2013年10月30日

イクメン医師はアメリカでもヘトヘトです

萩原裕也
サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサー

 私(裕也)は家庭医療研修をミシガン州立大学関連のプログラムで行い、その間の3年をカラマズー(Kalamazoo)という町で過ごしました。

 長女と次女が生まれたのは研修中のことでしたが、当時、妻の万里子は医師業を休業して専業主婦だったため、育児を含む家の用事はすべて彼女に任せっぱなしでした。仕事から帰った後や週末も、勉強しているか寝ているかのどちらか。「なんで私ばかりが子どもの世話をしているの!」と妻からたびたび言われましたが、責められても仕方ない状態でした。続きを読む

2013年01月16日

医師にも不可欠の年俸交渉術

萩原裕也
サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサー

 ○月×日、いつもより1時間早く出勤。来年度(10月以降)の契約交渉に望むためだ。私の場合、給料は年俸制。毎年春から夏にかけて、プロ野球選手の契約更改のように、病院と面談・交渉をする。今日ばかりは、スーツに袖を通した大リーガーの気分だ。

 私が勤務するのは地域の小規模な病院のため、病院最高責任者との直接交渉になる。過去1年間の診療業績が良好なら、その度合いに応じてボーナスも出る。アメリカでは主流の方式だ。続きを読む

2011年11月14日

女性医師、アメリカで出産。「楽しかった、お腹空いた」

萩原万里子
サウスダコタ大学内科レジデント

 前回書いたように出産予定日までおよそ8週間というところでアメリカに渡った私(万里子)ですが、今回はアメリカで体験した出産事情と、産後5カ月目で受験したUSMLE(United States Medical Licensing Examination) STEP2CSの様子をお伝えしたいと思います。続きを読む

2011年07月11日

かぜの患者に「マンモは受けた?」 あれもこれもやる家庭医

萩原裕也
サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサー

 アメリカでの3年間の家庭医療研修を終えた2007年、日本へ帰国するという選択肢もありましたが、私(裕也)は家庭医の本場であるアメリカに残って修行を続けることにしました。幸いにも、同じように地域医療を志した研修プログラムの先輩がいて、勤務先を紹介してもらうことができ、サウスダコタ州のヴァイボーグ(Viborg)という小さな町で、へき地家庭医療に従事することになりました。続きを読む

2011年03月08日

お腹の子と一緒にUSMLE受験

萩原万里子
サウスダコタ大学内科レジデント

 はじめまして、萩原万里子です。私は5歳から10歳までをカリフォルニア州サンノゼで過ごし、帰国後は山梨大学医学部を卒業するまで日本で教育を受けました。在学中に婚約して卒業直後に結婚。横須賀海軍病院(US Naval Hospital Yokosuka)で勤務を開始しましたが、ほどなくして妊娠。ミシガン州立大学でレジデントをしていた夫の元に渡り、現地で長女(現在6歳)と次女(現在3歳)を出産しました。夫が研修を終えた後、共にサウスダコタ州に引っ越し、2010年よりサウスダコタ大学の内科研修プログラムでレジデントを務めています。続きを読む

2011年01月19日

日本での就職はあきらめた!

 こんにちは。サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサーの萩原裕也です。日本の医学部を卒業してすぐ、アメリカで3年間の家庭医療研修を始め、修了後の2007年からサウスダコタ州のViborgという田舎町で家庭医をしています。

 この連載は、妻の萩原万里子(同大内科レジデント)にも参加してもらい、交代で執筆しながらお送りしていきたいと思っています。僕たち夫婦は、2人の娘の子育てに泣き笑いしながらも、それぞれアメリカで臨床医として働き、充実した毎日を過ごしています。

 今回は2人の簡単な自己紹介を含め、僕がアメリカでレジデントとしての生活を開始するまでの道のりを紹介したいと思います。続きを読む