group(EBCTCG),Darby S,McGale P,et al:Effect of radiotherapy after breast-conserving surgery on 10-year recurrence and 15-year breast cancer death:meta-analysis of individual patient data for 10,801 women in 17 randomised trials.Lancet.2011 Nov 12;378(9804):1707-16.
9)ELIGIBILITY CRITERIA―Genetic Counseling Eligibility Criteria
http://www.theprincessmargaret.ca/en/PatientsFamilies/ClinicsAndCentres/FamilialBreastOvaCancerClinic/Documents/Genetic%20Counselling%20Eligibility%20Criteria.pdf
10)満武里奈:3学会協働で日本人BRCA遺伝子変異陽性患者のデータベース運用へ―班研究最終報告より【乳癌学会2012】.日経メディカルオンライン.Jul 4,2012.
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/sp/jbcs2012/201207/525749.html
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/88109722
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック