<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
>

<channel rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/">
<title>メールマガジン「KUROFUNet」バックナンバー</title>
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/</link>
<description>メールマガジン「KUROFUNet」のバックナンバーを参照できます。</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://blog.sakura.ne.jp/" />
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/55230246.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/55230163.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54753214.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54753070.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54580457.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54580217.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54453722.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54453576.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54423135.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54422955.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54422742.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54363969.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54359206.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54350722.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54350547.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>

<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/55230246.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/55230246.html</link>
<title>「2枚舌」を探せ！</title>
<description>内野三菜子トロント大学プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科　カナダは移民の国です。アメリカの移民が「アメリカナイズ」されることに重きを置くように見えるのと比べて、カナダの移民は皆それぞれ自らの文化を守りながら一つのカナダの文化を織りなしていると言えます。“Greater Toronto Area”と呼ばれる、日本で言うなら東京を中心とした「首都圏」に相当するようなエリア（カナダの首都はオタワですから、正確には「首都圏」ではありません）に住む人の約半数は、自宅では英語以外の言..</description>
<dc:subject>内野三菜子の「トロントいろどる楓や蔦は」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-10-11T17:07:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
内野三菜子<br />トロント大学プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科<br /><br />　カナダは移民の国です。アメリカの移民が「アメリカナイズ」されることに重きを置くように見えるのと比べて、カナダの移民は皆それぞれ自らの文化を守りながら一つのカナダの文化を織りなしていると言えます。“Greater Toronto Area”と呼ばれる、日本で言うなら東京を中心とした「首都圏」に相当するようなエリア（カナダの首都はオタワですから、正確には「首都圏」ではありません）に住む人の約半数は、自宅では英語以外の言語をしゃべっているとされています。<a name="more"></a><br /><br />　一つひとつの楓の色の赤味・黄色味は違っても全体として素晴らしい錦秋のカーペットを織りなしているとも言える、カナダらしい事情ではあるのですが、こと医療サービスでこの多様性に対応するとなると、なかなか大変です。職を得て移民してくる世代の親の世代には、母国語しかしゃべれないか、英語がしゃべれてもわずかという人が少なくありません。日常生活もそれぞれの移民コミュニティーの中で英語なしに完結することができてしまうので、高齢の彼ら彼女たちがひとたび癌になり、専門病院である私たちの外来に来ると、当然コミュニケーションの問題が出てきます。<br /><br /><strong>中には3カ国語を操る医師も</strong><br />　コミュニケーションの問題を解決するための選択肢はいくつかあります。例えば、トロント大学プリンセスマーガレット病院の所属するUniversity Health Network のウェブサイトでは、<a href="http://www.uhn.ca/Find_a_Doctor/index.asp" target="_blank">スタッフドクターの紹介ページ</a>に対応可能言語が表記してあります。これは英仏2カ国語が公用語であるカナダらしいとも言えます。医学部教育でもケベック州ではフランス語で教育する大学と英語で教育する大学があり、小中高でフランス語の学校に通う人もいますので、両方を不自由なくしゃべれる人が少なからずいます。<br /><br />　実際問題、カナダ人口の全体の2割はフランス語が第1言語で、そのうちの2割は英語がしゃべれないとも言われていますので、フランス語しかしゃべれないという医師も理論上は存在し得ます。もっとも、普段は英語で診療しているトロントの病院ですので、ざっと見た限りでは「フランス語のみ」という医師はいませんでしたが…。<br /><br />　そのほかに、“Hindi”“Punjabi”“Mandarin”“Cantonese”“Farsi”“Arabic”などの言語が併記されている医師も結構います。こうすることで、患者側にとっては、受診の必要な分野に複数の専門医がいる場合は、対応可能言語を参考にして選び、家庭医からの紹介状を出してもらうということも可能になるわけです。<br /><br />　コミュニケーションを取るためのもう一つの手段は、英語のしゃべれる家族が付き添うことです。患者本人にしてみれば気心も知れているし、安心ではありますが、付き添うご家族の仕事のシフトの関係で、始業前や夕方遅くに診察を求められることもたまにあります。ただ、日本で時折見かけるように、「こっちは忙しい中わざわざ来るんだ、病院なら24時間対応できるべきだろう」という態度を前面に出して、土日祝日や夜間遅くの病状説明を当然のように要求するご家族はいません。もっとも、こちらでは家族のことで休むとなった場合の職場の理解は日本に比べて格段に得やすいので、そこは日本の患者・家族だけが責められるべき問題ではありませんが。<br /><br /><strong>ボランティアの医療通訳サービスに電話、それでも駄目なら…</strong><br />　ご家族が付き添えない場合、次の選択肢は通訳サービスです。トロント大学プリンセスマーガレット病院の所属するUniversity Health Networkでは、予約すれば医療通訳のボランティアを利用できます。通訳者が付き添ってくれるサービスが約50カ国語、電話越しのサービスが約150カ国語とのことです。電話のサービスは、外来に置いてある円盤のような通信機（冒頭写真）を使って行います。サービスにダイヤルし、希望の言語を選び、通訳者がスタンバイしたところで、小さい黒い円盤に向かって患者と医師とがそれぞれしゃべるという、ちょっと不思議な光景です。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120411_minako.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120411_minako-thumbnail2.jpg" width="240" height="320" border="0" align="" alt="20120411_minako.jpg" /></a><br />【医療通訳サービスを受けるための通信機。キャスターが付いていて、移動できるようになっています。】<br /><br />　電話のサービスの場合の問題点は、必ずしも、通訳者がすぐ見つかるとは限らないことです。おそらくボランティアのリストがあって手伝ってくれる人を探しているのでしょうが、これがなかなか見つからないことがあり、この間も30分待ってロシア語の通訳者がようやく見つかったということがありました。<br /><br />　こういうときの最終手段は、ずばり「スタッフで誰かしゃべれる人！」と「臨時ボランティア」を募ること。韓国語や日本語の場合は患者側が通訳をあらかじめ手配してきているので（几帳面な人が多いからでしょう）、しゃべれないという人がいきなり来て…ということはまずありませんが、他の言語だとそういうことが時々あります。<br /><br />　北京語や広東語、スペイン語だと、たいてい1人や2人はナースやフェローの中でしゃべれる人がいますので、さほど困りません。それでも、私の場合はアジア人の外見から、ご年配の中国人の患者に「あなたは中国語はしゃべれないの？」と、ものすごく悲しい顔をされることがあったりしますが、漢字の筆談で対応できる部分は対応して時間を稼ぎながらスタッフを探せば、たいていの場合はしのげます。<br /><br />　これがイタリア語やペルシャ語、ロシア語だったりするともう少し大変で、「誰かいない？」「確か彼（彼女）がしゃべれる！」などと、“2枚舌”（以上）のスタッフを求めて、要らぬページャー（日本で言うポケベル）の呼び出しが増えるわけです。「呼ばれた人もかわいそうだよなぁ」と思いつつ、私もこの間、ロシア語しかしゃべれない患者のときに、通訳サービスのボランティアが30分たってもつかまらず、前に自分のチームに付いていたウクライナ人のレジデントがしゃべれたのを思い出し、お願いのページャーを鳴らしました。<br /><br />　よくあることですが、助っ人が外来に来てくれると同時に通訳サービスが確保できるという次第で、結局そのときもレジデントの出番はなかったのですが、それでも2、3カ月に1度はこういう場面に遭遇します。今のところ幸いにして、私に日本語通訳の要請がかかったことはありません。<br /><br />　漢字の筆談程度でものすごく喜んでもらえる場面にしばしば遭遇すると、「込み入った話は家族か医療通訳に頼むにしても、ある程度の会話は直接できたらいいな」と思うことはしょっちゅうです。本屋や空港でロゼッタストーン（語学トレーニングソフト）の販促カウンターを見かけると、つい何となく目が行ってしまいます。<br /><br />　一方で、トロント在住が30年超という日本人の方からは、「日本の医者は威張っていて話しにくい。英語はストレートに話ができて質問しやすいから、日本語での診療は受けたくない」という話も聞かされます。その方が日本を後にした30年前には確かにそういう医療だったかもしれません。しかし、英語圏の同僚医師の仕事ぶりを見ていると、決して分かりやすいとも、聞き手の理解度を確認しながらしゃべっているとも、共感に満ちあふれているとも思えません。それに比べて、今の日本で日々心身を砕いて懇切丁寧に病状説明をしている同僚の仕事ぶりを思うと、やり切れない気持ちでいっぱいになります。<br /><br />　時に伝え足りないこと、時におもんぱかり過ぎること―。日本の言語と文化が及ぼす影を完全にぬぐい去ることは難しいでしょうが、医療者側と患者側の双方が上手なコミュニケーションの距離を探ることの大切さは、国や言語を問わないのではないかと思います。<br /><br />　私はいつの日か、タモリの「4カ国語麻雀」のように、自在に諸言語を操りながら外来診療をする日が来るのでしょうか？　まずはレストランでメニューを読むところから、外国語に親しむことにしたいと思います。やはり「舌」から鍛えなくてはいけませんからね。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/55230163.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/55230163.html</link>
<title>シンガポール赴任の条件は、論文、子作り、産業医</title>
<description>大西洋一ラッフルズジャパニーズクリニック院長　医局からの派遣でシンガポール日本人会診療所に赴任したのは2001年3月のこと。03年4月からはラッフルズジャパニーズクリニックに職場を変え、いつの間にか日本を離れてから早10年以上が経ってしまいました。一昨年の9月には上海にもジャパニーズクリニックを立ち上げ、シンガポールに家族を残しての上海での単身赴任生活も1年半を過ぎています。</description>
<dc:subject>大西洋一の「こちらシンガポール日本人駐在員診療所」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-09-28T16:59:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
大西洋一<br />ラッフルズジャパニーズクリニック院長<br /><br />　医局からの派遣でシンガポール日本人会診療所に赴任したのは2001年3月のこと。03年4月からはラッフルズジャパニーズクリニックに職場を変え、いつの間にか日本を離れてから早10年以上が経ってしまいました。一昨年の9月には上海にもジャパニーズクリニックを立ち上げ、シンガポールに家族を残しての上海での単身赴任生活も1年半を過ぎています。<a name="more"></a><br /><br /><strong>「一生日本から出ない」と思っていたけれど…</strong><br />　こう書くと、私のことをさぞグローバルな人間なんだろうと思われるかもしれませんが、実は海外デビューは遅いものでした。小学生の頃から語学（国語）嫌いで、中学以降は英語も大の苦手。そんな状況も手伝って海外には全く興味がなく、「おそらく自分は一生日本から出ないんだろう」と考えていました。<br /><br />　大学を卒業して医師国家試験を終えたときも、卒業旅行と称して海外に出かける多くの同級生を尻目に、私はせっせとアルバイトに励んでいました。旅行に行くお金がなかったという事情もありましたが、そもそも海外旅行なんぞに全く興味がなかったのです。もっとも、旅行自体は嫌いでなく、その証拠に日本国内はあちこちに出かけました。医師になって4年目までには、日本中をくまなく泊まり歩き、1都1道2府43県を制覇していました。<br /><br />　そんな私の海外デビューの機会は30歳のときに訪れました。当時働いていた病院で海外への職員旅行があり、同僚に誘われて仕方なく参加したのです。と言っても2泊3日のサイパン旅行。ご存知のように、ホテルのフロントでも土産物屋でも、サイパンでは至る所で日本語が通じます。街のレストランに入っても、メニューは日本語で書いてあります。旅行前には一応自分なりに英会話の練習（？）もしておきましたが、結局同僚からは「大西は日本語しか使っていなかったな」と冷やかされてしまいました。しかし、これで海外旅行に味を占めた私は、グアム、香港、シンガポール、バンコク、ソウル、ハワイへと足を伸ばしていきました。相変わらず、英語はろくに話せないままでしたが。<br /><br /><strong>高尚な動機はないけれど、とりあえず日本を出てみたい</strong><br />　そうこうしているうちに大学（千葉大）に戻り、大学院の学生となりました。そうすると、医局から留学の話なども出てきます。先輩や友人が留学に行ったという話を聞くと、「自分も行ってみたいな」という気持ちが起こってきました。とは言っても、海外の研究所で最先端の研究がしたいとか、医師としてキャリアを積みたいとか、高尚な動機ではありません。単に、「人生のうちで一度ぐらい海外生活を経験してみてもいいかな」といった、海外旅行の延長での発想です。しかしながら、現実的には3つの困難な事情がありました。<br /><br />　1つ目はやはり言葉の問題です。生活だけならまだしも、仕事も英語でこなさなくてはいけないのかと思うと、自分には無理だろうと思いました。<br /><br />　2つ目は仕事の内容です。当時大学院生だった私はラットの飼育と細胞の培養に明け暮れる毎日でしたが、それが嫌でたまらず、時々出かけるアルバイトが憩いの時間でした。患者の診療から大きくかけ離れた基礎研究は、私にとっては苦痛以外の何物でもなかったのです。研究留学すれば、臨床から全く離れて研究に専念しなければなりません。考えるだけでぞっとしました。<br /><br />　3つ目は収入の問題です。留学ではもちろん給料がもらえません。わずかな奨学金が出ればいい方です。「多くの人が持ち出しだ」という話を聞いて、蓄えのない自分には絶対に無理。ちょっとした願望は、ちゃんと考えたら、はかなく消え去るほかありませんでした。<br /><br />　ところが、医局でちょっと変わった派遣の話がありました。シンガポール日本人会診療所の仕事で、1985年の診療所設立から千葉大学医学部が医師を派遣しており、95年以降は私の所属する呼吸器内科から交代で医師が赴任していたのです。この診療所では、シンガポール在留邦人が日本と変わらぬ医療を安心して受けられるよう、日本人医師が日本語で医療を提供していました。この仕事であれば、3つの問題はすべてクリアできます。<br /><br />　もっとも、こんなおいしい話に興味を持つのが私だけのはずがありません。医局の先輩や後輩の中にも同じ願望を抱いている人たちがいました。後輩はともかく先輩を差し置いて、私が手を挙げるわけにはいきません。<br /><br />　1つ上の学年には、研修医時代に始まり派遣先の病院でも大変お世話になり、とても仲良くしてもらっていた先輩がいました。その先輩も大学院での研究室にこもる生活にうんざりし、「いつかは南の島で働きたい」という希望を持っていたのです。当時シンガポールに赴任中の医師は2年後に帰任する予定でしたが、先輩が希望するとあっては、私はあきらめるしかありません。ところが先輩はその2年を待てずに大学院を突然辞め、沖縄の病院に就職してしまったのです。そのとき、シンガポール行きが私の中で現実味を帯びてきました。現在の私があるのは、ある意味、先輩の当時の決断のおかげでもあります。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120411_yoichi_1.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120411_yoichi_1-thumbnail2.jpg" width="210" height="281" border="0" align="" alt="20120411_yoichi_1.jpg" /></a><br />【日本人会診療所の診察室に立つ筆者（赴任当時）。なお、診療所は2年前にリノベーションされ、今ではすっかり現代風に様変わりしています。】<br /><br /><strong>教授が課した？ 3つの条件</strong><br />　さて、本当に大変なのはここからです。いくら行きたいと願っていても、医局の人事。教授が良しと言わなければ始まりません。そもそも、大学院生だった私が赴任するには、博士課程修了まで１年を残して大学院を休学しないといけません。果たして教授がそれを良しとするでしょうか。どうしたものか、いろいろと思案を巡らせました。内々に医局長に相談してみましたが、「教授に直接聞いてみたら？」と返ってくるのみ。「次は自分がシンガポールに行く！」と医局内で宣言し、既成事実にしてやろうかとも思いました。<br /><br />　そうこうしながら、1999年の年末。医局の同門会の宴席で、私は思い切って教授に胸の内を話してみました。するとあっさり、「大西はダメだな」。理由を尋ねると、3つのことを指摘されました。<br /><br />　第1に、研究が終わっていない。第2に、産業医の資格を持っていない（駐在員の診療に当たるので、企業絡みの健康相談に乗れるよう産業医資格を持つことが望ましい）。第3に、独身である（仕事柄、企業人との付き合いが多く、妻を同伴しての社交も避けられない）。私は、これらの指摘を自分への宿題だと勝手に決め込んで、目標に向けて行動を起こしました。後年、このときのことを教授に話したら、宴席でのことで酔っていたのか、「そんな話は全く覚えていない」とのことでしたが…。<br /><br />　翌2000年5月の連休には、自治医科大学で開催された産業医講習会に参加して、資格を取得しました。同じ5月の5日には入籍もしました。残るは研究ですが、さすがに一朝一夕にはいきません。ただ、地道な努力（？）の甲斐あってか、医局内では「次にシンガポールに行くのは大西」というムードが何となくできてきて、教授にもその方向で考えていただけるようになりました。<br /><br />とは言え、お墨付きを与えられるまでには至らず、「赴任までに論文をまとめるように」とのお達しを受けました。また、「診療所の患者の半数以上は子どもらしいから、自分も子どもを持って子育てを経験し、診療に役立てるように」ともアドバイスを受けました。今思うと、教授は単なる思い付きで話していただけかもしれませんが、当時の私は、それをまたまた赴任の新たな条件と受け止めました。そして幸運なことに、ほどなくして子どもを授かったのです。<br /><br />　10月某日、教授に呼び出されて、「論文は本当に年内に書けそうか？」と尋ねられました。「いや、はあ、なんとか間に合わせます」としどろもどろの返事に、教授は険しい顔で考え込んでしまいましたが、最終的には、2年間の任期が終わったら大学院に戻ってきちんと論文を提出して修了することを条件として、赴任を承認していただけたのです。結局、この教授との約束を果たさなかったことを、私は今でも非常に申しわけなく思っています。<br /><br />　指導医の仕事と大学院での研究を終えて初めて、自由な就職が許される。それが当時の医局人事のしきたりでした。教授としては、医局の秩序を維持していくためにしきたりを守る必要があり、例外は認めたくなかったでしょう。にもかかわらずシンガポールへ送り出していただいたことには、今でも深く感謝しています。<br /><br /><strong>妻には大変な苦労をかけました</strong><br />　年が明け、いよいよ赴任の日が近づいてきました。3月初旬に赴任予定でしたので、引っ越しのための荷物の整理や手続きで大忙しです。2月18日に生まれたわが娘は、山積みされた段ボール箱に埋もれて、ベッド代わりの座布団に寝かされていました。生まれて間もない娘はパスポートができてからでないと渡航できないので、家の引き払いなど最後の片付けと娘の面倒を妻一人に任せ、一足先にシンガポールへ発ちました。私は教授からの言いつけを忠実に（研究以外は）実現したわけですが、その分、あまりに慌ただしい旅立ちとなり、妻には大きな苦労をかけてしまいました。<br /><br />　こうして、遅い海外デビューから4年、34歳のとき、シンガポールで生活を始めることになりました。ろくに英語も話せず、「2年ぐらいなら海外生活をしてみるのもいいだろう。そうすれば英語もペラペラになるかもしれないな」という程度の軽い動機で踏み出した一歩。これが人生の転機となり、その後10年以上も海外暮らしが続くことになろうとは、夢にも思っていない2001年春でした。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120411_yoichi_2.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120411_yoichi_2-thumbnail2.jpg" width="300" height="224" border="0" align="" alt="20120411_yoichi_2.jpg" /></a><br />【シンガポール日本人会診療所の外観（2010年撮影）。】

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54753214.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54753214.html</link>
<title>「5時になったら帰れ」と言われても…</title>
<description>林 大地ボストン大学放射線科リサーチインストラクター　前回までイギリスにおけるナショナル・ヘルス・サービス（national health service；NHS）医療とプライベート医療について紹介してきました。今回は、私がNHS病院の勤務中に体験した、医師の労働形態をめぐる経営サイドと現場医師の対立について書きます。</description>
<dc:subject>林大地の「誰もが“無料”で医療を受けられる国、イギリス」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-09-26T02:41:55+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
林 大地<br />ボストン大学放射線科リサーチインストラクター<br /><br />　前回までイギリスにおけるナショナル・ヘルス・サービス（national health service；NHS）医療とプライベート医療について紹介してきました。今回は、私がNHS病院の勤務中に体験した、医師の労働形態をめぐる経営サイドと現場医師の対立について書きます。<a name="more"></a><br /><br />　私が研修医1年目だった2004年の夏、研修医たちに大きな衝撃を与える出来事が起こりました。勤務していたキングス・カレッジ・ロンドン病院の経営者が突然、全研修医の労働時間を強制的に短縮し、それとともに給与も大幅に削減するという方針を打ち出したのです。<br /><br />　経営サイドからの通達は、「全研修医は夕方5時になったら、あらゆる仕事をやめ、残務は当直医にすべて引き継ぎ、速やかに帰宅すべし」というものでした。1年目の研修医は宿直業務から完全に外され、平日の当直業務は夕方5時から夜9時までに限定されました（週末当直は朝9時から夜9時まで）。そして、給与はおよそ3分の1カットするというのです。研修医の過重労働を防ぐとともに、人件費の削減もできるため、一石二鳥だということでした。<br /><br />　私たち研修医一同は納得できず、現場を知らない経営者の一方的かつ理不尽な方針だとして、一致団結して反対の意志を示しました。私たちが反発したのは、給与カットに対してというよりも、「5時になったらすべての仕事をやめて帰宅せよ」という無茶な注文についてでした。<br /><br /><strong>the most hard-working intern in this hospital の名にかけて</strong><br />　卒業後、私の最初の職場はキングス・カレッジ・ロンドン病院の外科（general and colorectal surgery）。ここでの研修は病院内で最も忙しい研修医のポストとして、医学生に恐れられていました。<br /><br />　そうとは知らずに応募した私はこのポストにマッチしてしまい、最初は激務のために体重が52kgから48kgまで落ちました。同級生からは「お前、やつれてきているけど、ちゃんと飯食って、休みを取っているのか？」と心配もされましたが、自分としては心身共に充実した日々を送っていたつもりです。<br /><br />　当時、研修医は私を含めて2人。3人の上級専門外科医（consultant surgeon）の指示を受けながら、5つほどの病棟で、多いときは60人程度の患者を受け持ちました。上級医3人はそれぞれ好きな時間に病棟回診を行うので、タイミングが悪いと3人同時に回診を行うこともありました。<br /><br />　朝は7時15分くらいに病院入りし、その日の朝回診の準備をします（アメリカの外科医に比べたら、かなり遅い時間です）。7時45分から前夜の当直医より緊急入院患者の引き継ぎなどを行い、8時半頃から専門医（registrarと言い、consultantの1つ下の階級）とシニアレジデント（senior house officer）と共に朝回診に出ます。回診を終えると、その足で専門医とシニアレジデントは外来あるいは手術室へ直行し、私たち研修医は病棟に残って仕事をこなすという日々でした。<br /><br />　夕方5時の時点では、まだ外来や手術が終わっていないことも多く、夕方6時とか7時からconsultantの回診が始まるといったことは日常茶飯事でした。当直でない日でも毎晩帰宅は9時頃でした。そのため、同期からは“the most hard-working intern in this hospital”という称号をもらったくらいです。<br /><br />　そんな状況ですから、「5時になったら帰れ」というお達しが出ても、上級医を無視して帰るつもりは毛頭なかったですし、自分の担当患者に関する（緊急性のない）仕事を当直医に押し付けて帰宅するなど、あり得ないことだと思っていました。<br /><br />　こういった思いを持ったのは私だけでなく、同期の研修医は皆同じでした。現場からの意向として、経営サイドに方針撤回の希望を申し立てましたが、予想通りに経営サイドはこれを黙殺。表向きは、研修医は「5時に帰宅」ということになり、給与カットも強行されました。後で知ったことですが、どうやら経営サイドには政府から圧力がかかっていたようで、EUの法律を順守し、医療費削減を達成するため、やむを得ずの措置だったようです。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120401_daichi.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120401_daichi-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="20120401_daichi.jpg" /></a><br />【同期の外科研修医たちと、キングス・カレッジ・ロンドン病院外科病棟の廊下にて。写真左から、ジャスティン（泌尿器科）、エリン（肝胆膵外科）、ドミニク（下部消化管外科）と筆者。筆者はドミニクとペアで3カ月間、院内で最も忙しい下部消化管外科の研修をこなしました。大変でしたが、毎日が充実していて楽しかったので、今となってはよい思い出です。】<br /><br /><strong>当直業務は勉強でもあるけれど…</strong><br />　給与カットという憂き目に遭っても、毎日の仕事量は変わりません。私は経営サイドの現場無視のお達しに従うことはせず、それまでと同様に毎日夜遅くまで残って仕事をしていました。<br /><br />　当直でないときの時間外勤務は、自分の担当患者が対象なので、相変わらず終わりがありません。一番遅いときは夜中の0時を回って、最終バスに飛び乗り、ほうほうの体で帰宅したこともありました。シフト勤務をしている看護師からは、「あなたは朝も昼も夜も病棟にいるけれど、ひょっとしてここに住み着いているの？」とからかわれる始末でしたが、自分の仕事を全うするために病棟に残っていることは全く苦痛ではなく、むしろ充実していたと思います。<br /><br />　最近は日本でも医師の過重労働を防ごうという意識が強くなってきていますが、欧州では特に労働時間は厳しく規制されています。もっとも、イギリスは欧州各国の中では、一般に労働時間が長いわりに給与は低いというお国柄で、医師の世界も例外ではありません。<br /><br />　ただ、今もロンドンの聖トーマス病院で働く友人によれば、研修医の給与は相変わらず低く抑えられているものの、当直業務は比較的軽めに設定されるようになり、科によっては当直業務が全くない場合もあるそうです。私が東京慈恵会医科大学附属病院で2年間の研修をしたときも、研修医の当直業務は（外科を除いて）非常に軽めに設定されていました。「イギリスでも日本でも、研修医は守られているんだな」と実感しました。<br /><br />　研修医の労働条件に配慮すること自体は悪いこととは思いません。しかし、研修医時代に当直業務の経験が不足していると、次のステップに進んだときにぶっつけ本番のかたちで1人当直に臨むことになるという現実も無視できません。研修医の経験、患者へのリスク、病院経営といった要素すべてのバランスを取ることの困難さは、イギリスでも日本でも共通の悩みのようです。<br /><br />　NHS病院における緊縮財政のしわ寄せは、初期研修医を含めた卒後研修中の医師全員の給与カットのみならず、労働体系の大幅な変更、院内設備投資の縮小というかたちでも現れました。次回は、当直・宿直業務の減少に伴って増加傾向にある、医師の夜勤の制度について紹介します。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54753070.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54753070.html</link>
<title>巨大津波に飲み込まれなかった医療施設</title>
<description>河合達郎マサチューセッツ総合病院移植外科ハ―バード大学医学部外科准教授　岩手県大船渡市の北に吉浜（よしはま）という小さな村があります。古くから良質のアワビが採れることで有名で、江戸時代の昔から中国に輸出され、吉浜鮑（キッピンパオ）と言われ、非常な高値で取り引きされてきました。</description>
<dc:subject>河合達郎の「中年よ、大志を抱け！」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-09-22T02:34:04+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
河合達郎<br />マサチューセッツ総合病院移植外科<br />ハ―バード大学医学部外科准教授<br /><br />　岩手県大船渡市の北に吉浜（よしはま）という小さな村があります。古くから良質のアワビが採れることで有名で、江戸時代の昔から中国に輸出され、吉浜鮑（キッピンパオ）と言われ、非常な高値で取り引きされてきました。<a name="more"></a><br /><br />　しかし、三陸沿岸のほかの地域と同様に、吉浜村も昔からたびたび津波の被害に遭ってきました。明治三陸大津波では住民の2割が津波に流され204人の死者を出し、そのときの村長たちが未来のことを考え、住居を高さ20m以上の高地に移転することを強く推進したとのことです。子孫たちも祖先の教えを固く守り、平地であっても低地には決して家を建てず、水田として活用しました。そのおかげで、1933（昭和8）年の三陸大津波や、1960（昭和35）年のチリ地震津波でも被害は少なく、昨年3月の東日本大震災でも1人の行方不明者を出しただけにとどまりました。<br /><br /><strong>ボランティアとして見た大災害の爪痕</strong><br />　東京女子医科大学の医局の先輩である木川田典彌（のりや）先生は、その吉浜のお生まれです。先生は東北地方における腎移植と透析医療の草分け的存在ですが、現在はさらに高齢者医療の先駆的な仕事をされています。医療法人勝久会の理事長として、大規模な介護老人保健施設からデイサービスセンターまで、大船渡市、陸前高田市を中心に、私が数えただけでも20カ所以上の施設の運営をされています。<br /><br />　昨年の大震災では、先生と施設の職員の方々もさぞかし大変だったのではないかと思い、夏の時季に大学生と高校生の息子を連れて大船渡にボランティアに行ってきました。現地に着いてみると、復旧は徐々に進んでいるとはいえ、陸前高田市から大船渡市まで巨大津波の残した爪痕は想像を絶するものでした。<br /><br />　報道されたように、この地域の医療機関は壊滅的被害を受けました。陸前高田市の岩手県立高田病院が4階まで津波に飲み込まれて壊滅状態となったほか、介護老健施設も、どこも甚大な人的被害を出しました。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120401_tatsuo_1.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120401_tatsuo_1-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="20120401_tatsuo_1.jpg" /></a><br />【陸前高田市内の平野部にあった県立高田病院は4階まで津波に飲み込まれ、多くの患者や職員の方々が亡くなりました。】<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20100401_tatsuo_2.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20100401_tatsuo_2-thumbnail2.jpg" width="300" height="168" border="0" align="" alt="20100401_tatsuo_2.jpg" /></a><br />【大船渡市にある「三陸の園」という特別養護老人ホームは平野部にあったため、67人の入所者のうち54人が津波で亡くなりました。】<br /><br />　その状況で驚いたのは、木川田先生の施設だけはどこもほとんど無傷で、人的被害も皆無だったことです。もっとも、震災直後は他の施設から転送されてきた多くの患者のケアに当たり、いずれの施設も大変な状況だったとのことではありますが。<br /><br />　なぜ、木川田先生の施設だけが、これほどの大災害でも被害を免れたのか―。それには明確な理由がありました。<br /><br /><strong>究極のリスクマネジメント</strong><br />　幼少時代を吉浜で過ごされた木川田先生は、おじい様より、明治から昭和にかけてこの地を襲った大津波のことを繰り返し聞かされて育ったそうです。先生はその教えを忠実に守り、すべての施設をことごとく、高台というか、小さい山の上に作られました。それゆえ、巨大津波でも施設のほとんどが被害を免れ、多くの患者や入所中の高齢者、そして職員の方々の命が守られたのでした。<br /><br />　私は、被害が甚大だった陸前高田市にある、先生の病院の透析施設で2日間働きましたが、そこの主任も高台の病院にいたおかげで命が助かり、「理事長エライ！」と、そのときばかりは神様のように思ったそうです。とは言っても、わざわざ高台に医療施設を作る意義は、こんな大災害に実際に遭って初めて理解されるものでしょう。生きているうちに遭遇するか分からないリスクに対する備え。これは究極のリスクマネジメントと言えるのではないでしょうか。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120401_tatsuo_3.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/20120401_tatsuo_3-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="20120401_tatsuo_3.jpg" /></a><br />【高台（というよりも小山）に建てられた病院から陸前高田市の中心方向を眺めると、市内の悲惨な状況が目に映ります。田畑が広がっているように見えるところは、震災前はすべて住宅街でした。】<br /><br />　昔の教訓は、誰かが伝えていかなければ全く生かされません。アメリカでは一昨年、4人の生体ドナー（肝臓ドナー2人、腎臓ドナー2人）が亡くなりました。このうち3人は明らかな手術ミスによるものと思われます。地元のボストンにあるラヘイ・クリニックで起こった肝移植ドナーの死亡事故は知っていましたが、ほかに3人ものドナーが一昨年の1年だけで亡くなっていたということは、全国ニュースになっていないため、友人に教えられるまで全く知りませんでした。<br /><br />　問題は、どのようにして事故が起こったのか、訴訟も絡むため、詳細が全く開示されていないことです。一般的に医学雑誌には成功例しか載りにくいのですが、 少なくとも裁判が終わって決着が付いた事故に関しては、症例を呈示して反省し、次代に伝えていかなければならないと思います。<br /><br />　私たちは毎日、虎の尾をいつ踏んでもおかしくない状況で医療行為をしているようなものです。起こったことは再び起こり得る―。少しでもリスクを回避できるよう、過去の失敗を風化させず、ありったけの知恵を振り絞らなければいけない。そんなことを考えさせられた日本の夏でした。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54580457.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54580457.html</link>
<title>待たずに検査したいなら、プライベート医療へどうぞ</title>
<description>林 大地ボストン大学放射線科リサーチインストラクター　前回はイギリス医療の根幹とも言えるナショナル・ヘルス・サービス（national health service；NHS）について書きましたが、今回はNHSと併存する「プライベート医療」を紹介します。</description>
<dc:subject>林大地の「誰もが“無料”で医療を受けられる国、イギリス」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-09-20T18:33:48+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
林 大地<br />ボストン大学放射線科リサーチインストラクター<br /><br />　<a href="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54423135.html" target="_blank">前回</a>はイギリス医療の根幹とも言えるナショナル・ヘルス・サービス（national health service；NHS）について書きましたが、今回はNHSと併存する「プライベート医療」を紹介します。<a name="more"></a><br /><br />　卒業を迎える直前のある日、医学校に「ファイナンシャル・アドバイザー」と名乗る人たちが数人やって来ました。彼らは医学生を対象とした説明会を開き、卒後の「経済面から見た人生設計」と「資産運用」の仕方について簡単なプレゼンを行い、自分たちの会社の宣伝をしていきました。医学生時代は親からの仕送りや奨学金、バイトで稼いだ小遣いで暮らしてきた私たちにとって、お金のことについて長期的展望に立って考える機会はこれが初めてでした。<br /><br /><strong>ファイナンシャル・アドバイザーが真っ先に説明するのは</strong><br />　興味を持った私はその会社に早速アポイントを取り、ロンドンの金融街シティのど真ん中にそびえ立つビルに出向きました。リチャードという大柄な男性が丁重に出迎えてくれ、1時間にわたって、銀行口座の持ち方、投資の仕方、正しい生命保険・傷害保険の選び方などについて説明してくれた中で、真っ先に話題に上ったのが「プライベート医療保険」でした。<br /><br />　彼の言い分はこうでした。「イギリスにはNHSという無料の医療サービスが存在していますが、すべての人にとって平等なシステムですから、あなたのように医師という社会的地位を持った人でも特別扱いはされません。外来診察や検査、手術を受けるのに、いちいち数カ月から1年も待てますか？　しかし、ご安心ください。このプライベート医療保険に加入すれば、専用のプライベート病院で、NHSと変わらない一流の医療が、待ち時間ほぼなしで受けられるのです」<br /><br />　「なるほど、そういう素晴らしいシステムがあるのなら、ぜひ加入しておきたい」と思わざるを得ませんでした。プライベート医療保険で有名なのは、例えばBUPA（イギリス最大手）が運営する保険です。税金で運営されているNHSと異なり、任意加入するもので、毎月一定額の保険料を支払う必要があります。<br /><br />　毎月の保険料は、加入者の年齢や病歴、自己負担額の設定、選択するオプションなどによって大きく異なります。緊急疾患の診療のみなどカバー範囲が限定的なものだと50ポンド（現在のレートで約6200円）以下と比較的安価ですが、すべての疾患の診断・治療をフルカバーにすると150ポンド（あるいはそれ以上）と高額になってしまいます。<br /><br />　例えば、BUPAには「診断のみカバー」「治療のみカバー」「診断・治療フルカバー」の3種類の保険があります。「診断のみカバー」の場合、開業医からの紹介状があれば、待ち時間ほぼなしで診察・検査を受けることができます。NHSにおける「ルーチン検査は3カ月待ち」という状況を回避するにはもってこいのオプションです。「治療のみカバー」の場合、既にNHS病院で診断は付いているものの、緊急性を要さない治療のためNHSだと手術が数カ月待ちなどという状況を回避するのに適したオプションです。「フルカバー」の場合、診断から治療まですべてをプライベート病院で迅速に行え、治療費制限なしのオプションを選べばどんなに高額な治療であっても受けることができます。しかし、このオプションはかなり高額になるので、よほど懐に余裕のある人でないと加入することはないでしょう。<br /><br /><strong>ハーレー・ストリートでの開業は究極のステータス？</strong><br />　前回から比較の例として示している待ち時間のほかに、NHS医療とプライベート医療とはどう違うのでしょうか？　提供される医療の質という点では、おそらくどちらも同じでしょう。しかし、クオリティ・コントロールという観点からは、NHS医療の方が優れていると思います。<br /><br />　なぜなら、NHS病院でコンサルタント（上級専門医）として患者を診ることができるのは通常、NHS病院で8～10年程度かけて各分野の専門医認定機関（例えば、外科ならRoyal College of Surgeons of England、内科ならRoyal College of Physicians）が定める正規の卒後トレーニングを修了し、コンサルタントになるための資格試験に合格した医師に限られます。この「コンサルタントにつながる正規の卒後トレーニング」を受けられる人数には国が制限をかけているため、医師なら誰でもコンサルタントになれるわけではありません。対して、プライベート医療ではそのような制限はなく、医師免許さえ持っていれば誰でも開業できるからです。<br /><br />　また、NHS病院では、医学生、初期研修医（foundation year doctor）、後期研修医（specialist trainee）、コンサルタントで構成するチーム医療が確立しているのに対して、プライベート病院では、コンサルタントの医師1人と少人数のスタッフのみで診療を行っていることが多いのです。<br /><br />　プライベート医療保険は通常、それ専用の病院を持っています。BUPAなら、ロンドン市内にあるクロムウェル・ホスピタルです。また、劇場街のウエスト・エンドと動物園で有名なリージェンツ・パークとの間の地域には、プライベートクリニックがずらりと並んだハーレー・ストリートという通りがあります。どのクリニックにもきらびやかな金のプレートが掲げられていて、いかにも高級感たっぷりです。イギリスの医師にとって、このハーレー・ストリートで開業することは、キャリアの中で究極のステータスと考えられています。これらのプライベートクリニックは、通常はNHSとは無関係です。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120322_1.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120322_1-thumbnail2.jpg" width="300" height="220" border="0" align="" alt="daichi_20120322_1.jpg" /></a><br />【「ハーレー・ストリート」という名前は「プライベートクリニック」と同義語と言っていいほどです。この通りの両側には、端から端までプライベートクリニックがずらりと並んでいます。】<br /><br />　しかし、例外的ではありますが、NHS医療とプライベート医療が共存する場合があります。私がキングス・カレッジ・ロンドン病院で外科・整形外科研修をしていたときのことです。たくさんの病棟の中で、一つだけ特別な存在の病棟がありました。ガスリー・ウイング（Guthrie Wing）と呼ばれるその病棟はプライベート医療保険の加入者が入院する専用病棟で、基本的に個室となっており、上司のコンサルタントからは「この病棟の入院患者には必ず丁重な応対をするように」と厳しく指導されていました。通常のNHS病棟では、コンサルタントが回診をするのは週1～2回（加えて手術直後）ですが、この病棟の患者に対してはほぼ毎日回診を行う念の入れようでした。私の印象としては、プライベート医療の患者は「大切なお客様」という扱いを受けていました。<br /><br />　ちなみに、当時の私のような初期研修医にとっては、どの保険の患者であっても同じように大事であり、すべての病棟で全力をもって仕事に当たりました。むしろ、プライベート医療の患者を特別扱いしなかったので、彼らからすれば不満だったかもしれません。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120322_2.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120322_2-thumbnail2.jpg" width="320" height="205" border="0" align="" alt="daichi_20120322_2.jpg" /></a><br />【いずれもロンドン南部の町デンマークヒルにあるキングス・カレッジ・ロンドン病院の外観です。左はプライベート医療保険の専用病棟、ガスリー・ウイング（Guthrie Wing）。1937年に建てられたため、れんが造りで古めかしい印象が漂います。内部の設備も相応に古く、プライベート医療と言っても全くプレミアム感はありません。右はNHS病棟のゴールデン・ジュビリー・ウイング（Golden Jubilee Wing）。2002年に竣工したモダンな建物で、内部もとてもきれいで便利に作られており、現代医療に相応しい最新設備が整っています。自分が患者だったら、こっちに入院したいと思っていました。NHS医療は無料ですが、必ずしも施設がプライベート医療に劣るわけではないのです。】<br /><br /><strong>NHS病院で診察し、自分のクリニックを紹介</strong><br />　卒後トレーニングを終えた医師にとって、プライベートクリニックを開業することは大きなステータスとなります。が、同時に、開業する際にはNHS病院でのコンサルタント職に就いていることが事実上の大前提となります。NHS病院でコンサルタントになれるほどの実力と経験を持った医師でなければ、どんなにたくさんお金を投資して高級ホテルのように美しいクリニックを開いたところで、患者は誰も来てくれないからです。<br /><br />　開業したからには、患者を呼び込まないと経営は成り立ちません。そのため、プライベートクリニックの医師たちは自分の売り込みに力を入れています。クリニックのウェブサイトを見ると、各医師の卒業大学、卒後のトレーニング歴、獲得した専門医資格、現在勤めるNHS病院での肩書き、研究歴などがびっしりと書いてあります。私が外科研修を行ったNHS病院に勤めている外科医の1人はハーレー・ストリートで開業していますが、以下のような宣伝の仕方をしています。<br /><br />・専門分野：大腸直腸外科、癌治療、内視鏡手術<br />・取得済資格：医科学士号、医学士号、イギリス外科専門医<br />・勤務先NHS病院：キングス・カレッジ・ロンドン病院（大腸直腸外科コンサルタント）<br />・研究分野：大腸直腸癌の内視鏡的手術、大腸癌スクリーニング、大腸内視鏡、炎症性大腸疾患の診断と治療<br />・経歴：イギリス内で卒後外科研修を修了後、アメリカ南カリフォルニア大学およびメイヨークリニック（フェニックス）にて大腸直腸癌の内視鏡的手術の専門トレーニングを受け、2008年より現職。<br /><br />　医学生時代、外科の実習中に外来クリニックを見学する機会がありました。そのときの指導医（クリニックを開業する一方で大学病院にも勤務している）は、大学病院に来て消化不良を訴える患者に上部消化管内視鏡検査を勧めるとき、次のように話していたのをよく覚えています。<br /><br />　「あなたの症状からすると、おそらく胃あるいは十二指腸に炎症や潰瘍がある可能性があり、内視鏡ですぐに検査する必要があります。ところで、あなたはプライベート医療保険には加入されていますか？　加入されているなら、朗報があります。<br />　もし、この検査を当大学病院においてNHS保険で行うとなると、通常3カ月程度の待ち時間がありますが、私のプライベートクリニックに来ていただければ、来週にでも検査することができます。検査するのはどちらの病院でも私なので、心配はご無用です。いかがでしょうか？」<br /><br />　なるほど、こうやってNHS病院から患者を呼び込むわけか…。この場合、患者がプライベート医療保険に加入していれば断る理由もないですし、お互いにとってwin-winの状況が生まれるのです。<br /><br />　開業後、プライベート診療が無事に軌道に乗ってくると、医師の収入は大幅にアップします。医学生時代にお世話になったキングス・カレッジ・ロンドン病院神経内科のポロック先生は、イギリス南東部のケント州でプライベートクリニックを週1日だけ個人で開業していて、毎週木曜日は大学病院に来ず、プライベート診療に力を注いでいました。あるとき、たまたま給料の話になり、先生はざっくばらんにこう言いました。<br /><br />　「君たちも、頑張って卒後トレーニングを終えたあかつきには、私のように開業できるようになる。そうすると、給料が最低でも倍になるぞ。私のプライベートクリニックでは、患者1人当たり、40分くらいの診療で250ポンド（当時のレートで5～6万円程度）の収入になる。1日10人診察すれば、それだけで2500ポンドだ。これは私が病院（キングス・カレッジ・ロンドン病院はNHS病院です）からもらっている1週間分と同じくらいの額なのだよ」。<br /><br />　「週1日の仕事でNHS病院1週間分の給料なんてすごい！」。当時の私は衝撃を受けました。<br /><br />　このように、イギリスのプライベート医療は、かかる患者にとっても診療する医師にとっても「ステータスシンボル」なのです。必然的に、プライベート医療にかかれない人たちとの間には「医療格差」が生じてしまうわけですが、それでもアメリカのように「保険料が払えないから医療にかかれない」という状況は生じません。たとえお金がなくても、NHSという「一流」の医療が受けられるのです。すぐに受けられるという保証はありませんが…。<br /><br />　逆に、努力してプライベート医療保険料を払えるだけの収入を得られるようになった人は、NHSの待ち時間を大幅にカットできるすべを手に入れることができます。2010年の時点では、何らかのプライベート医療保険に加入しているのはイギリス国民の10％未満とされています[1]。<br /><br />　医療格差はないに越したことはないと思いますが、現状においては、NHSだけですべての患者を診ることは財政的にも時間的にも不可能です。NHSとプライベート医療が併存することで、懐に比較的余裕のある患者をプライベートに回すことは、NHSの負担を軽減することになり、保険料を払えない（または払わなくてよい）患者が「無料」で医療を受けられるシステムを維持できるのです。<br /><br />　とはいえ、NHSを今後も維持していくには、財政の合理化を続けなければなりません。そのため、経営サイドは時に現場の意向とは相反するような厳しい方針を打ち出すこともあります。次回は、私がキングス・カレッジ・ロンドン病院で初期研修中に体験した、「経営サイドと現場医師の対立」について紹介したいと思います。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120322_3.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120322_3-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="daichi_20120322_3.jpg" /></a><br />【筆者はキングス・カレッジ・ロンドン病院で外科・整形外科研修を行いました。この写真は、ガスリー・ウイングのある建物内のドクターオフィスにて、同期の整形外科研修医と撮影したものです。】<br /><br />【References】<br />1）Key Note Media Centre: UK residents feel loyalty towards the NHS….<br /><a href="http://www.keynote.co.uk/media-centre/in-the-news/display/uk-residents-feel-loyalty-towards-the-nhs/?articleId=531" target="_blank">http://www.keynote.co.uk/media-centre/in-the-news/display/uk-residents-feel-loyalty-towards-the-nhs/?articleId=531</a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54580217.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54580217.html</link>
<title>「この人は昇進すべき？」、周囲のスタッフが投票</title>
<description>佐竹典子カリフォルニア大学デービス校Cancer Center小児血液腫瘍科アシスタントプロフェッサー　1997年、私はロサンゼルス小児病院へポスドクとして研究留学しました。その後、こちらで出会ったアメリカ人と結婚したため、USMLE（United States Medical Licensing Examination）を受けて臨床研修をやり直しました。オハイオ州のライト州立大学小児病院で2年間（fast track）のレジデントを経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校（U..</description>
<dc:subject>佐竹典子の「physician-scientistになりたくて」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-31T18:21:22+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
佐竹典子<br />カリフォルニア大学デービス校Cancer Center<br />小児血液腫瘍科アシスタントプロフェッサー<br /><br />　1997年、私はロサンゼルス小児病院へポスドクとして研究留学しました。その後、こちらで出会ったアメリカ人と結婚したため、USMLE（United States Medical Licensing Examination）を受けて臨床研修をやり直しました。オハイオ州のライト州立大学小児病院で2年間（fast track）のレジデントを経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校（UCLA）で3年間、小児血液腫瘍科のフェローシップをしました。長かった研修をようやく終え、2007年よりカリフォルニア大学デービス校（UC Davis）の小児血液腫瘍科のアシスタント・プロフェッサーをしています。<a name="more"></a><br /><br />UC Davisはサンフランシスコから北東へ140kmほど入ったところにあります。農学部と獣医学部が強いことで知られ、カリフォルニアワインの産地として有名なナパ郡の近くに位置していることもあって、全米でも珍しいワイン学科もあります。<br /><br /><strong>physician-scientist を生み出すサポート</strong><br />　UC Davisへ来てもうすぐ4年になりますが、私はphysician-scientistを目指して研究を進めています。physician-scientistとは、グラント（研究費）を獲って自立して研究をする医師のことです。基礎でもトランスレーショナルでも臨床でも、研究内容は問いません。ただし、独立した研究者になるためには、相当の時間を研究に当てる必要があります。<br /><br />　アメリカでは、physician-scientistを育てるためのサポートシステムが用意されています。例えば、“Career Development Award”は若手の研究者（MD〔doctor of medicine〕やPhD）が対象の3～5年間の研究費（funding）で、国立衛生研究所（NIH）や、Howard Hughesなどの個人財団が資金を提供しています。若手の研究者に対して存分に研究に取り組む機会を与え、独立した研究者（医師の場合はphysician-scientist）に成長させることを目的にしています。私もCareer Development Award獲得のために、あちこちに申請を出しています。<br /><br />　Career Development Awardの特徴は、研究費だけでなく給与までサポートしてくれることです。その代わり、就業時間の75～80％を研究に当てるように約束させられます。したがって、大学のサポートが欠かせません。<br /><br />　アカデミックな大学や、うちくらいの規模の大学でも内科など大きな科であれば、お金やマンパワーがあり、physician-scientistを目指す医師を臨床から外して研究に専念させる余裕があります。ところが、私の所属する小児科のように小さくて赤字の部門では、そういったことは容易ではありません。にもかかわらず私は、研究上のボスと医学部長の多大なサポートにより特例で臨床から外してもらい、90％の時間を研究に費やすことができる環境を整えていただくことができました。以下、ここに至るまでの経緯の前に、背景としてUS Davisの人事システムをまず簡単に説明します。<br /><br /><strong>UC Davisのユニークな勤務形態―臨床？研究？それとも両方？</strong><br />　まず、UC Davisの勤務医の雇用体系は大まかに3種類に分けられます（表）。なお、UC Davisのシステムは非常にユニークなもので、他の大学には当てはまらないことをお断りしておきます。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/noriko_20120333.gif" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/noriko_20120333-thumbnail2.gif" width="320" height="139" border="0" align="" alt="noriko_20120333.gif" /></a><br />【表　UC Davisの勤務医の雇用体系】<br /><br />　フェローシップを終えた時点で雇われる場合は、ほとんどが表中のＡかＢの立場となります。研究を続けたい人はＢの立場を選びます。私もその一人です。ところが、現在カリフォルニア州は巨額の財政赤字に陥っているため、去年1年間は私たちの給与も減らされ、研究を続けたい医師もなかなか受け入れてくれません。うちの小児科では最近、Ｂの立場の医師の臨床と研究の比率が8対2に変更されました。「研究よりも臨床で収入を増やせ」という方針です。<br /><br />　臨床科では、臨床による収入に頼るところが当然に大きいのですが、うちの小児科の場合、平均収入が実際に保険請求した額の約4割になってしまうというから、びっくりです（ここでは詳細を省きますが、一言で言えば、医療保険制度を含むアメリカの社会制度の矛盾からです）。これでは赤字になるのも無理はありません。ちなみに、「約4割」という比率はうちの小児科に限ったことではなく、全国平均だそうです。<br /><br /><strong>学生、レジデントからの評価も昇進に影響</strong><br />　次に、昇進制度を説明します。Ａの場合は、とにかく臨床に励んで病院に利益をもたらしていれば昇進できます。Ｂの場合は、論文を書かなければ昇進できません。ただし、2～3割しか割けない研究時間でできることは限られていますから、ケースリポートでよいことになっています。この3年で私は1本の総説と4本のケースリポートを発表しました。<br /><br />　Ｃの場合は最もリスキーで、研究論文を書いて自分の給与をカバーする研究費を獲り続けなければ、昇進はおろか、給与がゼロになる可能性があります。実際に、Ｃの立場ではやっていけなくなり、Ｂに変更した人がいます。現在のような財政難の事態にあっては、そのように立場を変えたくともポジションがない場合は、解雇ということになるのだと思います。<br /><br />　ちなみに、UC Davisではありませんが、研究費がなくなったために解雇された人を私は今までに2人知っています。そのうちの1人は、あちこちで働き口を探した結果、今は別の州の大学でラボを再開して研究を続けることができています。解雇寸前の人たちも何人か見てきましたが、寄付に頼ったり借金をしたりして乗り切っていたようです。アメリカでは桁違いのお金持ちがいるため、寄付が大きな力になります。<br /><br />　UC Davis では2～3年に1度、昇進のチャンス（merit increase）があります。そのときには、審査対象者の履歴書、推薦状、personal statementをファイルしたものが科のスタッフ医師全員に配られ、対象者が昇進すべきかどうかについて投票が行われ、評議委員会にかけられます。<br /><br />　履歴書には、臨床・研究・教育にどれくらい時間を割いたかということや、医学部の学生とレジデントからの評価が含まれています。臨床や教育の当番のたびに、その人の臨床能力や教育能力に対して5段階の評価がなされ、その総合得点に加えて評価者のコメントも添えられます（評価は無記名です）。例えば、「患者のことをよく考えている」「仕事が速い」「こまめに指導してくれる」といったことです。私は今ちょうど、ここへ来て2度目の昇進過程の最中にいて、personal statementを書いているところです。<br /><br />　スタッフの職位は、大きく分けて3種類（アシスタント・プロフェッサー、アソシエイト・プロフェッサー、プロフェッサー）ですが、それぞれの中で細かく段階が分かれており、給与も異なります。例えば、アシスタント・プロフェッサーは7段階に分かれており、私は現在、その第3段階から第4段階へステップアップしようとしています。<br /><br />　何か特別な成果を挙げれば、飛び級もできます。論文をたくさん書いた、学生の教育に多大な労力を注いだ、社会に顕著な貢献があった―といったことです。私の1年前にアシスタント・プロフェッサーとして小児科に雇われた人は、どんどん飛び級して、2年くらいでアソシエイト・プロフェッサーにまで昇進しましたが、研究する時間を思うようにもらえないということで、違う大学へ移ってしまいました。<br /><br />　一度、彼に飛び級の秘訣を聞いたところ、「学生の教育係になって、かなりの時間を割いたことが評価された」と語っていました。その一方で、彼は年に3本くらいずつ、臨床研究の論文をfirst authorとして発表もしていました。<br /><br />　なお、テニュア（終身雇用資格）はアソシエイト・プロフェッサー以上の者に与えられます。これがあると給与は保証され、よほどのことがない限り解雇されることはありません。<br /><br /><strong>ありがとう！ my boss</strong><br />　私もＢの立場として、この3年の間、研究を進めてきました。研究に割ける時間は限られていますから（2～3割）、朝早くから夜遅くまでオンコールのときも実験を続け、グラントに応募しまくりました。その結果が少しずつ実を結び始め、いくつかのグラントを獲ることができました。そうしたこともあって、私のボスが「今、彼女に最も必要なのは、もっと研究する時間を取れるようにすることだ」と医学部長にかけ合ってくれました。<br /><br />　また、ボスと医学部長が「彼女の給与の一部をサポートするので、臨床から少し外すように」と小児科の主任に交渉してくれました。そのおかげで、今年の1月からは90％の時間を研究に当てることができるようになりました。その代わり、自分でグラントを獲って給与をカバーしていくことが必要になりました。<br /><br />　physician-scientistとして自立するためには、かなりの力を研究に注ぐ覚悟が必要です。なにしろ、研究を専門にしているPhDと競争するのですから大変です。メンターをはじめ、周りのサポートが欠かせません。優れた共同研究者を見付けることも大切です。私も初めてリサーチアシスタントを雇いました。<br /><br />　限られた予算に応じた実験計画を立てることも常に考えていかなければなりません。ポスドクの頃のように、ただ実験をしていればいいというわけにはいかないのです。大きな目標に向かって、毎日いろいろなことを学びながら突き進んでいます。wish me luck!

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54453722.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54453722.html</link>
<title>肥満児が闊歩するベトナムの小児科</title>
<description>寺川瑠奈ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン小児科医　はじめまして。ベトナムのファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミンで小児科医をしている寺川瑠奈と申します。　日本で今も震災の影響下で辛い思いをされている方々、被災地のために直接・間接にできることを頑張っている方々に、心から応援の気持ちをお送りします。こちらベトナムでもチャリティーバザーなどが開かれています。被災地を思うすべての人たち（もちろん日本人に限りません）の気持ちがベトナム赤十字を通して届けられてい..</description>
<dc:subject>寺川偉温・ 瑠奈の「シンチャオ、ニャッバン！サイゴンの街医者だより」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-26T15:25:48+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
寺川瑠奈<br />ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン小児科医<br /><br />　はじめまして。ベトナムのファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミンで小児科医をしている寺川瑠奈と申します。<br /><br />　日本で今も震災の影響下で辛い思いをされている方々、被災地のために直接・間接にできることを頑張っている方々に、心から応援の気持ちをお送りします。こちらベトナムでもチャリティーバザーなどが開かれています。被災地を思うすべての人たち（もちろん日本人に限りません）の気持ちがベトナム赤十字を通して届けられていることと思います。<a name="more"></a><br /><br />　前回までに夫の偉温がお伝えしたように、私たちがサイゴン（ホーチミン）へ来て2年と少しが経ちました。ここへやって来た当初は、当時1歳8カ月だった子どもの生活環境を落ち着かせることを最優先に考えましたので、私は仕事をしていませんでした。また、仕事を再開してすぐに次の妊娠が分かって産休・育休を挟んだこともあり、私自身がこちらで仕事をした期間はまだ1年と少しになります。<br /><br />　働き始めの頃は、慣れない英語での診察に緊張して、ただでさえ大して上手くない英語がさらにぎこちなくなり、そんな私を不審そうな目で見る欧米人のお母さんの視線を受けて、ますますしどろもどろに…。こんなことを繰り返す、トホホな仕事ぶりでした。「患者さんが何を言ったか聞き取れなかったけれど、大笑いしているので、どうやらジョークを言ったらしい。とりあえず、笑っておこう」なんてことも。<br /><br />　日本人の患者さんが来ると「ああ、言葉が通じるって、なんて楽なんだ！」と、ほっとしたものです（今でも変わりませんが）。最近では、「何とか以前より緊張せず、スムーズに診察できるようになってきたかな？」とは思っています。あくまで自己評価ですが…。<br /><br /><strong>おしっこまみれで泣き叫ぶ巨大児、診察室は阿鼻叫喚</strong><br />　さて、そんな私が日々の診療の中で、ベトナム人の子どもたちについて感じることがあります。それは「とにかく、巨大！」ということ。もしかすると、一般的なベトナムのイメージからすると、ちょっと意外に思われるかもしれませんね。私がクリニックで診察したり健康診断で診るような子どもたちの家庭が標準より裕福だという前提がまずあり、比較的裕福なベトナム人家庭では「とにかく太っていることはいいことだ」と固く信じられている節があるように思います。<br /><br />　ベトナムの医療従事者の間では、子どもたちの肥満を危ぶむ声が数年前から出てきているようです。「子どもに過剰に食べさせるのが愛情だと、親が勘違いしている」とベトナム人医師がコメントしている記事を、どこかで読んだ記憶があります。ただ、診察している限りでは、肥満に起因する将来のリスクなどが広く知られているとは感じられません。また、診察室では納得したとしても、家に帰るとおばあさんや近所のおばさんたちの意見の方が強く、結局は元に戻ってしまうパターンが多いようにも感じています。<br /><br />　驚くことに、2歳で体重20kg、4歳で30kgという子どもたちは、ざらにいるのです！　おおざっぱなデータですが、2009年に行われた<a href="http://www.viet-jo.com/news/social/090925081430.html" target="_blank">ホーチミン市栄養センターの調査</a>では、市内の2つの小学校児童2500人のうち、30％が肥満（BMI30％以上）だったということです。 <br /><br />　乳児健診をしていても、「赤ちゃんの体重が増えない」という不安を最も伝えてくるのはベトナム人のお母さんです。実際のところ、ほとんどの場合で十分な体重になっているのですが…。ベトナムの巨大な子どもたちは、体格こそ大きいのですが、とにかくプヨプヨと脂肪ばかりが付いていて、運動をあまりしたがらず走ったりもしない。そのせいか、歩き方がペタペタしている印象があります。<br /><br />　診察の際、ベトナム人の親御さんは患児をしっかり押さえてくれることが少ないので、巨大な子どもが診察を嫌がって泣いて暴れたり、泣き過ぎておしっこを漏らしたりすると、もう大変。涙に鼻水、おしっこまみれで泣き叫ぶ巨大児、さらに大きな声であやそうとする親御さん（でも、押さえてはくれない）で、診察室は阿鼻叫喚の絵図となります。ちなみに、ベトナムでは紙おむつが高価であることと年中暑いせいか、1歳を過ぎるとおむつを外してしまうことが多いのです。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/runa_20120315.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/runa_20120315-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="runa_20120315.jpg" /></a><br />【中央右の坊主頭の子どもは当院のベトナム人スタッフの子で、2歳半で体重が23kgあるそうです。隣に逃げ腰でいるのはわが子。3歳10カ月、15kgです。】<br /><br /><strong>ステータスとしての肥満児、やせた孤児院の子ども…</strong><br />　ベトナムで巨大な子どもたちが多いのは、これは私の考えですが、やはりこの国がまだ発展途上にあるということとも大きく関係していそうです。ここ10年ほどで、ベトナムの人々は急激に豊かさを享受できるようになり、「太っている」ことが一種のステータスのようになっているのです。これみよがしのゴテゴテしたゴールドのアクセサリーを身に着けるのと同じように…。<br /><br />　また、4～5歳頃まで粉ミルクを飲ませることが普通になっているのも要因の一つでしょう。ミルク以外の食事も、お粥のようなドロドロとしたものが多いようです。2歳児の食事が「お粥1日2回、ミルク1日4回」ということも多く、結果として子どもたちはプクプクと太っていく上に、噛む習慣を身に付けるのに非常に苦労することになります。背景にはこれまでの食糧事情もあってのことなのでしょうが。<br /><br />　身長1mに届きそうなでっぷりとした2歳児が、のしのしと歩きながら哺乳瓶でミルクをラッパ飲みにしている姿には、いまだに違和感を覚えます。<br /><br />　そんな子どもたちの将来の健康を守るため、ことあるごとにベトナム人のお母さんたちに食事指導をするのですが、率直な感想を言うと、これはもう至難の業です。同僚のイスラエル人小児科医も、「残念ながら、心から納得して子どもの食事に対する考え方を変えてくれたベトナム人のお母さんは、おそらく今まで一人もいなかった」とこぼしています。<br /><br />　もちろん、ベトナム特有の事情もあってのことですので、それをただ否定して、こちらの考え方を一方的に押し付けても、うまくはいきません。難しいことですが、お母さんたちの心情も考えつつ、気長にやっていくしかないと思っています。<br /><br />　肥満の子どもたちが増えている一方で、メディカルチェックのために孤児院からやって来る子どもたちの体は本当に小さいという現状もあります。食事はやはりお粥とミルクが主なのですが、量や内容の違いなのでしょうか。体重はとても軽く、表情も乏しく、言葉の発達は一様に遅れています。このような子どもたちを見ると、この国に現れてきている格差の大きさをひしひしと感じずにはいられません。<br /><br />　ベトナムはいろいろな意味で刺激的です。今後も私が普段感じていることをお伝えしていこうと思っていますので、お付き合いいただけたら幸いです。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54453576.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54453576.html</link>
<title>「公式」なき時代の若人に贈る3つのアドバイス</title>
<description>市瀬　史ハーバード大学医学部アソシエイト・プロフェッサーマサチューセッツ総合病院麻酔集中治療科・麻酔医　このブログの影響か、最近、日本の医学生や若い医師たちからキャリアの相談を受ける機会が多くなりました。細かい内容はそれぞれ違いますが、だいたいのところ、日本での医師・医学者としての将来について不安を抱いている人が多いようで、私のように「アメリカに臨床留学して医師・医学者としてやっていくにはどうすればいいか？」という質問をよくされます。</description>
<dc:subject>市瀬史の「医者のキャリアと”一生の仕事”」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-25T15:13:25+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
市瀬　史<br />ハーバード大学医学部アソシエイト・プロフェッサー<br />マサチューセッツ総合病院麻酔集中治療科・麻酔医<br /><br />　このブログの影響か、最近、日本の医学生や若い医師たちからキャリアの相談を受ける機会が多くなりました。細かい内容はそれぞれ違いますが、だいたいのところ、日本での医師・医学者としての将来について不安を抱いている人が多いようで、私のように「アメリカに臨床留学して医師・医学者としてやっていくにはどうすればいいか？」という質問をよくされます。<a name="more"></a><br /><br /><strong>こうすれば成功できる、そんな「公式」はない</strong><br />　先日も、短期留学中の日本の医学生が、わざわざ私のラボまで同じような相談をしに来ました。こういう場合に必ず繰り返される受け答えがあります。<br /><br />医学生 「先生は何年くらいアメリカにいらっしゃるのですか？」<br />筆者 「もう、かれこれ16～17年になるかな」<br />医学生 「ひえ～、すごいですね。ということは、もう、日本には帰らないということですね？」<br />筆者 「いや、帰るかもしれませんよ、いつかは。今のところ、特に予定はないけれど」<br />医学生 「えっ？　そ、それはどういうことですか？」<br />筆者 「だって、5年先のことなんて、誰にも分からないでしょ」<br />医学生 「…」<br /><br />　そのときもこんな調子で、自分が暗中模索しながらやってきた経験や、他の人から聞いた話などを交えて1時間ほど相談に乗りました。しかし、その学生は何となく煮え切らないような顔をして帰っていきました。<br /><br />　相談を受けた直後は忙しくて、彼の反応について考える時間がなかったのですが、後から振り返ると、「こうすれば私のようになれるという『公式』のような答えを、彼は期待していたのかもしれない」と思い当たりました。あるいは、アメリカでこんなやり方をすれば、こういったキャリアプランが広がるんだよ、という未来の保証が欲しかったのかもしれない。しかし、残念ながら、そんな「公式」や「保証」はありません。<br /><br />　私が学生の頃までは、日本の医学界で活躍している人といえば、アメリカで基礎研究に数年励み、大きな業績を残して凱旋帰国し、一流大学医学部の教授になった人。またはアメリカで数年の臨床研修を経て最先端の医療技術を日本に輸入した人たちでした。ここには非常に分かりやすい「公式」がありました。<br /><br />　しかし、日本の医学界を取り巻く情勢は大きく変わってきました。新臨床研修制度がスタートし、医局制度の存続が危ぶまれるなど、日本の医師のキャリアパスも大きく変わりつつあります。以前の「公式」の有効性もたいぶ怪しくなってきました。<br /><br />　もちろん、アメリカの医療も例外ではありません。私がレジデントを始めた頃に比べると、医師を取り巻く環境はずいぶん変わりました。それも概して「やりにくい」方向に変わってきたように感じます。例えば、私がレジデントを終えてフェローになったばかりの頃は、研究をしたいという希望があれば、誰にでも場所と時間が与えられました。今では、自分で研究費を獲得してこない限り、週に1日の研究日を取ることすらままなりません。アメリカ国立衛生研究所（National Institutes of Health； NIH）の予算も減って、20年前ならば30～40％だった研究費獲得率は10％以下にまで落ち込んでいます。<br /><br />　臨床現場を取り巻く環境も変わってきています。例えば、私が勤務するマサチューセッツ総合病院の心臓外科の手術室には、私たち心臓麻酔科医の手伝いをする経験豊かな麻酔科専属の看護師が8人ほどいましたが、経費削減のため、2年ほど前に全員が辞めさせられました。その看護師たちがしていた仕事は、もちろんレジデントや私たちスタッフがすべて肩代わりすることになりました。病院全体でも看護師の数が1割ほど減らされました。この人員整理があって、医師の給与は今のところ大きく下がってはいませんが、いわゆる「オバマケア」の影響で医師の収入もこれから大きく減少すると言われています。<br /><br />　国の借金がかさんで米国債の格下げにまで至った今、突出する医療費に対する風当たりは今後さらに強くなっていくことが予想されます。ここまで状況が変わりつつある現在、私の経験談を話しても、これからキャリアを積み上げようとしている若い人たちにはピンとこないのが当たり前でしょう。<br /><br />　時代がどうあれ、自分のやりたいことが分かっている場合は、それに打ち込めばいい。しかし、それが分かっているようなら、キャリアで悩むこともなければ、私のところに相談になど来ないでしょう。もっとも、自分のキャリアに悩むこと自体は、いいことだと思います。それは現状に満足していないことの裏返しだからです。現状に満足しきって危機感をなくしてしまったら、急速に変化する世界の中で、進歩どころか現状維持すら危うくなります。とはいえ、危機感だけでも疲れてしまうでしょう。<br /><br />　そこで、私のところにキャリアの相談に来る医学生や若い医師たちには、あえて次の3つだけアドバイスすることにしています。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/fumito_20120315.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/fumito_20120315-thumbnail2.jpg" width="240" height="180" border="0" align="" alt="fumito_20120315.jpg" /></a><br />【2011年1月、ベルギーのルーベン大学にてレクチャーする筆者です。】<br /><br /><strong>アドバイス1：本当にやる気があれば、臨床留学はできる</strong><br />　「アメリカに臨床留学して、こちらで医師になれるでしょうか？」「いいところのポジションを獲るのは難しいのでしょうか？」という質問をよく受けます。もちろん簡単ではありませんが、本当にやる気があれば、必ず道は開けます。アメリカで医師になるなど、やる気さえあれば、実は大して難しいことではありません。要は、本当にやりたいと思っているかどうかです。その覚悟を聞き返すと、たいていの人は口をつぐんでしまいます。この決意ができるかどうかが、臨床留学で成功するかしないかの分かれ目になると言っても過言ではありません。<br /><br /><strong>アドバイス2：人と同じことをしない― Make a difference ! ―</strong><br />　私がキャリア選択の上で常に守ってきたことを一つ挙げるとすれば、それは「人と同じことをしない。自分だけにできることを探す」ことでした。自分だけにできることを見つけるのは難しいことなのですが、私はへそ曲がりなので、人と同じことをしないのは簡単です。人と同じことをしないよう心がけているうちに、自分にしかできないことが見つかれば儲けものだと考えればいいのです。<br /><br />　私の好きな英語の表現に“make a difference”というフレーズがあります。直訳すれば「違いを作り出す」ということになりますが、「何か大きな仕事をして現状を変える、改革する」というニュアンスがあります。人と同じことをやっていては“make a difference”することはできません。私のところに進路の相談に来る人たちには、いつも、“make a difference” を考えて進路を選んでほしいと言っています。<br /><br /><strong>アドバイス3：野心を持つ</strong><br />　クラーク博士の“Boys, be ambitious”という言葉は、日本では美しく訳され、「少年よ、大志を抱け」というあまりにも有名なフレーズになりました。しかし、数学者の藤原正彦先生も著書『数学者の言葉では』の中で指摘している通り、ここで言う“ambitious”とは「野心的」と直訳した方がいいでしょう。「大志」と言うと何となく高尚な感じがしますが、「野心」ならば何でもありです。金でも地位でも名誉でも。どんなことであれ、大きな仕事をするには野心が必要です。野心がないと、人は重箱の隅をつつくような仕事で満足してしまいがちだからです。<br /><br />　昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、坂本龍馬と岩崎弥太郎は人並み外れて野心的な人物として描かれていました。龍馬のような人物がいて初めて明治維新が可能になったように、重箱の隅をつついていても大きなことはできません。クラーク博士も本当はそういうことを言いたかったのではないのかと勝手に想像しています。<br /><br />　「公式」が成り立たなくなったのは医師のキャリアだけではありません。原発の「安全神話」は崩れ去り、「アメリカ中心」の世界秩序も既に大きく変わりつつあります。こんな時代だからこそ、皆さんも危機感と野心を持って、新しいことに挑戦し続けてください。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54423135.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54423135.html</link>
<title>ルーチン検査・手術は18カ月待ち！&lt;br /&gt;</title>
<description>―イギリス医療を支えるナショナル・ヘルス・サービス（NHS）林 大地ボストン大学放射線科リサーチインストラクター　今回は、この連載のタイトルの一部にもした「誰もが無料で受けられる」というイギリスの医療制度について、私の医学生・研修医時代の経験を踏まえて紹介したいと思います。</description>
<dc:subject>林大地の「誰もが“無料”で医療を受けられる国、イギリス」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-22T20:58:18+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
―イギリス医療を支えるナショナル・ヘルス・サービス（NHS）<br /><br />林 大地<br />ボストン大学放射線科リサーチインストラクター<br /><br />　今回は、この連載のタイトルの一部にもした「誰もが無料で受けられる」というイギリスの医療制度について、私の医学生・研修医時代の経験を踏まえて紹介したいと思います。<a name="more"></a><br /><br /><strong>「えっ、日本では病院で会計するの？」―日英の医療制度の違い</strong><br />　イギリスの医療制度が日本のそれと似ている点は、「国民皆保険」を前提としているところです。定職を得て給与をもらっている人については、そこから「保険料」に相当する税金が天引きされる仕組みになっています。これはnational insurance contributions（筆者訳：国民健康保険負担金）と呼ばれています。日本の場合、国民健康保険組合以外にも様々な保険者が存在しますが、イギリスでは基本的にはナショナル・ヘルス・サービス（national health service；NHS）一種のみです。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120313_1.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120313_1-thumbnail2.jpg" width="300" height="224" border="0" align="" alt="daichi_20120313_1.jpg" /></a><br />【ロンドンの中心部、4月にロイヤルウェディングが執り行われたウエストミンスター寺院の近くに位置する聖トーマス病院。筆者はここで医学生時代の臨床実習を行いました。「無料」の医療が、年中無休24時間、提供されています。青地に白文字の「NHS」ロゴは全国共通のものです。】<br /><br />　子どもや学生、無職の人、定年後の高齢者などは、national insurance contributions、および所得税を納める必要はありません。それは外国人であっても同じことです。私も医学生時代は税金を払っていなかったわけですが、医学校を卒業して研修医になり、給料をもらい始めてからは、税金を納めるようになりました。「この税金は、自分自身の医療をカバーするだけでなく、税金を納めない、または納められない人たちの医療をもカバーしているのだ」と思うと、イギリス社会の一員としての責任を感じたものでした。私が初期研修医だったときは、給与から約9％がnational insurance contributionsとして、約15％が所得税（income tax）として天引きされていましたが、税率は年齢や収入によって異なります。<br /><br />　さて、日本とイギリスの医療制度の大きな違いの一つは、医療行為を受ける時点において、イギリスでは患者負担額がゼロである点です。これを英語では“free at the point of healthcare delivery”と言います。日本では患者に応じて自己負担の割合が決まっているし、アメリカで医療行為を受けるときにも10～20ドル程度の“co-payment”（加入している保険の契約内容によって異なる）を患者が支払います。<br /><br />　例えば、イギリスで近所の開業医（general practitioner；GP）にかかったとします。診察を受けて、薬の処方箋をもらい、クリニックの受付に戻ると、そこに「会計」というものは存在しません。必要があれば次回の診察の予約を取りますが、そうでなければ後はもう帰るだけです。薬代はかかりますが、それはGPに支払うのではなく、薬局で薬を購入するときに薬局に支払います。この仕組みは大きな大学病院であっても同じです。<br /><br />　ですから、私が研修医としてキングス・カレッジ・ロンドン附属病院で勤務していた頃は、「会計伝票」というものを見たことがなく、考えたこともありませんでした。患者が病院でお金を支払う必要はないのですから、医師が現場で行う医療行為に会計伝票が逐一ついて回ることはないというのが当たり前だったのです。実際には、患者ごとにかかった医療費は計算されていますが、病院の事務スタッフがすべて処理するもので、医師や患者の目に直接触れることはありませんでした。研修中、ホームレスや不法移民の患者を数多く担当しましたが、そうした患者たちの医療費を心配する必要が全くなく、医療行為に集中することができました。<br /><br />　イギリスでの卒後研修を経た私が日本に来てまず驚かされたのは、患者が外来を受診した後、または退院時に「会計」を済ませなければならない点でした。東京で研修を始めて間もない頃は、イギリスにいたときの癖が抜けず、「患者がお金を支払う必要がある」という考え方になじめませんでした。<br /><br />　例えば、薬剤の点滴投与や創傷の処置などを行った際に、使用した備品の記録を会計伝票に添付するのを忘れ、看護師や事務スタッフからお叱りを受けることがよくありました。何度か、担当患者から「会計伝票ができていないから退院できないと言われた。いつまで待たされるのか？」と問い合わせを受けたこともありました。当然ながら、平身低頭で事務手続きの遅れを詫びましたが、こんなことはイギリスではあり得ないことでした。<br /><br />　また、「日本で病院にかかるのには、ずいぶんお金がかかるんだなあ」とも感じました。初診なら「初診料」がかかるし、救急外来を受診したら「救急受診料」（あるいはそれに準ずるもの）が必要です。はたまた、うっかり保険証を所持していなかった場合は、いったん10割負担しなければならないのが原則です。申請すれば自己負担分を控除した額が後で還付されるにしても、急病での緊急受診などを考えると、「イギリスのように『受診時に支払うお金はゼロ』と最初から分かっている方がずっと安心だなあ」と思ったものです。（もっとも、この考えはアメリカに来てから変わりました。「救急車が無料で、いつでもかかりたい医師にかかることができ、保険証を忘れても受診させてくれる日本は、なんてありがたいんだ」と思うようになりました）<br /><br /><strong>タダより高いものはない？</strong><br />　日英米の医療制度を比較してみると、病気になったときに一番安心して病院に行けるのはイギリスの制度だと思います。少なくとも費用の面では。なんと言っても「無料」ですから。しかしながら、「タダより高いものはない」と言うべきか、財源確保の難しさから問題点も数多くあります。<br /><br />　第1の問題点は、大学病院での外来診察や検査の待ち時間がとにかく長いことです。特に、緊急性の低いルーチン検査や手術の場合、18カ月待ち！ などという冗談のような状況がしばしば起こります。<br /><br />　私が外科研修中に外来を担当したときのことです。比較的小さな鼠径ヘルニアを主訴とする60歳の男性がGPから紹介されてきました。上司とも相談の上、日帰り手術を行うことにして、予約票を記入し始めました。そこには「オペの緊急度は？」という項目があり、「Routine」「Soon」「Urgent」の3つの中から1つを選ばなければなりません。<br /><br />　その時点では嵌頓のリスクは低いと判断しましたが、“Routine”にしてしまうと18カ月待ちだろうと推測し、“Soon”にチェックして提出しました。その後、オペ部門に確認したところ、この患者の手術が12カ月後に予約されたと言われて、「なるほど、これがNHSか…」と複雑な気持ちになったものでした。<br /><br />　ところが、その患者は手術予定日よりはるかに前、外来受診から2カ月過ぎた頃、嵌頓ヘルニアで緊急入院・手術となりました。結果から言えば、ヘルニアの治療は診断から2カ月の時点で行われたことになりますが、嵌頓して救急車で運ばれてきたわけですから、大変な苦痛だったと思います。日本だったら、診断が付き次第すぐに手術を行っているでしょう。このような残念なケースは、イギリスのNHSならではと言えます。癌のスクリーニング目的の内視鏡検査を1年以上待っているうちに癌が進行していた、ということも起こり得ます。<br /><br />　第2に、本当に必要だと判断できる検査や治療しか行えないということです。<br /><br />　そのため、現場にいる医師は、高額な検査や治療は極力避けるように指導されます。例えば、CTやMRIなどの画像検査です。特に、造影剤を使ったMRIは画像検査の中でも特に高額の部類に入りますが、こうしたものは適切な理由がない限りオーダーが通りません。オーダーが適切であるかどうかは、事務方ではなく画像診断医が判断します。<br /><br />　また、高額治療と言えば慢性腎不全に対する人工透析や腎臓移植ですが、2005年の統計では、イギリス全土で約2万3000人が透析治療を、約1万8000人が腎臓移植を受けています[1]。透析は1人当たり年3～4万ポンド、移植は約1万7000ポンドかかり、これらの治療費だけでNHS全予算の3％を占めています[2]（1ポンド＝130円程度）。このような治療を必要とする患者の割合は全人口の0.05％に過ぎないことに鑑みて、非常に高額であることが問題となっています。コスト削減のため、人工透析を減らし、腎臓移植の比率を増やしていくことが必要とされています。<br /><br />　第3に、通常の診療では、患者は自分の登録したプライマリケア医（GP）にしかかかることができません。ロンドンなどの都市部では、GP1人当たりの登録患者は1500～2000人程度なので、クリニックはいつも患者でごった返しています。患者1人当たりの枠は10～15分程度なのですが、実際は20～30分かけてじっくり診察を行うことが多く、徐々に遅れが生じ、早朝でなければ予約通りの時間に診察してもらえることはほとんどありません。<br /><br />　予約を取るのも容易ではなく、かぜなどの緊急性の低い疾病でかかろうとしても、「1週間後の木曜日まで空きはありません」などと言われるのがオチ。結局、予約の日を待っている間に自然治癒してしまうことがほとんどです。<br /><br />　GPによっては「予約外診療」の時間枠を設けている場合もあるので、予約なしの受診も可能ですが、その場合は早朝から並んでの順番待ちです。そうやって何とか受診までこぎ着けたとしても、かぜ程度では薬を処方してくれません。「薬局でかぜ薬を買って、水分を多めに補給し、自宅で静養するように」と、何のために並んだのか分からなくなるような指示をもらうのが関の山です。イギリスでは、かぜくらいでは医者にかからないのが常識なのです。<br /><br />　このように書いてきますと、「イギリスの医療は、いわゆる社会的弱者にとっては申し分ないけれど、フレキシビリティに欠け、ある程度裕福で社会的地位も高い人たちにとっては必要以上の我慢を強いられる。あまり上等なシステムじゃないな」と感じる方がいらっしゃるかもしれません。<br /><br />　しかし、そうはならないような「もう一つの医療制度」が、実は存在しているのです。それは日本にはほぼ存在しない「プライベート医療」のシステムです。国営のサービスであるNHSとは全く異なり、希望者のみが保険料を民間保険会社に支払い、その保険会社と提携してプライベート医療を専門に行う「プライベート病院」で診療を受けるというシステムです。次回は、この「プライベート医療」の仕組みについて、ご紹介したいと思います。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120313_2.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/daichi_20120313_2-thumbnail2.jpg" width="224" height="320" border="0" align="" alt="daichi_20120313_2.jpg" /></a><br />【キングス・カレッジ・ロンドン医学部の卒業式は、ロンドン橋のたもと、テームズ川の南岸に位置するサザック大聖堂にて執り行われました。荘厳な雰囲気の中、医師としての第一歩を踏み出した喜びとともに、果たすべき社会的責任の重みを感じました。】<br /><br />【References】<br />1）Ansell D, et al: UK Renal Registry, The Ninth Annual Report. The UK Renal Registry, 2006.<br />2）NHS Blood and Transplant: Cost-effectiveness of transplantation.<br /><a href="http://www.uktransplant.org.uk/ukt/newsroom/fact_sheets/cost_effectiveness_of_transplantation.jsp" target="_blank">http://www.uktransplant.org.uk/ukt/newsroom/fact_sheets/cost_effectiveness_of_transplantation.jsp</a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54422955.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54422955.html</link>
<title>「引っ越すんだって？ じゃあ、飛行機で通える？」</title>
<description>エクランド源稚子ペディアトリックス・メディカル・グループ新生児専門ＮＰヴァンダービルト大学看護大学院新生児ＮＰ講座クリニカルインストラクター　前回は、私がアメリカで看護学部に入学することになったいきさつを簡単にお話ししました。当時から長い年月がたち、私は今、 新生児集中治療専門のナース・プラクティショナー（nurse practitioner；NP）をしています。NPの資格については、近年日本でも議論の対象になっていますが、アメリカでは1960年代半ばからあるものです。簡単に..</description>
<dc:subject>エクランド源稚児の「空飛ぶナースとナッシュビルの新生児医療」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-11T20:44:10+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
エクランド源稚子<br />ペディアトリックス・メディカル・グループ新生児専門ＮＰ<br />ヴァンダービルト大学看護大学院新生児ＮＰ講座クリニカルインストラクター<br /><br />　<a href="http://backnumber.kurofunet.jp/article/45578989.html" target="_blank">前回</a>は、私がアメリカで看護学部に入学することになったいきさつを簡単にお話ししました。当時から長い年月がたち、私は今、 新生児集中治療専門のナース・プラクティショナー（nurse practitioner；NP）をしています。NPの資格については、近年日本でも議論の対象になっていますが、アメリカでは1960年代半ばからあるものです。簡単に言えば、看護の教育を受け、実践を積んだ看護師が、さらに大学院レベルで様々な専門分野に関する医学的教育を修め、看護のバックグラウンドを大切にしながらも診察や治療に携わるという職務です。<a name="more"></a><br /><br />　新生児NPは、新生児専門医と連携しながら、主にNICUや一般新生児室の患児の診療を行っています。また、医師が同伴しない搬送などでも第一線で診療に当たります。さらには、看護教育にも深くかかわっています。<br /><br />　私が現在所属している新生児医療グループは、医師が9人、新生児NPが15人からなるチームで、複数の病院の新生児医療を担っています（＊注）。グループの事務所はテネシー州ナッシュビルにあり、私たちが新生児医療を担っている病院は、すべて中部テネシーに位置しています。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/wakako_20120313.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/wakako_20120313-thumbnail2.jpg" width="300" height="196" border="0" align="" alt="wakako_20120313.jpg" /></a><br />【新生児NPとしてNICUや一般新生児室で診察・治療に当たる筆者。】<br /><br /><strong>夫の突然の転勤で…</strong><br />　6年前のことです。夫の転勤があって、ルイジアナ州の北部に引っ越しをすることになりました。ナッシュビルからは750kmくらい離れた場所です。<br /><br />　当然、職場を変える必要があると思っていました。ところが、新生児専門医でチームのディレクターであるサミーは、ここで思いもかけないことを言いました。「あっちに行っても、飛行機でここまで飛んで来られるようなら、辞めないで続けてもらえるよね」。<br /><br />　この言葉をきっかけに、ルイジアナ州とテネシー州の間を頻繁に飛ぶ生活が始まり、もう6年。月に1～3回、一度行ったら、大体72時間以上は働いています。<br /><br />　新生児NPの仲間は全米のあちこちに散在していますが、こうした通勤のパターンで就業を継続している人はあまりいません。ただし、過疎地では新生児NPが十分に確保できないため、一時的にほかから遠征を頼む病院や新生児医療グループはあります。例えば、フルタイムの新生児NPであるサウスダコタ州の友人は、2カ月に1度ほどミネソタ州の病院へ飛んで、週末勤務をこなしています。<br /><br /><strong>NPレジデンシーで運命のボスとの出会い</strong><br />　話はさらにさかのぼって、 サミーがディレクターを務める新生児医療グループに私が所属するまでのいきさつをお話しします。<br /><br />　2002年の夏、私はナッシュビル市内のヴァンダービルト大学の看護大学院で新生児NPレジデンシーの最中でした。全ての臨床研修をヴァンダービルト大学病院のNICUで行っていましたが、あるとき、「もし、あなたの研修担当となってくれる新生児NPがいるのなら、複数の病院でハイレベルの新生児医療を体験した方がいい」という助言を受けました。確かにそうだと思った私は、同じ市内にあるセンテニアル・ウーマンズホスピタルのNICUで長く働く新生児NPのキャシー（その時点で、複数のNICUで15年以上のキャリアを持っていました）に連絡を取ってお願いしたところ、快く受け入れていただきました。センテニアルでの研修は、ヴァンダービルトでの研修とはカラーが違っていました。<br /><br />　当時60床のヴァンダービルト大学病院では、毎朝6時頃にNICUへ出向き、当直の小児科レジデントから報告を受けた後、自分の担当患者の診察をしてオーダーを書いたりしていました。その後、小児科レジテントたちと並んで、アテンディング（指導医）や新生児科のフェローらと患児のベッドサイドを回ってラウンドを行うという環境でした。<br /><br />　アテンディングは、患児の担当のレジデントが医師であろうがNPであろうが、お構いなしに、病態や治療に関する質問を投げかけてきます。新生児で痙攣を起こしたために他施設から送られてきた患児のベッドサイドでは、「新生児が痙攣を起こす要因として考えられるものを可能な限り挙げてみなさい。1人ずつ順番に。ワカコは最後」と言うのです。心臓が凍り付きそうでした。このときは幸いにも何とか答えることができたのですが、医師の教育カリキュラムに一部乗り入れていたNPのカリキュラムでは、必死の勉強が求められました。<br /><br />　一方、当時40床のセンテニアル・ウーマンズホスピタルでの臨床研修は、メディカルスクールとの連携がなくて研修医もおらず、学習環境としての雰囲気は違っていました。ただ、医師も新生児NPもNPレジデンシーに対して理解が深い方々で、多くを学ぶことができました。<br /><br />　そして一番大きな出会いが、冒頭で紹介したサミーだったのです。当時、ここのメディカルディレクターを務めていました。サミーの人柄のおかげか、医師も看護師もNPも互いにファーストネームで呼び合うようなアットホームな職場で、新生児NPの活躍を強く支援する雰囲気もあったので、私はここが大変気に入りました。<br /><br /><strong>辞めるしかなかったはずが…</strong><br />　センテニアルでの研修を終えて卒業を目前に控えた時期、残念ながら、私は乳癌の告知を受けました。ですから、仕事に就くことは当面断念せざるを得ませんでしたが、化学療法や放射線療法をこなしながら試験勉強をして、新生児NPの資格試験に合格することができました。このときに、「良くなったら就職活動をしよう」という夢を持つことができたのは本当に幸いでした。<br /><br />　2003年の春、化学療法がまだ数回残っているという頃でしたが、サミーがディレクターを務める新生児医療グループの新生児NPのリーダー、パティさんから連絡があり、「フルタイムのポジションではないけれど、私たちは新生児NPを必要としている。ぜひ、面接に来ませんか？」というお話をいただきました。癌の治療中でまだウィッグも取れなかった私に声をかけてくれたのは、驚き以外にありませんでした 。すぐに面接に出かけました。<br /><br />　サミーはいつものスクラブを着て、ニコニコしながら部屋に入って来ました。そして、まず私の健康を気遣ってくれた後、こうおっしゃいました。「ワカコが良くなるのを僕たちは待っていたんだよ。去年の夏の実習で君に会ってから、絶対にうちに来てほしいと思っていたんだ。われわれのグループでNICUを担当する病院が増えることになって、新生児NPの数を増やしたい。週2日勤務でいいから、体とも相談しながら力を貸してくれないか」。感激を通り越して涙腺が完全に崩壊しそうになった私は、5日前に受けたばかりのアドリアマイシンやサイトキシンで気分がすぐれないことも忘れ、夢中になって将来のことを話しました。<br /><br />　それから丸2年働いた頃、先に述べたように、ナッシュビルからルイジアナ州北部へ引っ越すことになったのです。 このとき、家族と一緒に引っ越す以外の選択は考えられず、私は自分が本質的にキャリア志向ではないと知りました。職場は離れがたいものでしたが、単身赴任をして週末に帰るという方法も、時間と費用を考えると無理でした。<br /><br />　決意を固めた私がサミーに別れを告げに行ったとき、返ってきたのが「じゃあ、飛行機で通う？」という言葉だったのです。「旅費のサポートはするから、クリエイティブなスケジュールを考えて、まとめて働くことを検討してみて」。<br /><br />　サミーらしいのは、夫とちゃんと相談して、どれくらいまで家を離れると家族にとって無理な負担になるのか、考えてきてほしいと言ってくれたことです。「家族の構成が変わって、家の中の模様替えをしないといけないときがあるでしょ。今もそんな感じだよ」と言ってニコニコしていました。<br /><br />　飛行機通勤をすることになるなんて、それまで考えたこともなく、様々な偶然の巡り合わせの結果でした。ただ、サミーをはじめとする仲間たちに「750kmの距離を越えてでも一緒に働き続けてほしい」と思ってもらえたことは、本当にうれしく思います。飛行機通勤は時につらいこともありますが、これからもできる限り続けていくつもりです。<br /><br />＊注：独立した開業医グループが医療施設と契約を結び、その施設で診療を行う形態で、グループ内のスタッフはグループと雇用契約を結んでいる。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54422742.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54422742.html</link>
<title>ドイツで「人間ドック」が普及しないわけ</title>
<description>堀籠晶子ミュンスター大学病院（消化器内科・内分泌学教室）勤務医　今年は「日独交流150周年」に当たります。1861年1月24日、江戸において日本とプロイセンが「永久の平和と揺るぎない友好」を約束して修好通商条約を結んだのが両国の交流の始まりです。　150周年を機に、先日、北バイエルン独日協会で講演をさせていただきました。テーマは「日本とドイツにおける医学交流の歴史―ドイツは今、日本の医療から何を学べるか？」。ここで、日本特有の健康診断（健診）システムである「人間ドック」を紹介..</description>
<dc:subject>堀籠晶子の「ドイツで医師として働くこと、思うこと」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-08T20:32:10+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
堀籠晶子<br />ミュンスター大学病院（消化器内科・内分泌学教室）勤務医<br /><br />　今年は「日独交流150周年」に当たります。1861年1月24日、江戸において日本とプロイセンが「永久の平和と揺るぎない友好」を約束して修好通商条約を結んだのが両国の交流の始まりです。<br /><br />　150周年を機に、先日、北バイエルン独日協会で講演をさせていただきました。テーマは「日本とドイツにおける医学交流の歴史―ドイツは今、日本の医療から何を学べるか？」。ここで、日本特有の健康診断（健診）システムである「人間ドック」を紹介しました。<a name="more"></a><br /><br /><strong>「健康」なのに検査なんて、もっての外？</strong><br />　長年にわたり、学問的知識や技術は主としてドイツから日本へと一方的に伝わってきました。そして日本は、その知識や技術を、医学の分野だけではなく他の領域でも、より高度なものに洗練させていきました。現在では、日本で洗練された技術の多くが世界をリードするようになり、西洋の技術発展の模範となっています。また、サービスの分野でも日本は世界の模範となっています。<br /><br />　医療の分野については現在、日本では人間ドックという、予防医療にサービス要素を加えた健診システムが高いレベルで提供されています。私は日本の誇るべき素晴らしいシステムだと思っています。病気になってから治すのは大変。「疾病の予防、健康の維持」こそ医療の中核をなすべきでしょう。<br /><br />　しかし、今のところドイツを含めてヨーロッパには、日本の人間ドックに相当する健診施設はわずかしか存在しません。そのわずかの施設も、主に日本人が日本語で日本と同じように受診できることを目的に設立された施設です。ですから、「人間ドックという予防医療サービスこそ、ドイツが今日本から学ぶことのできる分野の一つだ」ということを講演でお話ししました。<br /><br />　私は、ドイツでも希望するすべての方に人間ドックを提供したいと思い、現地の病院および放射線科と提携して、2009年に「<a href="http://www.kenshincenter.de/" target="_blank">健診センター.de</a>」を開設しました。病院勤務の傍らで、スケジュールを調整しながら予防健診にも携わっています。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/akiko_20120313.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/akiko_20120313-thumbnail2.jpg" width="300" height="255" border="0" align="" alt="akiko_20120313.jpg" /></a><br />【筆者が従事している「健診センター.de」での一コマ（一番左が筆者）。海外在住の日本人が気軽に日本語で人間ドックを受診できるように、2009年、北ドイツのドルトムント近郊に開設しました。日本人のみならず、人間ドックを希望するすべての方に健診を提供しています。】<br /><br />　ドイツでは「定期的に健診を受けるべき」という意識が日本ほど浸透していません。そこには両国の医療に対するとらえ方の違いがあります。ドイツにおける医療の主眼は「疾病を発見し、治療すること」です。表現を変えると「疾病のための医学」に重点が置かれています。疾病の早期発見だけではなく健康の維持に注目する「健康のための医学」が進んでいる日本の医療は、一歩先を行っていると思います。<br /><br />　乱暴な言い方をすれば、ドイツ人は自分の体を車のような「機械」だと思っているのかもしれません。一部が「故障」したら「修理」すればいい。健康な状態（症状がない状態）で医師にかかる、ましてや自分で検査費を払ってまで医療機関を受診する （＊注）という意識は非常に低いように思います。<br /><br />　ドイツは肥満大国です。なので、カロリー制限や運動の大切さ、たばこやお酒を控える必要性を、診察室では、毎日のように説明することになります。すべてのドイツ人がそうではありませんが、薬に頼り切り、自分から予防を心がけたり生活習慣を改善する姿勢に欠ける患者が多いことは確かです。<br /><br />　「甘いものを食べても大丈夫。インスリンを増やすから」「運動？ 骨粗鬆症の薬があるから、動かなくてもいいのよ」「どうして心筋梗塞になったの？　医者がきちんと診てくれないからだろう。たばこ？ やめられないよ」…。私の力不足もあるのですが、アドバイスの意欲をなくしそうになることが少なからずあります。<br /><br />　その上、ドイツでは健診は個人の裁量と考えられており、いつ、どんな検査を受けるかは本人の判断に任されています。病気が見つかることへの不安から医療機関を受診しないケースも多く、健診は「気の進まない」「厄介な」ものととらえられがちなのです。一方の日本では、「自分の健康を証明してもらう」「健康状態を見立ててもらう」という、どちらかというとポジティブな意識を持って健診を受けている方が多いように思います。<br /><br />　日本の企業の中には、社員とその家族が定期的に人間ドックを受けられるように費用を補助し、1～2日の健診休暇を認めるところもあります。社員は、自分の健康状態を把握するためだけではなく、ちょっとした「休暇」として、また「会社は自分の価値を認めて、健康に関心を持ってくれている」と感じながら、人間ドックを利用します。企業にとっても、人的資源としての労働力を長期的な観点から確保でき、社員と会社との結び付きを強められるというメリットがあるのでしょう。ドイツでは健康維持は自己責任であり、健診を通して雇用者が被雇用者の健康維持に配慮するという考え方は定着していないようです。<br /><br /><strong>ワンストップの「医療サービスセンター」も予防までは及ばず…</strong><br />　ドイツでは、開業医が一般診療を担うのが伝統となっています。患者には、信頼できる医師を自ら選択する自由があります。具合が悪くなると、まず家庭医（Hausarzt：ハウスアールツト）に相談するのが一般的です。専門的な診療が必要な場合は家庭医が開業専門医を紹介しますが、ここでも患者は専門医を自由に選択できます。<br /><br />　健診に限らずドイツにおける診療は、個々の開業医、例えば婦人科専門医、内科専門医、泌尿器科専門医などの下、それぞれ別々に行われてきました。様々な診療科がそろっている病院に入院したときを除けば、総合的な検査・治療をワンストップで受けることはできなかったのです。つまり、日本のように様々な診療科にまたがる検査を一度にオーダーできるというシステムが存在しませんでした。<br /><br />　2004年になってドイツ政府は、国民医療費の削減を目指して外来領域での総合診療を実現させるべく、様々な分野の専門医が共同で外来診療に当たる「医療サービスセンター」（Medizinische Versorgungszentren：メディチィーニッシェ フェアゾルグングスツェントレン ）を設立しました。旧東ドイツの「総合病院外来診療科」（Poliklinik：ポリクリニック）と似たシステムです。この医療サービスセンターでは、患者が医師を自由に選ぶという伝統はもはや存在しません。医師も「開業医」としてではなく組織の中の「被雇用者」として業務に当たります。しかし、この医療サービスセンターは「疾病の治療」に重点を置いたもので、日本の人間ドックのような「疾病の予防、健康の維持」を目的に設置されたものではありません。<br /><br /><strong>「人間ドック」が受け入れられるのは、健康保険の疲弊で？</strong><br />　ある研究調査によると、予防に重点を置いた健診を実施することにより、ドイツの国民医療費は数十億ユーロも削減できると予測されています[1]。にもかかわらず、ドイツ政府そして健康保険の保険者は、標準化された予防医療システムの導入には至っていません。予防医療を実現するためにかかる高額な支出がネックになっていることが考えられます。ドイツ国民の間で予防医療が関心の的となるには、まだしばらくかかりそうです。<br /><br />　しかし、「疾病のための医学」から「健康のための医学」に位置付けを変えて、予防医療をより身近で利用しやすいものにすれば、国民医療費の削減にもつなげることができます。雇用者は、有能な社員を単なる「使い勝手のいい道具」ではなく「生きた財産」としてとらえ、心身の健康にも留意するという新しい考え方が求められるでしょう。有能な労働力が不足し、 “war of talents and potentials”（才能と可能性を秘めた人材の発掘競争）と言われる時代だからこそ、このような新しい考えは特に意味を持つでしょう。<br /><br />　もちろんドイツ国民にとっても、ヨーロッパの高い医療技術に、日本で行われているような格別の医療サービスが加われば、もはや健診は「不快な義務」ではなくなるでしょう。これから健康保険の疲弊がますます深刻化し、満足のいく医療が受けられないと感じたとき、国民は自費による負担で自身の健康を管理する意識を持つようになるかもしれません。例えば日本のウエルネス業界などで既に見られるように、「医療」に「サービス」要素を取り入れ、受診者はこの対価も支払うという新しい「医療事業」 が、そのうちにドイツでも受け入れられるのではないでしょうか。<br /><br />＊注：ドイツでは、国民の医療費は原則として健康保険がすべて賄うことになっています。健診も例外ではなく、被保険者は保険適用の範囲内では無料で健診を受けることができます（その代わり、健診の内容および時期は保険者が指定します ）。そのため、医療にどれだけの費用がかかっているのか、国民が意識しづらい状況にあります。私がドイツに渡った当初、「医療を受けてもお金を払わないで帰る」ということに違和感を覚えたものです。<br />　ドイツの国民医療費は膨大になるばかりで、近年では、健康保険ですべてを賄うことが困難になってきました。将来的には、必要最低限の医療以外には保険が適用されないことを覚悟する必要があるかもしれません。しかし、保険料が年々高くなっている上、さらに医療費を自己負担するということには、国民の大きな抵抗があるようです。<br /><br /><strong>【おことわり】</strong><br />　本稿は、「日独産業協力推進委員会」の季刊誌「DJW NEWS」2011年 6月号への寄稿に加筆修正したものです。<br /><br /><strong>【References】</strong><br />1）Hartwig Bauer: Vorsorge und Früherkennung, - Soll - und Ist – Stand, Verlagspublikation der Konrad Adenauer Stiftung: Herder Verlag: Was ist uns die Gesundheit wert?, 210-232, 2007.<br />2）Martin Möller, Akiko Horigome: Japanisch-deutsche Medizingeschichte: Lernen voneinander früher und heute, DJW-NEWS(2), Deutsch-Japanischer-Wirtschaftskreis, 2011.<br /><a href="http://www.djw.de/uploads/media/DJW_News_deutsch__022011_.pdf" target="_blank">http://www.djw.de/uploads/media/DJW_News_deutsch__022011_.pdf</a><br />3）Martin Möller, Akiko Horigome: ドイツの医療事情―なぜ今までドイツには「人間ドック」が存在しなかったのか？, DJW ニュース(2), 日独産業協力推進委員会, 2011.<br /><a href="http://www.djw.de/uploads/media/DJW_News_japanisch__022011_.pdf" target="_blank">http://www.djw.de/uploads/media/DJW_News_japanisch__022011_.pdf</a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54363969.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54363969.html</link>
<title>9割近くも落とされる書類審査の基準とは？</title>
<description>アメリカで外科レジデント、フェローになるには Vol.1提嶋淳一郎マイアミ大学外科腎膵移植部門准教授　アメリカでは、毎年7月になると、新しいレジデントやフェローを迎えて新たな年度が始まります。私が関係する部署でも、本年度は6人の外科カテゴリカル・レジデントと3人の移植外科フェローが研修を始めることになっています。そのほか、卒後1年目（post-graduate year 1；PGY1）の外科レジデント（インターン）が、毎月、移植外科を回っていきます。</description>
<dc:subject>提嶋淳一郎の「井の中の外科医、マイアミをゆく」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-08-02T17:34:22+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
アメリカで外科レジデント、フェローになるには Vol.1<br /><br />提嶋淳一郎<br />マイアミ大学外科腎膵移植部門准教授<br /><br /><br />　アメリカでは、毎年7月になると、新しいレジデントやフェローを迎えて新たな年度が始まります。私が関係する部署でも、本年度は6人の外科カテゴリカル・レジデントと3人の移植外科フェローが研修を始めることになっています。そのほか、卒後1年目（post-graduate year 1；PGY1）の外科レジデント（インターン）が、毎月、移植外科を回っていきます。<a name="more"></a>　彼らレジデントやフェローは、どのように選ばれているのでしょうか？　National Resident Matching Program（NRMP）から発表されているデータと私が経験したインタビューの様子を合わせて、2回にわたりご紹介したいと思います。<br /><br /><strong>外科レジデンシーは外国医学部卒業生には狭き門</strong><br />　United States Medical Licensing Examination（USMLE）の成績だけを考えた場合、形成外科や皮膚科などの専門科に比べて、一般外科のレジデンシーは比較的入りやすいようにも見えますが、果たしてどうなのでしょうか？ まずは、いろいろとある外科レジデントの種類をご紹介します。<br /><br />1．外科カテゴリカル・レジデント（Categorical General Surgery Residents）：外科研修終了までのポジションが保証されており、基本的には5年間の研修後、外科専門医の受験資格を得ます。1～2年の研究期間が追加される研修プログラムもあります。<br /><br />2．外科プレリミナリー・レジデント（Preliminary General Surgery Residents）：次の２つに分かれます。<br />1）Non-Designated Preliminary Surgery Residents：外科を目指して研修するものの、PGY1またはPGY2のポジションしか保証されていないパターンです。<br />2）Designated Preliminary Surgery Residents：後に他の専門科に進む人がPGY1に限って外科インターンとして過ごすパターンです。PGY2としては、脳神経外科、泌尿器科、放射線科などの他の専門科にマッチしています。<br /><br />　NRMPのResults and Data：2011 Main Residency Match[1]によると、外科カテゴリカル・レジデントの定員は、全米に238あるすべての外科プログラムを合わせて1108人です。これに対する応募者の数は2276人（そのうち1273人がアメリカの現役医学生）となっています。これらのポジションのうち、83％はアメリカの現役医学生が獲得し、外国人でアメリカ以外の医学部から応募した人（Non-US IMG）のうちマッチしたのは56人（5％）に過ぎませんでした。<br /><br />　一方、外科プレリミナリー・レジデントは、アメリカの現役医学生の占める割合が41％と低く、さらに“Non-Designated”だけを見れば、Non-US IMGの占める割合はかなり高いものと思われます。つまり、外科志望のNon-US IMGにとっては、“Non-Designated”のポジションが最も獲得しやすいということになります。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/junichiro_20120309_1.gif" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/junichiro_20120309_1-thumbnail2.gif" width="320" height="180" border="0" align="" alt="junichiro_20120309_1.gif" /></a><br /><strong>図1　応募者のタイプによるPGY1マッチ率（1982～2011年）</strong><br />【外科のみならず、すべての科を合わせた割合です。アメリカの現役医学生（U.S.Seniors）が、コンスタントに95％近くマッチしているのに対して、アメリカ以外の医学部から応募した外国人（Non-U.S.IMGs）のマッチ率は低く、2011年も39.8％（2010年）から40.9％に微増したに過ぎません。マッチ外で採用された人がいるとしても、十分な競争力をつけておく必要がありそうです。】<br />（National Resident Matching Program, Results and Data: Specialties Matching Service 2011 Appointment Year. National Resident Matching Program, Washington, DC. 2011.―Figure4より引用）】<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/junichiro_20120309_2.gif" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/junichiro_20120309_2-thumbnail2.gif" width="288" height="320" border="0" align="" alt="junichiro_20120309_2.gif" /></a><br /><strong>図2　専門科別の主要レジデンシー・ポジション（2011年）</strong><br />【外科カテゴリカル・レジデント（Surgery [Categorical]）は、主にアメリカの現役医学生がマッチしているのに対して、外科プレリミナリー・ポジション（Surgery-Preliminary [PGY-1 Only]）にマッチしているアメリカの現役医学生は少ないことが分かります。さらに、プレリミナリー・ポジションは、採用数の少なさから、正規のマッチング外で決まっているポジションが多いと思われます。】<br />（National Resident Matching Program, Results and Data: Specialties Matching Service 2011 Appointment Year. National Resident Matching Program, Washington, DC. 2011.―Figure5より引用）<br /><br />　もちろん、“Non-Designated”のPGY1ポジションを獲得しても、その後の保証は何もありません。ですから、研修中に行われるABSITE（The American Board of Surgery In-Training Examination）で高得点を狙ったり、1年間頑張って働いてよい推薦状をもらったりして、あわよくば偶然に空いたカテゴリカルのポジションを獲得しようと皆必死になるわけです。1年目を繰り返すことをいとわず、プレリミナリーのPGY1からカテゴリカルのPGY1に応募する人もまれではありません。Non-US IMGにとって、アメリカの外科レジデンシー・プログラムに入り、PGY5までの研修を終えて外科専門医の受験資格を取るというのは、本当に狭き門なのです。<br /><br /><strong>外科レジデントはどのように選ばれている？</strong><br />　NRMPは、レジデンシー・プログラムのディレクターへのアンケート結果[2]も公表しています。残念ながら、外科のプログラム・ディレクターからの回答率は37％と低いのですが、おおまかな傾向はつかめるでしょう。<br /><br />　回答のあったプログラムを平均すると、1施設当たりの外科カテゴリカル・レジデンシー・ポジションは5人で、この枠に対して532人の応募がありました。応募者のうち、詳細な評価・検討を受けたのは42％に過ぎず、インタビューには平均60人しか呼ばれていません。マッチングの応募者は複数の施設に応募しているものですが、施設単位で見ると、書類審査で9割近くが落とされているわけです。<br /><br />　書類審査の基準が何なのかを見てみると、推薦状（letters of recommendation；LOR）を重視するというプログラムが全体の77％、外科臨床実習の評価（grades）が69％、外科臨床実習での表彰（honors）が67％、USMLE STEP1の成績が72％、STEP2の成績が61％、アメリカの医科大学卒業が 63％、エッセイ（personal statement）が65％などとなっています。<br /><br />　また、約半数のプログラム・ディレクターが「事前に知っている応募者を考慮する」としているので、個人的なツテやエクスターンシップ（短期の学外研修）などを通じて知ってもらうというのも効果がありそうです。実際、カテゴリカルを目指す前に、プレリミナリーに入ったり、正式なレジデントではない（Accreditation Council for Graduate Medical Education〔ACGME〕から卒後研修プログラムとして認められていない）House Staff Physicianとして働いたりして、アメリカでの臨床経験を積み、有名教授に推薦状を書いてもらおうとする人が多くいます。私が勤務するジャクソン記念病院の移植外科部門では、主に中南米の国で医学部を卒業した医師（毎年10人）がHouse Staff Physicianとして働き、正式なレジデンシー・ポジションを得るためのステップとしています。<br /><br />　さて、気になるUSMLEのスコアですが、78％のプログラムがSTEP1に、59％のプログラムがSTEP2に足切り点を設けています。2回以上の受験でパスした人は、ほとんどのプログラムでインタビューに呼ばれていません。具体的には、STEP1・2とも、207点以下ではインタビューに呼ばれる可能性はまずなく、223点以上であれば呼ばれる可能性が高くなるようです。外科レジデントを目指す人は、一度の受験で最低でもこのラインを目指す必要がありそうです。<br /><br />　レジデンシーへの応募は、Electronic Residency Application Service（ERAS）[3]を通して行いますが、詳細はERASやNRMPのサイトに書かれているので割愛します。日経メディカル オンラインのKUROFUNet[4][5]やCadetto.jp[6]には参考になる記事がたくさん載っていますので、そちらもご覧ください。<br /><br />　次回は、外科インタビューに呼ばれてからランキングされるまで、そして、レジデンシーとは少し違う、フェローシップの選抜について紹介したいと思っています。<br /><br /><strong>【References】</strong><br />1）National Resident Matching Program, Results and Data: Specialties Matching Service 2011 Appointment Year. National Resident Matching Program, Washington, DC. 2011.<br /><a href="http://www.nrmp.org/data/resultsanddata2011.pdf" target="_blank">http://www.nrmp.org/data/resultsanddata2011.pdf</a><br />2）National Resident Matching Program, Data Release and Research Committee: Results of the 2010 NRMP Program Director Survey. National Resident Matching Program, Washington, DC.2010.<br /><a href="http://www.nrmp.org/data/programresultsbyspecialty2010v3.pdf" target="_blank">http://www.nrmp.org/data/programresultsbyspecialty2010v3.pdf</a><br />3）Electronic Residency Application Service（ERAS）<br /><a href="https://www.aamc.org/students/medstudents/eras/" target="_blank">https://www.aamc.org/students/medstudents/eras/</a><br />4）KUROFUNet：永松聡一郎の「現代アメリカの医療事情と制度論」<br /><a href="http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/blog/kurofunet/snagamatsu/" target="_blank">http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/blog/kurofunet/snagamatsu/</a><br />5）KUROFUNet：高橋孝志の「メディカルスクール サバイバル記」<br /><a href="http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/blog/kurofunet/ttakahashi/" target="_blank">http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/blog/kurofunet/ttakahashi/</a><br />6）Cadetto.jp: 臨床留学への道<br /><a href="http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/kouza/" target="_blank">http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/kouza/</a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54359206.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54359206.html</link>
<title>アメリカの専門薬剤師試験は「現場」が作る</title>
<description>岩澤真紀子聖ジョセフ病院ソノマ郡薬剤部／米国薬物療法認定専門薬剤師(BCPS)　「免許更新の知らせが来たんだけれど、生涯教育の単位が足りない」と話している同僚がいました。でも、慌てる必要はありません。アメリカの生涯教育プログラムはバラエティー豊かなので、短時間で生涯教育単位を取得できる方法がいくつかあります。今回は、アメリカの薬剤師生涯教育と専門薬剤師制度についてお話しします。</description>
<dc:subject>岩澤真紀子の「アメリカの臨床薬学に魅せられて」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-07-22T11:32:48+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
岩澤真紀子<br />聖ジョセフ病院ソノマ郡薬剤部／米国薬物療法認定専門薬剤師(BCPS)<br /><br />　「免許更新の知らせが来たんだけれど、生涯教育の単位が足りない」と話している同僚がいました。でも、慌てる必要はありません。アメリカの生涯教育プログラムはバラエティー豊かなので、短時間で生涯教育単位を取得できる方法がいくつかあります。今回は、アメリカの薬剤師生涯教育と専門薬剤師制度についてお話しします。<a name="more"></a><br /><br /><strong>アメリカの薬剤師免許は更新が必要</strong><br />　薬剤師免許は州ごとに発行されますが、アメリカ全50州で免許更新制が導入されており、更新には生涯教育（continuing pharmacy education；CPE）単位の取得が義務付けられています。更新の頻度や必要とされるCPE単位数は、州によって多少異なります。例えば、カリフォルニア州では2年ごとに免許更新があります。更新に必要なCPE単位数は30以上（1年当たり15以上）と定められており、期日までに更新料150ドルと取得CPE単位数を記入した用紙を提出しなければなりません。<br /><br />　なお、カリフォルニア州では、Accreditation Council for Pharmacy Education（アメリカ薬学教育審議会：ACPE）またはPharmacy Foundation of California（カリフォルニア薬学財団：PFC）に認定されている生涯教育のみが更新単位として認められ、生涯教育なら何でも認められるわけではありません。<br /><br />　CPE単位を取得する方法には、学会や大学での生涯学習講座、オンライン講座、薬学関連雑誌に含まれる生涯教育用の記事などがあり、有料のものから無料のものまでバラエティーに富んでいます。オンライン講座や薬学関連雑誌でCE単位を得ようとするときは、多くの場合、そこで出題された問題を解いて解答を提出する必要があります。<br /><br />　そのほか、糖尿病、禁煙指導、緊急避妊薬、予防接種などの特定領域を集中的に強化することを目的とした「特定領域認定プログラム」もあり、これを修了すると、証明書とCPE単位の両方を得ることができます。新人の薬剤師に緊急避妊薬や予防接種のプログラムを修了することを義務付けている保険薬局もあります。<br /><br />　CPE単位は薬剤師免許の更新・維持に必須なので、病院側からのサポートも手厚くなっています。生涯教育に対する補助の金額や手段は病院により異なりますが、私の職場では勤務時間の中で年間40時間の「CE（continuing education）時間」が認められています（学会参加費用は自己負担）。このCE時間を利用するには、参加する生涯教育の内容や所要時間を事前に提出して許可を得なければなりませんが、学会参加に限らず、自宅でオンライン講座を受講するという名目で申請することも可能です。<br /><br />　以前、日比野誠恵先生が、医師の生涯教育と企業の援助について、「<a href="http://backnumber.kurofunet.jp/article/41605128.html" target="_blank">生涯教育（CME）と利益相反（COI）のジレンマ（2010.10.25）</a>」の中で書かれていましたが、企業の財政的援助による利益相反については薬剤師の生涯教育においても問題になりました。<br /><br />　製薬会社のスポンサードでレストランでの勉強会が開かれることもありますが、生涯教育における商業的サポートについてはACPEによりガイドラインが作成されており[1]、このスタンダードを満たさない生涯教育はCPE単位として認められないことがあるので注意が必要です。私の職場では、製薬会社から新規採用薬剤についての説明会などをしてもらうことはありますが、これの参加をもってCPE単位を取得することはできません。いつの間にか、薬剤の名前が入ったペンや付箋紙などを製薬会社が配ることもなくなりました。<br /><br /><strong>BCPSの試験勉強は二度と御免です</strong><br />　日本では最近、専門薬剤師認定制度が制定され、専門薬剤師への関心が高まっていますが、アメリカの専門薬剤師認定制度の歴史は30年以上に及びます。1976年、American Pharmacists Association（アメリカ薬剤師会：APhA）から独立した第三者認定機構として、Board of Pharmaceutical Specialties（薬学専門職委員会：BPS）が発足しました。<br /><br />　BPSの主な目的は、（1）臨床領域における重要な専門分野の検討、（2）専門薬剤師認定試験の標準の策定、（3）認定および再認定を志願する薬剤師の客観的な評価、（4）専門薬剤師認定の情報提供と調整です。専門薬剤師認定を与えることができる全米で唯一の機構とされています。<br /><br />　現在、BPSの認定する専門分野は、（1）Pharmacotherapy（薬物治療学：BCPS）、（2）Oncology Pharmacy （癌：BCOP）、（3）Nutrition Support Pharmacy（栄養薬学：BCNSP）、（4）Psychiatric Pharmacy（精神科薬物療法：BCPP）、（5）Nuclear Pharmacy（核薬学：BCNP）、（6）Ambulatory Care Pharmacy（外来薬局薬物療法：BCACP）の6分野です。専門薬剤師試験は、年に1度、全国一斉に行われ、200問の選択式問題に対して試験時間は5時間となっています。1度合格すると7年間有効です（更新可能）。<br /><br />　私が受験したBCPSを例に取ると、試験内容は「患者特有の薬物治療」（構成比率55%）、「薬物治療領域における情報の検索・解釈」（同30%）、「医療制度に関連する薬物治療」（同15%）から成り、対象となる疾患は、骨・関節・リウマチ、循環器、皮膚、代謝、眼科・耳鼻科、電解質、胃腸、泌尿器、血液、免疫、感染症、神経系、婦人科、癌、精神疾患、腎、肺、公衆衛生の領域から139疾患です。<br /><br />　6つの専門分野の中で試験対策が一番大変といわれているのは、BCPSです。私は薬剤師レジデンシーを終えてすぐに受験して、幸いにも認定を取得することができましたが、何と言っても出題の対象となる領域が非常に広く、この試験勉強は正直、二度と御免です。<br /><br /><strong>日常業務に合わせて出題領域を配分</strong><br />　試験問題のほとんどは症例形式で、内容も非常に実践的です。実践的な問題を作成するために、どのような工夫がなされているのでしょうか？<br /><br />　BPSでは上記6つの専門分野ごとに委員会がありますが、試験問題はこの委員会が作成するのではありません。臨床現場で実際に直面する症例や最新の薬物療法を反映させるため、専門薬剤師認定を受けた「現場」の薬剤師たちが作成しています（試験問題の漏洩に対して厳しい措置が取られることは言うまでもありません）。<br /><br />　毎年1月になると、BPSは認定保持者からボランティアを募り、ボランティアは試験問題5題に解答と参考文献を添えて、3月上旬までに提出します。問題作成に参加した専門薬剤師には、毎年4月に行われる試験問題開発ワークショップへの参加資格が与えられます（作成だけ行うことも可能）。このワークショップでは、専門分野（出題カテゴリー）ごとに小グループに分かれ、問題の評価・編集などを行います。このように毎年問題を作成して、プールしているのです。<br /><br />　BPSの各専門委員会では、試験問題プールの内容を年に1回レビューしています。試験問題に使われる200問はプールからランダムに抽出されますが、正答率が低かった問題はプールから削除されます。<br /><br />　問題の配分は、専門薬剤師が日常業務で携わっている仕事の比重を目安に定められています。例えば、栄養薬学専門薬剤師（BCNSP）が1日の仕事のうち10％の時間をTPN（中心静脈栄養）の混合調製に費やしているとすると、試験問題200問のうち10％がTPN混合調製関連の出題となります。具体的には、「体重60kgの70歳男性の維持液を計算しなさい」「患者の臨床検査値（電解質）を見て、補正すべき電解質を計算しなさい」というような、実際にTPN混合調製の際に必要な内容を問うものです。<br /><br />　専門薬剤師の仕事の比重については5～10年ごとに実態調査が行われ、その結果が反映されています。試験問題の作成を一部の専門家に任せるのではなく、実際に現場で働く専門薬剤師が担うことで、より実践的で幅広い問題提供につながっているのです。<br /><br /><strong>英語のハンディを知識で補う</strong><br />　さて、私自身はと言うと、「生涯教育の単位が足りない」という状況とはほとんど無縁です。その理由の一つは、現在持っているBCPSの認定資格を維持するためには、7年間でBPS指定講座から120単位を取得しなければならず、その単位を薬剤師免許更新時にも使用できるためです。この単位取得を怠ると、7年後にBCPSの試験を受け直さなければいけないことになります。それだけは何としても避けたいので、同じ資格を保持する友人と刺激し合って勉強するようにしているのです。<br /><br />　生涯教育を通じて知識を定期的にアップデートすることは、英語のハンディを補うことにもつながります。病院薬剤師の仕事は電話での応対が多いのですが、一度も耳にしたことのない医薬品についての質問があれば、聞き違いがないかどうか、スペルを相手に確認するなどの慎重を要します。最近も医師から電話で問い合わせを受けたのですが、以前勉強したことがある薬剤についてだったので、すぐに必要な情報を取り出すことができました。これが全く知らない薬剤だった場合、薬剤名のスペルを言ってもらわなければならず、医師によっては機嫌を損ねることもあるので大変です。<br /><br />　最近話題になっている新薬や薬物治療について継続して学ぶことで、知らないことによるミスや対応の遅延を少しでも減らせればと思っています。<br /><br /><strong>【References】</strong><br />1）Accreditation Council for Pharmacy Education: Standard 5- Standards for Commercial Support.<br /><a href="http://www.acpe-accredit.org/ceproviders/standards.asp" target="_blank">http://www.acpe-accredit.org/ceproviders/standards.asp</a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54350722.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54350722.html</link>
<title>アメリカの医療IT促進策に見るアメとムチ</title>
<description>日比野誠恵ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授　2011年3月24日、ついにわが病院でも、電子カルテ／オーダーエントリーシステム（electronic health records；EHR）を旧式から新式のものへ移行するという大規模な「騒動」が勃発しました。　ここ10年ほど使用していた旧式のFCISというシステムは、カルテのみが電子化されたベーシックなプログラムで、オーダーは出せないし、バイタルサインの記録や検査結果とも連動されていませんでした。一方、新式のEPICと..</description>
<dc:subject>日比野誠恵の「ホッケードクターのワークライフバランス」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-07-14T21:39:40+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
日比野誠恵<br />ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授<br /><br />　2011年3月24日、ついにわが病院でも、電子カルテ／オーダーエントリーシステム（electronic health records；EHR）を旧式から新式のものへ移行するという大規模な「騒動」が勃発しました。<br /><br />　ここ10年ほど使用していた旧式のFCISというシステムは、カルテのみが電子化されたベーシックなプログラムで、オーダーは出せないし、バイタルサインの記録や検査結果とも連動されていませんでした。一方、新式のEPICというシステムは政府機関が認定したプログラムの1つで、FCISに比べて様々な機能を備えています。医師や看護師によるカルテ、オーダー、バイタルサイン、検査結果、コンサルト、退院指導書といった情報と連携がなされ、それぞれが行われた時刻も記録されます。<br /><br /><a name="more"></a><strong>慣れない入力に「おじさんユーザー」は肩がガチガチ</strong><br />　わが病院における移行の背景には、アメリカ連邦政府が新たなEHRへの置き換えを大目標としてきたことがあります。2011年からは、新システムを導入して「有意義な利用」（meaningful use）を達成した病院やクリニックには、最高で5年間に総額1000万ドルという多額の金銭的な補助をすることが決定されています。<br /><br />　ここまで政府が躍起になっているのは、いくら移行を奨励しても一向に進まなかった過去10年の経緯に業を煮やしてのこととも言えるでしょう。医療機関の立場としては当然、新システム自体には反対でないとしても金銭的な負担が大きくなるし、医師や看護師、他の職員からは移行に対する不満も強くなるわけです。わが病院でもずっと先送りになっていたのですが、もう言い訳は利かなくなったというところでしょうか。<br /><br />　2010年12月の初旬から、わが病院のスタッフには、EPICへ移行するための準備としてコンピューターステーションを使ったオリエンテーション（計3回）を受け、テストにパスすることが義務付けられました。その上、様々に起こるであろうテクニカルな問題に備えて、「スーパーユーザー」と呼ばれるトラブルシューターが各シフトの時間帯に最低でも1人、忙しい時間帯では3人も配置されることになりました。医師やレジデント、医学生の有志が兼務する格好でしたが、いいアルバイトになったようです。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/seikei_20120308.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/seikei_20120308-thumbnail2.jpg" width="200" height="266" border="0" align="" alt="seikei_20120308.jpg" /></a><br />【新システム導入時のトラブルシューターとして手伝ってくれた医学生の1人。アルバイト代は結婚式の費用の足しになったようです。】<br /><br />　併せて、たまたま同じ頃に活用され始めた「スクライブ」（scribe）と呼ばれる医療書記が医師のペーパーワークを補助するようになりました（詳細は回を改めて紹介したいと思いますが、スクライブは近年、全米の救急部で採用が増えています）。さらに、一時的な能率低下が予測されることに備え、わが救急部でも1カ月の間、医師や看護師を1.3倍増員することになりました。この増員は既存のスタッフのシフト回数を増やすことでの対応となったため、皆ややオーバーワークになった感がありました。<br /><br />　かくして、万全を期してEPICへの移行が決行されましたが、たまたま多くの重症患者が来院して病棟の満床が続いたこともあって、少なからず混乱が起こりました。それまでクラークが処理していたオーダーを自分でやることになって余計に時間がかかっただけでなく、間違った検査をオーダーしてしまうこともあったりして、現場ではフラストレーションがたまっていきました。<br /><br />　日本で生まれ育った中年のおじさんである私はタイピングもあまり上手でなく、老眼も進んできていて、コンピューターの前に長時間座った後は肩がガチガチ。奥さんと子どもに首と肩のマッサージを頼む始末でした（もっとも、アイスホッケーをした後は不思議と肩凝りは解消。やはり運動はお勧めです！）。<br /><br />　それでも、1週間も過ぎると慣れてきて能率が上がり、1カ月も過ぎると「スーパーユーザー」やエキストラスタッフのサポートなしでも大丈夫になりました。一般的に言えることですが、やはり若い人ほど変化に適応しやすいということを思い知らされた一件でもありました。<br /><br /><strong>全米の病院が迫られる新システム移行、“meaningful use”は何を実現するか</strong><br />　オバマ政権の下、国民医療費の著しい高騰といわゆる無保険問題を受けて、長期の持続と全国民への提供を両立できる医療制度を目指した医療改革法案が通過しました。昨年のアメリカ救急医学会総会のローリー講演（学会の基調講演の1つ）でも、メイヨークリニックに移られたアスペレン先生が「これからは医療者による『より有効な医療提供』が求められる」という趣旨の発表をされていました。<br /><br />　EHR による“meaningful use”も、明らかにこの流れの延長線上にあります。つまり、EHR を使うことによって人的なミスを減らし、より安全な医療提供を目指す。結果として、医療過誤によって余分に発生すると考えられる医療コストの節減を図ろうというのです。そのため、冒頭で紹介した金銭的な補助を与える一方、2015年までに“meaningful use”を達成していない施設に対しては診療報酬の大幅な減額が示唆されています[1]。第1段階はアメ、第2段階はムチというステップを設け、移行を促進しようとする政策です。<br /><br />　第1段階の金銭的補助を受けるには、まず15項目に及ぶ「診療の質」判定基準の報告が義務付けられます。医師による電子オーダーエントリー（computerized physician order entry；CPOE）、薬物相互作用のチェッキング、デモグラフィックス（人口統計など）、電子的に用意された退院指導書、クリニカルデシジョンルールの施行と、多岐にわたる項目が含まれています[2]。第2段階の詳細は未定ですが（今夏には決定される見込み）、よりハードルの高いものとなりそうです。<br /><br />　EHRの導入で、より時間がかかって医療の質に悪影響が出るという報告がある一方、質が上がったという報告もあります[3]。いずれにしても、もう後戻りはできないところに来ているという感じです。<br /><br />　特にわれわれ救急医が注目しているのは、上記15項目の報告事項の中に、「滞在時間」（length of stay）と「入院／退院決定までの時間」（time to disposition）が入っていることです。前回の「<a href="http://backnumber.kurofunet.jp/article/44524913.html" target="_blank">こんなことでも救急車を呼んじゃいます（2011.4.11）</a>」で紹介したように、アメリカの救急部の混雑は深刻な問題です。この2つの指標が入ったことにより、病院側としてもより真剣な対応を迫られ、少しでも混雑が緩和されることになれば…と、われわれは願っています。<br /><br />　また、ゆくゆくは、少なくともミネソタ州内では、各医療機関の間で電子カルテのフォーマットが標準化されてカルテの相互参照が容易になり（個人情報である点には要注意ですが）、診療の質向上につながっていく可能性もあります。そうなると、「<a href="http://backnumber.kurofunet.jp/article/35359515.html" target="_blank">アメリカ救急医療の明と暗（2010.2.17）</a>」で紹介したドラッグシーカー対策にも役立ちそうです。大災害時、被災した病院から転送される患者のカルテも容易に参照できるようになるでしょう。<br /><br />　フランスでは患者一人ひとりが自分の診療録をカードのような形で携帯しているということですが、将来的にはアメリカでもそういったことを実現する素地ができることになります[4]。臨床研究の精度が高まるとともに、可能性も広がるでしょう。<br /><br /><strong>【References】</strong><br />1）Blumenthal D, et al: The “meaningful use” regulation for electronic health records. N Engl J Med. 2010 Aug 5; 363(6): 501-4.<br />2）Genes N: MU: “A Really Good Kick in the Pants”. Emergency Physicians Monthly . Feb 2011: 12.<br />3）Bukata R, et al: The EMR Roundtable: Part I. Emergency Physicians Monthly. Feb 2011: 13.<br />4）Reid TR: The Healing of America, A Global Quest for Better, Cheaper, and Fairer Health Care, Four France: The Vital Card. The Penguin Press. 2009, 46-65.

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://backnumber.kurofunet.jp/article/54350547.html">
<link>http://backnumber.kurofunet.jp/article/54350547.html</link>
<title>かぜの患者に「マンモは受けた？」 あれもこれもやる家庭医</title>
<description>萩原裕也サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサー　アメリカでの3年間の家庭医療研修を終えた2007年、日本へ帰国するという選択肢もありましたが、私（裕也）は家庭医の本場であるアメリカに残って修行を続けることにしました。幸いにも、同じように地域医療を志した研修プログラムの先輩がいて、勤務先を紹介してもらうことができ、サウスダコタ州のヴァイボーグ（Viborg）という小さな町で、へき地家庭医療に従事することになりました。</description>
<dc:subject>萩原裕也・万里子の「サウスダコタ家庭医奮闘記」</dc:subject>
<dc:creator>kurofunet</dc:creator>
<dc:date>2011-07-11T21:15:38+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
萩原裕也<br />サウスダコタ大学家庭医療科アシスタント・プロフェッサー<br /><br />　アメリカでの3年間の家庭医療研修を終えた2007年、日本へ帰国するという選択肢もありましたが、私（裕也）は家庭医の本場であるアメリカに残って修行を続けることにしました。幸いにも、同じように地域医療を志した研修プログラムの先輩がいて、勤務先を紹介してもらうことができ、サウスダコタ州のヴァイボーグ（Viborg）という小さな町で、へき地家庭医療に従事することになりました。<a name="more"></a><br /><br /><strong>アメリカのど真ん中、サウスダコタへ</strong><br />　アメリカ中北部にあるサウスダコタ州は、全米50州中第17位の面積です。しかし、人口は約81万人で、第46位（アメリカ商務省のデータ〔2009年推計値〕より）。日本の都道府県別人口に照らすと、約80万6000人の福井県に相当します（47都道府県中第43位：2010年国勢調査〔速報値〕より）。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_1.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_1-thumbnail2.jpg" width="320" height="168" border="0" align="" alt="yuya_20120308_1.jpg" /></a><br />【サウスダコタ州はアメリカ中北部に位置します。筆者が住むヴァイボーグ（Viborg）は、主要2都市の1つであるスーフォールズ（Sioux Falls）から車で40分ほど南下したところです。】<br /><br />　人口1000人当たりの医師数は2.1人で全米第37位。アメリカ全国平均の2.7人を下回ります（アメリカ国勢調査局のデータ〔2007年〕より）。その上、医師の大半は主要2都市のスーフォールズ（Sioux Falls）とラピッドシティ（Rapid City）に偏在するため、へき地での医師不足が深刻な問題となっています。多くの地域では、家庭医が中心となって何とか医療が成り立っているのが現状です。<br /><br />　私の勤務するPioneer Memorial Hospitalは、スーフォールズから車で40分ほど南下した、人口約1000人の町ヴァイボーグにあります。スーフォールズから高速道路に乗って病院へたどり着くまで、信号機は1つもありません。あまりに田舎なので、最初は本当に驚きました。ヴァイボーグには、病院をはじめ、薬局、スーパーが各1軒。小・中・高等学校があり、小さな映画館までそろっているのが町の誇りです。周辺にはいくつも無医村があり、患者はそこからも集まってきます。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuka_20120308_2.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuka_20120308_2-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="yuka_20120308_2.jpg" /></a><br />【このような農道をひたすら走って、病院へ向かいます。】<br /><br />　Pioneer Memorial Hospitalは、救急（ER）3床、入院12床、Nursing Home（老人ホーム）52床、Alzheimer's/Memory Unit（認知症病棟）8床の小さな病院です。外来診療は併設のクリニックで行っています。家庭医3人、内科医1人のグループ診療体制で、人口約7000～8000人の地域をカバーしています。当直体制はというと、平日当直が月4回、金曜日から月曜日までの週末当直が月1回あります。当直日には救急も担当します。<br /><br />　非常勤スタッフとして、外科、整形外科、循環器内科、産婦人科、泌尿器科の医師に、月1回診療していただいています。必要な場合は、スーフォールズにあるサウスダコタ大学病院の各科専門医を紹介して受診してもらうことになりますが、この地域では家庭医の存在が強く根付いているため、できる限り、私たち家庭医で管理してほしいと希望する患者がほとんどです。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_3.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_3-thumbnail2.jpg" width="300" height="225" border="0" align="" alt="yuya_20120308_3.jpg" /></a><br />【当院併設クリニックのER入り口。】<br /><br /><strong>皮膚生検から妊婦健診まで様々な患者に対応―外来診療の様子</strong><br />　外来診療は家庭医の本分です。1人の患者に対する診療時間は約15分で、1日に10～20人を診ています。成人では高血圧、糖尿病、高コレステロール血症、心不全、COPD、甲状腺機能低下症、慢性腎臓病、うつ病などを最も頻繁にフォローしています。予防医療にも力を入れており、USPSTF（ U.S. Preventative Services Task Force：アメリカ政府の予防医学作業部会）などのガイドラインに沿ったスクリーニングを強く推奨しています。<br /><br />　外来診療の少なくとも2割は予防に関するもので、かぜの患者にも「今年はもう、マンモグラム受けた？」などと積極的に話しかけるようにしています。<br /><br />　診療はすべて予約制ですが、実際のところ、外来患者の3分の1程度は当日受付の急患です。かぜ症候群から腰痛、膀胱炎、胸痛、軽度外傷など、様々な患者がやって来ます。初めて診る患者では、なるべく時間をかけて問診やカルテレビューなどを行うことにしていて、20以上の既往歴が見付かることもよくあります。住民同士のつながりが密な地域なので、地元出身の看護師からも患者の社会歴について十分すぎるほどの情報を得られるのが面白いところです。<br /><br />　ほかに、以下のような様々な診療も、家庭医の外来で行っています。<br /><br />・皮膚科：基底細胞癌などの生検（パンチ生検、摘出生検、薄片生検）、掻爬および電気焼灼法による治療や摘出術、いぼや日光角化症の凍結療法、陥入爪手術、切開排膿術、創傷処理など<br />・整形外科：骨折のシーネ・ギプス固定、関節内注射など・眼科：角膜の異物除去など<br />・産婦人科：妊婦検診、子宮頸癌・乳癌検診、子宮体部癌細胞診、経口避妊薬処方<br />・小児科：乳幼児検診、急性疾患（かぜ症候群・中耳炎・喘息・胃腸炎など）の処置、注意欠陥/多動性障害（AD/HD）の診断・治療<br /><br /><strong>術前評価は家庭医が担当―入院診療の様子</strong><br />　通常の日は、外来診療の前に病棟の入院患者の回診から仕事を始めます。時期によっては、入院患者が誰もいなかったり、逆に満床だったりすることもあるのですが、平均的には日に1～3人の入院患者を診ています。<br /><br />　肺炎、COPD、心不全など、私たち家庭医の診療のみで大丈夫と判断した患者は、当院で入院加療とします。心臓カテーテルなど、専門医の診療が必要な場合は、スーフォールズの大学病院へ転院です。また、大学病院で手術を行った患者の術後管理なども当院で行っています。原則としては、術後最初の3日間は大学病院で継続入院となり、その後も入院とリハビリテーションを必要とする場合は当院へ転院となります。当院の外科医は現在、ヘルニアや胆石症などの日帰り手術のみを行っており、preoperative evaluation（術前評価）は、外科からのコンサルトとして私たち家庭医が担当しています。<br /><br />　小児の入院診療も積極的に行っています。主に小児の肺炎、尿路感染症、胃腸炎、喘息などは、他院へ搬送することなく私たち家庭医が治療しています。また、Nursing Homeの回診日が月に2日あり、自分の担当する患者を訪問診療しています。<br /><br /><strong>医師全員が外傷に対応―救急診療（ER）の様子</strong><br />　当院はERを備えており、救急患者を24時間受け入れています。1日に受け入れる救急車は1～2台と少ないものの、医師は全員がATLS（advanced trauma life support：外傷初期診療の教育プログラム）を受講しています。看護婦などのスタッフもアメリカ外科医師会の主催するRural Trauma Team Development Course（へき地用外傷診療プログラム）を受講していて、田舎のERとしては外傷患者の診療にも万全の体制で臨んでいるつもりです。<br /><br />　緊急手術やICU治療などを必要とする患者は、スーフォールズの大学病院からヘリコプターを呼んで搬送します（月に1～2回程度）。実際に先日、胸痛を訴えてER受診した患者について、来院20分以内に心電図検査と血液検査を施行してacute coronary syndrome（急性冠症候群）の診断を下し、ヘリコプターでの緊急搬送を行いました。<br /><br />　小児の入院診療も積極的に行っています。主に小児の肺炎、尿路感染症、胃腸炎、喘息などは、他院へ搬送することなく私たち家庭医が治療しています。また、Nursing Homeの回診日が月に2日あり、自分の担当する患者を訪問診療しています。<br /><br />　大学病院の循環器内科医に即座に連絡を取って心臓カテーテル室で待機してもらい、町から大学病院まで約70km離れているにもかかわらず、当院ER受診後90分でカテーテル治療を開始できたのです。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_4.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_4-thumbnail2.jpg" width="300" height="196" border="0" align="" alt="yuya_20120308_4.jpg" /></a><br />【救急患者を乗せて、大学病院へ向けて当院駐車場から飛び立つヘリコプター。】<br /><br />　また、骨折など農作業関連の外傷患者のER受診も多く、ギプス固定だけで十分な場合は外来で継続してフォローしていけることも家庭医としての醍醐味の一つです。<br /><br /><strong>信頼を築くのに必死だった</strong><br />　家庭医としての勤務の初年度で特に大切なのは、患者や病院からの信頼を得ることです。この点を疎かにすると、成績不振を理由に解雇となる場合もあります。また、白人率が約89％の当地域では、少なからず外国人に対する差別や偏見が存在します。<br /><br />　ただ、その差別や偏見については、15年の診療実績を通じて地元の人たちから大きな信頼を得ている、パキスタン出身の同僚Dr.Shahのおかげで、だいぶマシになったと聞いています。彼が診療を開始した当初は、人種が異なるということで診療拒否する人もいたそうです。また、9・11同時多発テロの際は、イスラム教徒である彼は身の危険を感じて町を去ろうとしたそうですが、病院長から「何とか残ってほしい」と説得されて踏みとどまったと聞きます。<br /><br /><a href="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_5.jpg" target="_blank"><img src="http://hicky.sakura.ne.jp/sblo_files/kurofunet/image/yuya_20120308_5-thumbnail2.jpg" width="300" height="199" border="0" align="" alt="yuya_20120308_5.jpg" /></a><br />【左から筆者、日本から研修に来た医学生、Dr.Shah。】<br /><br />　私の場合は、患者や病院の信頼を得るために、特に丁寧かつ細やかな診察を心がけました。これはあまりアメリカ人医師の得意ではないところだと考えたからです。また、外来で成功するには、地域の文化を積極的に理解する努力が必要だと思いますし、それなりの話術も求められます。ヴァイボーグの住民の多くは農業に従事していますが、最近では患者との雑談もだいぶ増え、農作物の話などもできるようになりました。時間はかかるかもしれませんが、きちんとした診療を継続できれば、医師の人種に関係なく患者は受診してくるという実感を得られました。<br /><br />　また、ホスピス、緩和医療を通して終末期医療にかかわる中で、患者のみならずご家族の方々とも強い絆を築くことができ、いつの間にか、ご家族全員の主治医になっていたということもしばしばあります。研修中に新生児を取り上げた際にも、同じようなことを経験しました。お産の立ち会いと終末期患者の看取りは、地域の患者からの信頼を得るという意味でも、家庭医にとって大事な仕事だと思っています。<br /><br />　私は、レジデンシーの3年間をかけて学び、実践してきた家庭医療の世界で「さらに一歩踏み込みたい」という思いから、アメリカのへき地で家庭医療を実践しています。地域に密着して、外来だけでなく救急、病棟さらには老人ホームでも診療することで、地域住民の包括的・継続的なケアができていると思います。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
</rdf:RDF>

